『おむすび』写真提供=NHK

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 NHK連続テレビ小説『おむすび』が現在放送中。平成元年生まれの主人公・米田結(橋本環奈)が、どんなときでも自分らしさを大切にする“ギャル魂”を胸に、栄養士として人の心と未来を結んでいく“平成青春グラフィティ”。

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 第21週では、糸島から祖父・永吉(松平健)が神戸を訪ねてくる。ようやく息子の聖人(北村有起哉)との長年にわたるわだかまりが解消し、家族の絆を再認識。その矢先、第104話のラストに突然、ナレーションで永吉の死が明かされた。

 いわゆる“ナレ死”の意図について、制作統括の真鍋斎は「人が亡くなるときには、きちんと描くこともあれば、ナレーションで伝えることもあります。その中で今回は、今際の際に何か大事なことを残して去っていくというよりも、やはり元気な永吉の姿を最後まで見せたいと。少し体が弱ったところを聖人、結なりに感じるような描写はありますが、基本的には元気で豪快な永吉のイメージのまま亡くなっていくのが一番ふさわしいのではないかと思って、このようなかたちを選びました」と説明する。

 同じく制作統括の宇佐川隆史は「孝雄(緒方直人)が『(娘の)真紀は心の中にいる』と言っていたように、まさに“おらんけど、おる”の世界ですよね。まさに永吉もそうで、視聴者の方の中にも生きていた頃の永吉の存在を強く残したまま、送り出すことができたのかなと思います」と話した。

 そうはいっても、あまりに突然すぎる永吉との別れ。この世を去った原因について、真鍋は「永吉は90歳を超えていますので、老衰です」とし、「神戸から糸島に戻ってからも永吉は矍鑠(かくしゃく)としていて、眠るように亡くなったとお考えいただければ」と裏設定を明かした。

 第104話では、永吉と聖人が2人で太陽の塔に足を運んだ。撮影はとにかく穏やかだったといい、真鍋は「松平さんはふだんあまりお喋りするタイプではない方で。もちろん、ロケ撮影を楽しんではいらっしゃいましたが、そういった佇まいに北村さんは尊敬の念を抱くところもあったのではないでしょうか」と当日の様子を回顧。

 宇佐川も「本当にたわいもないお話を、お二人でされていたように思います。おふたりの世界があるといいますか、それこそ永吉と聖人のようでいて、そこは邪魔してはいけないと思って、現場でも遠めでお二人の姿を見守っていました」と振り返った。

 帰宅後には、聖人に髪を切ってもらった永吉が「やっぱりお前は本物の農家やなかな。お前は本物の理容師たい」と口にし、聖人が涙する。宇佐川は「おふたりの心と体に、永吉、聖人という役が染みついているんだなと感じました。細かいことを話すというよりも、無言の中に間合いがある。芝居の技術を越えた、おふたりの魅力が非常によく出ていたと思います」と、松平、北村ならではの空気感に感服した。

 先週に引き続き北村、そして松平の名演を通して「生と死」、さらには「米田家の呪い」に込めたメッセージをまっすぐに届けた第21週。

 真鍋は「生死に関わるような話なので、作劇として捻ることは美しくないと思っていました。それに、親子の和解やがんとの向き合い方など比較的わかりやすい題材でもあったので、そこを捻る必要はないのかなと。ここまで積み重ねてきた『米田家の呪い』をわかりやすい言葉で、僕たちの照れを外して語るべきところがあるんだろうと考えたときにも、『ここしかないんじゃないか』という思いがありました」と打ち明ける。

「第21週は、ドラマでずっと言い続けてきた大きなテーマを集約するような週になっています。それは結局『困っとう人ば助けるのに、理由ばいらんやろう』という永吉のセリフで言い尽くされているんじゃないかと思いますね。ここまでストレートに言うことに対しておもはゆい部分もありますが、言わざるを得ない時代でもあるのかなと考えて、根本(ノンジ)さんと脚本を作りました。何よりこれは、松平さんだからこそ言えたセリフだと思っています」(真鍋)

 そんなストレートな作劇について、宇佐川は「これこそが根本さんの真骨頂だと思っています。“伝えたい思いを物語に巧みに織り込んでくださるところ”も根本さんの素晴らしさですが、こうした奇をてらわない、まっすぐな書きぶりが個人的にもすごく好きで。その良さが、しっかり出る週になっているかなと思います」と手ごたえを語った。

 明日放送の第105話では、永吉の葬儀が執り行われる。制作陣が思いを込めて描く、『おむすび』らしい永吉の見送り方に期待したい。

(文=nakamura omame)