「バイト2つ辞めてきたよ。どうすんの?」。漫才コンビとしてデビューするも鳴かず飛ばずで、しまいにはチロさんからのこのひと言。追い詰められたゴンさんとチロさんの運命を変えたのが、日本の一等地・銀座で遭遇した「食べかけのホットドッグ」と高級車「ジャガー」でした。理屈じゃない、万国共通の笑いでいまや世界的な活躍を見せる、お笑いグループ・ビックスモールンのボディーアート誕生秘話です。

【写真】アメリカの女子高生から世界中で大バズりした持ちネタ「鳩時計」ほか(全15枚)

運命を引き寄せた「食べかけのホットドッグ」

── それぞれの体格を活かしたアクロバティックな動きの形態模写「ボディーアート」を得意とするビックスモールン。唯一無二の芸ですが、初めて生み出されたのは銀座の地だったとか。

ゴンさん:そうなんです。僕、本当は昔から漫才が好きで、とにかく漫才で人気者になりたいって思っていたんですね。2001年、チロと漫才コンビを組んでデビューしたんですけど、売れなかった。お金もなくて貧乏で、風呂なし・トイレ共同のアパートに住んでいて。チロは当時、バイトを2つかけもちしていたんですが、僕がイライラして「何?バイトをしに東京に来たの?」ってチロを責めたことがあって。僕が26歳、チロは24歳だったんですけど。

そうしたら、次の日、チロが「バイト2つとも辞めてきたよ。どうすんの?」って言ってきたんです。チロに偉そうなことを言った手前、あとに引けなくなって。思わず「銀座だよ。これから銀座行くよ」って言っちゃって。

1996年に漫才コンビとしてデビュー。芸歴30年目のゴンさん

── なかなか唐突ですね(笑)。なぜ銀座だったんですか?

ゴンさん:

よくわからないけど、東京ですごいところって銀座なのかなと思って。「銀座で漫才してお金をもらうんだよ」って言って。250ccのバイクをチロが運転し、僕が後部座席に乗って、二ケツして行ったんです、銀座に。

そういえば、くりぃむしちゅーの上田さんが当時近所にお住まいだったらしく、僕らを目撃したことがあったようで。「おっ、チロは背もたれ付きのハーレーダビットソンに乗ってんのか!? と思ったらゴンだったよ」と、のちに言われたことがあります(笑)。

それで、つばのある帽子を道端に置いて、漫才でお金を入れてもらうことにしたわけです。でも全然、人は足を止めない。お金をいただけたとしても、結局、1円玉や5円玉くらいしか入れてもらえない。そうすると、チロがどんどん不機嫌になってきて、「どうすんの?これじゃ家賃払えないんだけど」って。僕も「たしかに。やべえな」と。

そんなときに、僕らの前に現れた酔っ払いが、「兄ちゃんたち、腹減ってんのか?」って、食べかけのホットドックを帽子にぽんって入れたんですよ。それで、次の瞬間、チロがバッとそのホットドックをつかんで。投げつけるのかと思ったら、食べちゃった。

予想外の行動に口あんぐり開けていましたが、ホットドッグを「まだあったかい!ゴンも食べる?」と言いながらガツガツむさぼるチロの姿を見て、「そんなお腹空いてたんだなぁ。このままじゃマズいよな」と心底思いました。

そのとき、まわりを見渡して視界に入ったのが、高級外国車のジャガー。当時、ボンネットの先にジャガーの形をしたエンブレムがついてたんですけど、それを見て「もしかしたら、できるかもしれない」ってふと閃きました。それで、「何これ?何やんの?」と訝しげなチロに小声で説明して。酔っ払いが僕たちの前を通り過ぎたときに「いまだ!」とばかりにチロを持ち上げて…。

── まさか…!

ゴンさん:そう、「ジャガー!」って叫びながら、エンブレムを体で真似してみせたんです。そんな僕たちを見た酔っ払いが、今度は帽子に500円玉を入れてくれて。「銀貨だ!」って大興奮しました(笑)。その後、別のお客さんたちからも帽子にお金が入ったので、「これだ!」と確信したんです。

ボディーアートは、人を一瞬で笑顔にする

── 奇跡の瞬間ですね。そこでボディーアートをやろうと決めたんですか?

ゴンさん:そうですね。体を合体させるボディーアートって、人を瞬く間に笑顔にするなって思ったんです。僕はずっと漫才が好きで、漫才にこだわっていたけど、全然おもしろくない漫才で、お客さんにはしかめっつらをさせてしまっていた。

でも、ボディーアートなら一瞬で笑顔になってくれる。銀座で、僕とチロでつくったジャガーのエンブレムがお客さんにウケたとき、「今の時代には、年齢、性別、国籍関係なく、誰にでも通じる笑いが求められてるんだ」って確信したんです。言葉が通じなくても、言葉がなくても、笑える、笑い合える。理屈じゃなくて。見て、その場ですぐ笑える。

海外では、「wannabes(なりたい人)」として、多くの国で活躍。右からグリさん、ゴンさん、チロさん

── たしかに、ボディーアートなら、誰でも視覚的に笑えるし、笑いを共有できそうです。

ゴンさん:そうなんです。ちなみに、そのあと、ふたりで牛丼を食べに行ったんですけど、あの味は今でも忘れられないですね。当時、牛丼が280円とかの時代でしたが、ボディーアートでいただいたお金で、あったかい牛丼を食べて。本当にうまかった。

こんなふうにして僕たちのボディーアートができました。それ以来、僕たちの目標は、「ボディーアートで世界を笑顔にする」なんです。

話さなくなるほどテレビの出演回数が増えて

── ゴンさんとチロさんが漫才からボディーアートに方向転換したいと思ったとき、周りから反対はされなかったんですか?

ゴンさん:当時のマネージャーや事務所は、僕たちのコントに期待もしてくれていたので、驚かせてしまいましたけど、最終的には理解してくれたと思います。本当は漫才で活躍することも楽しみにしてくれていたと思うので、頑張らなきゃという思いで、ボディーアートで走り続けました。

その後、しばらくして僕たちの代表作ともいえる「鳩時計」が生まれました。ちなみに、鳩時計で動いている鳥は、本当はカッコーらしいんですけどね。でも、チロは「鳩時計で世界平和」っていつも言ってます。

ボディーアートの「鳩時計」の面白さは世界共通。言葉はいらない

ボディーアートをしているときは無口に近いんですけど、僕の好きなおしゃべりがどんどん減っていくのに比例して、テレビ出演が増えていくという(笑)。

好きな漫才を芸にしていたときはテレビに出たくても出られなくて、「どうしてテレビに出られないんですか?」って事務所の偉い方に直談判に行ったこともありました。そこでこっぴどく叱られたのですが…。今はほとんど言葉を発しないボディーアートのほうがウケるし、自分たちも確固たる自信がある。不思議なものだなぁと思います。

取材・文:たかなしまき 写真:ゴン