藤井 風

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 藤井 風の新曲「満ちてゆく」がリリースされた。

(関連:【動画あり】藤井 風「満ちてゆく」ミュージックビデオ

 映画『四月になれば彼女は』の主題歌として書き下ろされた同曲は、「人生で初めてラブソングというものを書いてみようと意気込んでいました。しかし出来上がったものはこれまでずっと表現していたものの延長線上にありました」と本人がコメントしているように、これまでの藤井の楽曲を彷彿とさせるような、ピアノとボーカルが美しく絡み合った一曲(※1)。〈愛される為に/愛すのは悲劇〉といった歌詞で紡がれる、“愛”をテーマに扱った藤井 風流のラブソングだ。

 クラシックやジャズの素養に裏打ちされたピアノのタッチは、心に染み渡るようなディープな響きがあり、丁寧かつソウルフルなボーカルは、一音ごとに繊細な変化を見せ、全体的に聴き手の耳をやさしく撫でるような心地よさがある。なかでも、すべて日本語で綴られた歌詞は言葉運びが美しく、声に出して歌いたくなるような滑らかな筆致を見せている。

 楽曲の全体的な流れに耳を傾けると、序盤はピアノとボーカルだけの世界からはじまり、徐々にビートの合流などを経て、後半はサウンド面で大きな広がりを見せていく。シンプルな音世界が鮮やかに色づいていくなかで、とりわけ美しいのが、藤井自身が演奏しているシンセサイザーが登場する瞬間だ。このアナログテイストの温かみのある音色のシンセがゆっくりと上昇していくフレーズは、タイトルになぞらえれば、まさに“満ちてゆく”心を、音楽的に表現した箇所と言えるだろう。ここで文字通り心が満たされてゆくような、えも言われぬ独特の感覚を覚える。こうした伝えたいことを言葉だけでなく音でも表現する姿勢を見るにつけ、当たり前のことではあるが、彼は根っからのミュージシャンなのだと再認識させられた。

 歌う内容も深い。特に印象的なのは、サビの締めの〈手を放す、軽くなる、満ちてゆく〉というフレーズだ。曲を通して何度も繰り返されるこの一文は、心が“満ちる”までのある種の行程が順を追って描かれている。“満ち足りない時代を満たす歌”とでも表現すればいいだろうか。ここではそうしたテーマを、日本語がリズミカルに響く5音の連続で歌い上げる。〈手を放す〉、〈軽くなる〉、〈満ちてゆく〉と、言葉を最小限の文字数に抑えて、なおかつその一文字一文字に最大限の意味を込めて、聴き手にその行動を促すように歌われる。

 手放すことーーそれは簡単にできることではない。むしろ私たちは、何かを得たり欲しいものを手に入れることで気持ちよさを感じるものである。しかし、その欲求は尽きることがなく、それを失った時の心の傷は計り知れない。そこでこの歌は、物事にはすべて〈終わりが来る〉という視点に立ち、自ら〈手を放す〉あるいは〈差し出す〉ことで、身も心も軽くなり、すべてを受け入れられるようになると私たちに歌いかけるのだ。

 藤井のこうしたメッセージは基本的にデビューの頃から一貫している。執着を捨て、欲を断ち切ること。持っているものを手放すこと。このようなモチーフは、過去の彼の楽曲やMVでも描かれてきたし、今作に対する本人の「これまでずっと表現していたものの延長線上」というコメントからも窺い知れる。この曲はそうした彼の哲学が純度高く結実しているように思う。

 その一貫性は今作の制作クレジットにも表れていると言えるかもしれない。この曲は、プロデュースにYaffle、録音とミックスに小森雅仁、マスタリングに山崎翼といった、1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』~2ndアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』に携わった国内のクリエイターが再集結。録音も日本で行われている。近年発表された「Workin' Hard」や「花」といった楽曲は海外プロデューサーを迎えて制作されていたため、今作はある意味で彼にとって原点回帰で、以前までの作品と地続きにあると言えるだろう。

 そして、個人的には彼がアーティストとして無双状態に突入したような印象を受けた。今の彼なら、きっかけとなる“種”さえ受け取れば、常に高水準のアウトプットを生み出せるモードにいるように思う。もちろんそこには“種”との相性が必要で、今回の場合であれば主題歌となる映画の描くものと彼の哲学がフィットしたからこそ、こうした素晴らしい化学反応が生まれたわけだが、そうした条件さえ整えば、いつでも名曲を生み出し続けられるモードに入ったのではないかと感じた。今は活動を重ねるごとに彼の考え方や人間性、歌で伝えたいことが研ぎ澄まされていて、聴き手にわかりやすく、伝わりやすい形に洗練されている。以前よりも楽曲の解像度が上がり、はっきりと見えるようになってきた。今のこの状態の藤井 風に、何十曲でも何百曲でも作ってもらいたいくらいだ。

※1:https://realsound.jp/2024/03/post-1601177.html

(文=荻原梓)