これなら思いきりぶつけられる……車いすがくれたものとは?いろいろな活動ができ、世界が広がり、優しい人間になれた
【中編】私たちは普通の家族、悩みや葛藤は誰もが抱えていてそれを乗り越えると誰にもGIFTは届くから続く
「僕が車いすになったきっかけは23歳、バイクの交通事故でした」
こう話すのは、前出のクラブチーム「AXE」に所属し、「日本車いすラグビー連盟」広報委員会普及コンダクターも務める峰島靖さん(47)。
ドラマ『GIFT』では、選手役を演じるキャストの細かな動きから技術指導まで、車いすラグビーに関する監修を担ったほか、劇中の試合中継のシーンでは解説者役で出演もしている。
「バイクで青信号を直進していたら急に右折車が……。目の前に白い車が飛び込んできたのは、なんとなく覚えていますが、ぶつかった瞬間の記憶はありません。次に気づいたのは事故の3日後、病院のベッドの上でした。
その後、主治医から『この先は車いすの生活になる』と。ただ、僕の場合は完全麻痺ではなく、不全麻痺という診断で、手足も少しは動かせたんです」
1チーム4人で構成される車いすラグビーでは、障がいの程度によって各選手に「持ち点」が付与される。峰島さんのように比較的障がいの程度が軽い選手は「3.5」や「3.0」という大きな点が付く。「ハイポインター」と呼ばれ、攻守にわたってコートを動き回る。
対して、のちほど登場する倉橋香衣さん(35)のように「0.5」「1.0」といった小さな持ち点を付与される障がいの重い「ローポインター」は、主に相手選手をブロックする役目。
コート上の4人の合計点を「8.0」以下で編成しなくてはならないことから、障がいの程度が異なる選手、さらには男女も混合で個性、特性の違う選手たちで一つのチームを作るのが、この競技の特徴だ。
「同じ頸髄損傷でも、首から下へストンと伝達がいかない人もいれば、僕のようにまばらに麻痺が残るケースも。だからこそ、僕は医師の診断を受けたときも『この先、数年は車いすでも、いずれは治るのでは』と高をくくっていたんです。でも、実際にはもう20年以上、車いすが手放せない生活です」
事故に遭う前、峰島さんは家電量販店に勤めていた。
「家電が大好きで商品をお客さんに説明、販売するというのがすごく楽しくて。天職だと思っていましたし、続けていきたかった」
だが、車いす生活になったことで、その夢は絶たれることに。
「接客中、手狭なバックヤードに車いすで入って商品を探したり、棚の上の品物を取ったりってことは、正直難しくなってしまった。『もう、自分には無理だよな』と」
諦めた夢と引き換えにするように出会ったもの、それが車いすラグビーだった。埼玉・所沢の「国立障害者リハビリテーションセンター(以下、国リハ)」に入院中の、部活動の一つだった。
「医師から『また頸髄がダメージを受けた場合、症状が悪化する可能性も』と言われていたので、当初、車いすラグビーは避けていました。
でも、同室の友人から何度も『一緒にやろうよ』と誘われ『一回ぐらいなら』と。いざやってみて、ドーンとタックル受けてみたら全然、大丈夫で。
むしろ、ふだんの生活では味わえない衝撃が心地よく、面白くて。以来、のめり込むように現在まで続けています」
やがて連盟の仕事にも従事、普及活動にも尽力してきた彼のもとに、ドラマ監修の依頼が舞い込む。
「びっくりでした。『VIVANT』のような壮大な作品のイメージが強かったので。『あの日曜劇場で車いすラグビーがドラマに!?』と。普及コンダクターとしてうれしい気持ちはもちろんですけど。驚きのほうが断然、大きかった」
持ち点「3.5」の峰島さんは、ドラマで山田裕貴演じるチームの司令塔「宮下涼」に近いプレースタイル。いっぽう、円井わん(28)演じる「君島キャサリン秋子」と同じローポインターなのが、前出の倉橋さん。持ち点は「0.5」だ。
