高市ナフサショックで「中小企業から順に倒れる」…それでも“足りている”を繰り返す政府との議論がかみ合わない理由
「ナフサは足りています」その言葉を聞いて、安心した人もいるかもしれない。たしかに劇的な欠品が多発しているわけではない。しかし、減税インフルエンサーのオオサワ・キヌヨ氏は疑問を投げかける。「政府が足りていると言い続ける間、流通の末端では小さな異変が積み重なっている。安心するのではなく、何かがおかしいと感じた人の感覚は正しい」工場の棚から在庫が静かに消えていく。じわじわと、確実に----。
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数字からみえる「政府が情報を管理しようとする意図」
経産省の資料によれば、平時(2024年平均)の国内ナフサ需要は月約280万キロリットル(kl)だった。内訳は国内精製が約110万kl、中東からの輸入が約120万kl、それ以外の輸入が約45万klである。
ホルムズ封鎖後、中東からの輸入はほぼ消滅した。政府は代替調達を急ぎ、5月には中東以外からの輸入が135万klを超える見込みだと発表した。
国内精製110万kl+代替輸入135万kl=245万kl。平時の280万klには35万kl、約13%届かない。
政府はこれに対し「川中製品の在庫を含めれば4ヶ月分以上ある」と説明する。しかしここに見落とされがちな前提がある。
去年も在庫はあった。在庫を足して比較するなら、昨年は280万klの供給に加えて在庫分もあったはずだ。条件を揃えれば、前年比で供給量が減っていることは数学的な事実である。政府自身が公表したデータから導かれる結論だ。
「足りている」は嘘ではないかもしれない。しかし何を足して何を引いた上での「足りている」なのか。その計算式を示さないまま「大丈夫」と繰り返す言葉には、情報を管理しようとする政府の意図が見え隠れする。
問題の本質は「量」から「価格」へ移行した
ホルムズ封鎖以来、農水省・経産省は消費財メーカーや食品業界など川下の各業界に対して、ヒアリングや意見交換を重ねてきた。政府側の説明は一貫している。「総量は確保できている」「流通の目詰まりは認識している」「前年同量の発注を守ってほしい」。
しかし民間企業から共通して聞かれる声は、量の問題より価格の問題だ。容器・フィルム・副資材の仕入れコストが軒並み上昇している。印刷インクの溶剤から梱包用フィルムまで、あらゆる副資材に影響が及んでいる。なぜコストが上がるのか。
コストを価格に転嫁できない。中小企業から順に倒れる
財務省の貿易統計(2026年4月分)が示す通り、ナフサを含む揮発油の輸入量は前年比37.7%減なのに輸入金額は前年比2.0%増だ。輸入単価が約1.6倍に高騰している。
中東以外からの調達では喜望峰ルートを経由するため輸送日数が通常より14日増加し、燃料コストは1.5倍に跳ね上がる。
いま企業の間ではこんな言葉が広がっている。
「量はなんとかなっても、コストを価格に転嫁できない。このままでは中小企業から順に倒れるぞ」
なぜ転嫁できないのか。ただでさえ物価高だった市場に、さらに値上げをすれば消費者が買わなくなるからだ。
しかしそれは消費者が強欲なのではない。国民負担率が5割近くに達した日本では、税と社会保険料に所得の半分近くが消えていく。財布の底が見えている消費者に、コスト上昇分を転嫁できる余地はほとんど残っていない。
中小企業が苦しむ根っこには、ナフサ危機だけでなく、長年積み上げられてきた国民への負担増がある。
問題の焦点は「供給量の不足」から「価格転嫁の困難」へと、着実に、しかし確実に移行している。政府の「足りている」という言葉は、この移行を覆い隠している。
そしてそのしわ寄せは決まって弱い側に向かう。危機のたびに体力のある大手が有利となり、中小零細が淘汰される「寡占化」が静かに進行しているのだ。
