写真はイメージ

写真拡大

 かつて、男たちは歴史小説で「生き方」を学んだ。とりわけ司馬遼太郎の作品に登場する人物たちは、時代の閉塞を打ち破る“理想のリーダー像”として、多くの読者を魅了してきた。『竜馬がゆく』の坂本龍馬、『坂の上の雲』の秋山真之や正岡子規。彼らは既存の枠組みにとらわれず、信念と行動力で時代を切り開く存在として描かれる。

【こちらも読む】本田宗一郎氏に松下幸之助氏も…なぜ成功している人は掃除を大事にしているのか?

 だが、令和の今、その“ヒーロー像”は以前ほどの説得力を持たなくなっているという。まず1つは、「個の力で時代を変える」という物語そのものが、現実とかみ合わなくなっていることだ。

 歴史家・静岡文化芸術大学教授の磯田道史氏は司馬が考えるリーダー像について、過去にNHKの番組で「合理主義と使命感を持ち、『無私』の姿勢で組織を引っ張ることのできる人物だった」と述べている。しかし現代社会は、むしろ「調整」と「合意形成」の積み重ねで動く。企業でも政治でも、カリスマ一人が物事を動かすことが主流ではなくなった。

 実際、ビジネスの現場では「一人の英雄」よりも、「再現性あるチーム」が重視される。個人の突破力よりも、仕組みやプロセスの整備こそが評価されるのだ。そうした環境において、龍馬のような“型破りな異端児”は、残念ながらリスク要因として見られかねない。

 2つ目は、「失敗や負の側面を排除した人物像」への違和感である。司馬遼太郎の筆致は、人物の魅力を引き出す一方で、その影の部分を相対的に薄く描いていると受け取る読者も少なくない。だが現代の読者は、SNSやドキュメンタリーを通じて、成功者の裏側や矛盾にも敏感だ。

 グーグルの幹部が一緒に働く予定の人たちに対する自己紹介動画を作成した際、一方には自分の弱さを打ち明けた言葉を入れ、もう一方にはその発言部分を削除したバーションを作成し、2つのグループに分けて見せたという逸話がある。

 その結果、自分の弱点を打ち明けるスピーチを聞いた人たちは、語り手が本当の自分を見せていると感じて、好感を持ったそうだ。弱点をさらけだした成功者の方が、受け入れられているのだろう。

 3つ目は、「解が一つの時代」から「正解のない時代」への変化である。司馬作品の多くは、明治維新や日露戦争といった“歴史的転換点”を舞台にしている。そこでは、「何をすべきか」という方向性が比較的明確に描かれる。しかし現代はどうか。

 働き方、キャリア、価値観……どれを取っても唯一の正解は存在しない。むしろ複数の選択肢の中で揺れ続けることが常態化している。

 その結果、「こう生きればいい」という明快なロールモデルは、かえって受け入れにくくなった。読者はヒーローに“答え”を求めるのではなく、“迷い方”や“折り合いのつけ方”に共感するようになっている。

 さらに言えば、時代は「強さ」よりも「しなやかさ」を求めている。司馬遼太郎の描く人物たちは、強烈な意志と行動力を持つ一方で、どこか直線的だ。しかし現代社会では、変化に適応し続ける柔軟性や、他者との関係性を調整する力のほうが重要視される。

 とはいえ、司馬遼太郎の価値が失われたわけではない。 むしろ彼の作品は、「かつて日本人が信じていた理想」を鮮やかに映し出している。

 一方で、いま求められているのは、時代を変えるヒーローではなく、揺らぎの中で折り合いをつけて生きる力。だからこそ、その距離に気づいたとき、司馬遼太郎は少し違って見えてくるのかもしれない。

(河合良成/ライター)

  ◇  ◇  ◇

 近代社会で成功した経営者は何が違うのか? 関連記事【こちらも読む】本田宗一郎氏に松下幸之助氏も…なぜ成功している人は掃除を大事にしているのか?…もあわせて読みたい。