■「ほんまに金や、やっぱり銅より綺麗やな〜」
「ドラマ? もちろん見てます。ただ、こんなこと言ったら申し訳ないんですけど、ドラマ制作に協力してる選手や連盟の人がちょいちょい出てくるので。『あ、いまの誰々や!』みたいな、そんな楽しみ方をしてしまっていて。正直、物語が頭に入ってこない(笑)」
兵庫県出身。高校まで体操一筋に過ごしてきた倉橋さんは、埼玉県内の大学に進学後、「体操と同様、宙返りができるから」とトランポリンを始めた。そして20歳、人生を変えてしまう事故に遭う。
出場した大会でのウォームアップ中、バランスを崩して頭から落下し頸椎を脱臼骨折。脊椎の脳にもっとも近い部分の中枢神経(頸髄)を損傷してしまったのだ。
待ち受けていたのは四肢麻痺という厳しい現実。“生来の楽天家”を自認する倉橋さんは「なってしまったものはしゃあない」と真正面から受け止めた。
しかし、母の思いは違った。一般病棟に移ったころ、倉橋さんは母からこう告げられたという。
「そもそも私が体操を勧めたから、あんたはトランポリンもやって事故につながった。私のせいや……」
涙ながらに語る母の言葉を、彼女は「なんで?」という思いで聞いていた。
「体操は好きやったし、体操で首を鍛えてたから生き延びれたんやと思うし、頸髄損傷になったあともこうして動けてるのも、リハビリ頑張れたのも、体操してたおかげやと思ってたし……」
きついリハビリも彼女らしく前向きに取り組んだ。復学を目指し、峰島さんも入った国リハに。そこで目にしたのが、車いす同士を激しくぶつけ合う、車いすラグビーの練習風景だった。
「それまで体験した競技では、車いすを慎重に操作するよう求められたので。『いいな?、ぶつけても怒られないんや。これなら、思いっきりぶつかれる。やってみたい!』って思いました」
こうして、倉橋さんは車いすラグビーを始めた。2017年には、日本代表に女子選手としてただ一人抜擢され、東京、パリと2大会連続でパラリンピックにも出場。金メダリストへと上り詰めた。
「パリで金をとった瞬間は……、いまいちだった自分の試合内容が気になってしまって。『金メダルや!』と喜ぶ前に、『こんな感じか』って(苦笑)。
でも、表彰式で金メダルが目の前に運ばれてくるのを見て『ほんま金や、やっぱし(東京大会で獲得した)銅より綺麗やな〜』って。そこで、初めて喜びをかみしめました(笑)」
車いす生活になって獲得できたものについて「たくさんありますよ」と笑顔を見せたのは峰島さんだ。
「なにより今回、ドラマの制作に関われたこと。堤さんや山田さんともお話しさせていただきましたから。
車いすになって、マイナス面はもちろんありますが、それだけじゃ終わらなかった。塞ぎ込んでいたら、何も起こらなかったかもしれませんが、僕は車いすラグビーを通じ、いろんな活動ができました。
それは、僕の人生にとってもすごくよかったと思っていますし、いろんなGIFTをもらえたんじゃないかと思います」
倉橋さんは「私のGIFTは、知らなかった世界を知ることができたこと」と話す。
「きっと健常のまま生活してたら、何も知らないままでした。以前の私は、障がいのある人が目に入っていなかったというか。自分が車いすになって初めて、世の中にこんなにたくさん、車いすの人がいるってことに気がついた。
それだけじゃなく手がない人、耳が聞こえん人、目が見えん人、そういういろんな人が当たり前にそこにいるってことに気づけたこと、そうして自分の世界が広がったことがGIFTだと。結果、私は昔よりもきっと、優しい人間になれたんじゃないかなって思うんです」
(取材・文:仲本剛)