今の日本社会には、二つの考え方がぶつかり合っている。
一方は「情報公開派」だ。ナフサ供給が前年比で不足しているなら、不足は不足と認めた上で、各自がやれることをやるべきだという立場。もう一方は「情報統制派」だ。不足を認めるとパニックが起きる。パニックを防ぎながら管理的に乗り越えるべきだという立場である。
「とりあえず大丈夫と言っておく」ことに慣れてしまった政府と国民
コロナ禍で「自粛」と「給付」を経験した日本では、後者の考え方が強くなっている。政府も国民も、「とりあえず大丈夫と言っておく」ことに慣れてしまった。しかし民間企業から繰り返し聞こえてくる声がある。「大丈夫と言われるほど不安になる」。その言葉は、情報管理の限界を突いている。
そもそも、情報統制はもはや成立しにくい時代だ。政府が「足りている」と言っても、SNSには「6月に枯渇する」という情報が飛び交い、逆に「全然問題ない、騒ぎすぎだ」という声も拡散する。
情報の空白は、デマで埋まる
無理に情報統制しようとすればするほど、真逆の情報が乱立し、かえって人々の不安と混乱を増幅させる。情報の空白は、デマで埋まる。デマが生まれやすいのは偶然ではない。
民主主義が機能するための第一の条件は「公開による透明性」だ。情報を管理すれば短期的に混乱は防げるかもしれない。しかし人々は受動的になり、やがてすべてを政府に依存するようになる。
自分で考えることをやめた社会は、次の危機に対してさらに脆くなる。税と社会保険料に所得の半分近くが消えていく国で、さらにコスト上昇分を価格に転嫁しろというのか。
民間企業が苦しむ構造も、政府が情報を抱え込む構造も、根は同じだ。「国民自身がやるか、政府が管理してやるか」という問いである。
政府が情報を管理的に分配する社会では、国民の判断力は育たない。正確な情報が開示されてはじめて、人は自分の頭で考え、自分の足で動ける。パニックになろうが何しようが、まず情報は公開するべきだ。それが民主主義の出発点である。
民主主義とは、すべての国民が政治に参加する平等な権利を持ち、自らの生活に関わる事項を自分で選択できる仕組みだ。そのためには、判断の根拠となる情報と知識が必要であり、自分の考えを政治に反映させる機会が保障されなければならない。
情報の公開は、その大前提である。「足りています」の一言で思考を止めさせることは、民主主義の根幹を侵食する。
政府にしかできないことをやれ
とはいえ、情報公開と民間の努力だけでは越えられない壁がある。SNSが乱立する情報の混乱を見れば、「情報統制派」の敗北はすでに明らかだ。
しかし「情報公開派」が勝利したわけでもない。正確な情報がなければ、判断しようがないからだ。結局どちらの側も満足のいかない結果になっている。
エチレン生産設備の稼働率が67.3%まで落ちた根本原因は、ホルムズ海峡が封鎖されているからだ。代替調達が進んでも輸入単価は1.6倍。在庫が積み上がっても、それは消費されるだけだ。ヒアリングをいくら丁寧にやっても、補助金をいくら積み上げても、蛇口が閉まった状態では根本解決にならない。
政府が本当にやるべきことは、その蛇口を開けることだ。つまり和平外交である。
自由な貿易のできる世界を取り戻すこと。それは外交権を持つ政府にしかできない、そして今政府に最も求められている仕事だ。
危機を乗り越える唯一の道
国と国の間で交渉し、紛争を終わらせ、航行の自由を回復させることは、政府にしかできない。補助金や給付金を配ることは国民の支援とは言えない。結局、後から国民が負担させられるからだ。
必要な情報さえそろえば、自分の考えで動く人たちが流通の現場のあちこちにいる。ヒアリングで終わらせるな。補助金で黙らせるな。情報を集め、開示することは全業界にアクセスできる政府にしかできない仕事だ。その上で、国民が自分で動き始めることが、この国がこれからも何度も起きるだろう危機を乗り越える唯一の道である。
文/オオサワ・キヌヨ
