港区であれば東京の頂点であるという発想は、正しいようで正しくはない。

人口約25万人が生息するこの狭い街の中にも、愕然たる格差が存在する。

港区外の東京都民から見ると一見理解できない世界が、そこでは繰り広げられる。

これはそんな“港区内格差”を、凛子という32歳・港区歴10年の女性の視点から光を当て、その暗部をも浮き立たせる物語である。

港区内で頂点を極めた者に与えられるキングとクイーンの称号。クイーンとなり、港区女子を卒業した凛子は、市原という男に声をかけられる。




-凛子さん、今日も良いお天気ですね。ところで明日の夜、ご都合いかがでしょうか?『ワギュウマフィア』へご招待したく。

佐藤のホームパーティーで出会った市原からのLINEは、思いのほか早くやってきた。

港区屈指の高級住宅地・永坂町に住む市原。年齢は38歳くらいだろうか。

今まで、何人もの男性に出会ってきたが、港区で出会う男性は共通して、ある種の香りがする。

野性味が溢れながらもどこか乾いた、オークのような、そんな香り...。

古い香水瓶に閉じ込めていたような独特の香りだが、一度その香りを覚えると、ふとした瞬間に懐かしく思い出す。

しかし市原からはそんな港区的な香りはまったく感じられなかった。だからこそ、掴みどころがなく、それがたまらなく凛子を不安にさせる。

-明日の夜は『ワギュウマフィア』へディナーに行ってきます。

出張中の雅樹にLINEを送ると、つまらなそうな返事が返ってきた。

-誰と行くの?会員じゃないと行けない店だよね?

男性のランクは行く店で測り知れる。店の予約方法、座席の場所、何より予約が取れない店に行けるか否かで一気に格差が広がる。

-美奈子が会員なの。

小さな嘘をついた自分に対し、チクリと胸が痛んだ。


港区で生きる男たちが見られている「レストラン内格差」とは?


港区に生息する男の、レストラン偏差値


実はこの店は、凛子が前々から行きたいと思っていた店だ。

会員制である上、現状その会員枠は残っておらず、知り合いを探さない限り入れない店として有名なのだ。

「市原さん、こんばんは。」

お店のスタッフとにこやかに会話する市原の顔を見ながら、一体この人は何者なのだろうかと考えを巡らせる。

“自称グルメ”という男性には死ぬほど出会ってきた。そして金に物を言わせ、高級店ばかり行く人、毎回決まった店に通いつめて常連になる人などいろんなタイプの男性を見てきた。

港区界隈に生息する男性は、レストラン偏差値が異様に高い人が多い。しかしその中でも、なかなか予約が取れない店の”予約が取れるか否か”という格差が確実に存在する。

『81』『ロースト ホース』『西麻布 くすもと』...東京、港区には予約を取るのが困難な店が点在している。

さらに、それだけではない。

例えば『鮨 さいとう』の大将の前の席に座れるのか、1年のうちに限られた期間しかオープンしない『浜藤』の予約が取れるか…。

お金では買えないセンスと人脈で、その格差は歴然としたものになる。

凛子は確信した。市原は、確実に港区内でトップの層に属している。

『ワギュウマフィア』の最高級神戸牛のシャトーブリアンに舌鼓を打ちながら、市原との出会いに感謝した。




「市原さんって、色々と美味しいお店を知ってそうですね。」

少し神経質な雰囲気の目をした市原が、不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。

「全然ですよ。僕はこの界隈のお店以外、まったく詳しくないですから。基本的に、遠いお店には興味がないんです。でも、それで十分なんです。だって、この界隈は東京屈指の名店揃いですから。」

市原の考えは、港区女子に似ていた。

皆キラキラした、高くて美味しいお店が好きだ。しかしそれが港区からタクシー代5,000円もかかるとなると、一気に行く気が失せてしまう。

「だから港区以外は専門外。銀座の方には行きますが。」

これぞ港区で生きている、港区内でトップにいる男の発言だった。


道を歩けばほぼ全員知り合い?!狭すぎる港区コミュニティー


永遠に抜け出せない港区というエデンの園


「凛子さんは、ご婚約されているんですよね?」

目の前のお肉に夢中になっていると、市原から不意をつかれた。

「ご迷惑でなければ、またお食事にお誘いしてもいいですか?せっかく良い店へ行くなら、美味しいものをきちんと知っている女性と行きたくて。」

何となく気まずくて、思わず薬指で輝いている婚約指輪をそっとテーブルの下に隠す。

「もちろんですが...婚約して以来、日々港区の毒が抜けていく一方で、面白味のない女性になっておりますよ。」

本当に、そうだった。婚約して以来、以前のように連日連夜出かけることもなくなった。

欲にまみれた街が急に色褪せて見え、以前のように港区の中心部へ繰り出すと少し疲れてしまう自分がいる。

それでも、港区から離れられないのは何故なのだろうか。

「凛子さん、まだまだ甘いですね。結婚しても、一度港区の毒牙にかかった人は、中々抜け出せませんよ。」

「え...どういうことでしょうか?」

「港区に生息する女性は、舌が異常に肥え、一流品に囲まれて暮らすことに慣れている。結果、中途半端な暮らしでは満足できず悩み続けるんですよ。」

市原の正論に、返す言葉を失ってしまった。

確かに、港区で生活していることに疲れることもある。だが、一度この街のレベルに慣れきってしまうと抜け出せないのだ。




港区に生息する人は必ず皆、どこかで繋がっている


会計を済ませ店を出ると、まるでもう梅雨が始まったかのような湿気に全身が包まれた。

“送らせてください”と言う市原と一緒にタクシーに乗り込もうとした瞬間、背後から聞こえた声に、思わず背筋がピクリと反応する。

「あれ、凛子さん?そして市原さん?なんで二人が一緒に?」

港区とは、なんと狭いのだろうか。

振り返ると、雅樹の後輩・慎也が立っていた。彼は港区で顔が広い、いわゆる“港区ジャック”の一人だったが、まさかこんな所で会うとは...。

一人を介せば、必ず誰かと繋がっている港区コミュニティー。

市原も誰かと繋がっているとは思っていたが、婚約者である雅樹の後輩と繋がっているとは何ともばつが悪い。

ただ食事に行っていただけで、決してやましいことはしていないが、凛子にとってプラスとは言えない。

「さすが凛子さん、未だに現役ですね。」

慎也はそう言うと、ニヒルな笑みを浮かべて去っていった。



しかし結果として、店に入る前後にも別の知り合い二人に見られており、そして何と店内にも凛子のことを知っている人がいたことを後日知った。

-そうだ、港区のキングとジャックたちは皆繋がっているんだった...。

港区の中心部から離れ、少し勘が鈍っていた自分を悔いる。皆どこかで繋がっている、狭すぎるコミュニティー。

港区を歩けば5分に1人の確率で知り合いがいることを、すっかり忘れていた。

話題の美味しい店には、上層部が集まる...それが港区の鉄則だったことを改めて凛子は実感した。

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