「カーボンニュートラル」は見掛け倒し!? 「グリーン」なものを買う余裕のない人々を責める上級市民たち

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環境保全は誰のため? リサイクル、再生可能エネルギー、カーボンオフセット―。

すべて超富裕層が潤うための虚偽、巨大マネーのためのグリーン・ビジネスだった!

「サステナビリティ・クラス」とは、高学歴で可処分所得と意識が高い「いい人」たち。エコや倫理的正しさをSNSでアピールし、「環境」を意識した高額商品を買う余裕がある中流階級だ。彼らが「地球の未来のためだ」と思ってやっていたことは、実はグリーン・ビジネスに加担し、弱者を追いやり、格差を広げる原因になっていた……。新たな植民地主義ともいえる「グリーン・ビジネス」の実態を、豊富なデータをもとに明らかにした著書『欲と偽善のサステナビリティ』。サステナビリティの名のもとの「欲と偽善」を、気鋭の研究者が暴くセンセーショナルな意欲作より、一部の章をピックアップしてご紹介。

カーボン市場のいい人ごっこ

効率性を重視する考え方の基盤は、利益の高いカーボン市場だ。この市場は2021年に最高記録の8510億ドルまで膨らんでいる。現在カーボン市場では、企業は保有するカーボンクレジットの量に応じて炭素排出枠の取引が可能だ。しかし、規模もレベルも未曽有の気候危機に直面している今、求められているのは、本来なら最も論理的かつまともな対応であるはずの「排出量の厳格な上限設定」ではなく――オルタッハーとシーズの決まり文句を借りれば――「恐れにとらわれるな」なのである。「裏口」からカーボンクレジットに投資しつつ、正面玄関は化石燃料投資のために大きく開け放ったままにすることなのだ。

2人が話すように、アポカリプス投資は「技法でもあり、科学でもある。シーズのようにのんびりとしたペースで取り組もうと、オルタッハーのように熱心に取り組もうと、収益性が高いことは間違いないし、誤解を恐れずに言うなら、少し楽しくもある」。

何か環境に悪いことをしようとしているのではないか? いやいや、問題ない! カーボンクレジットを買えばいいだけのことだ――1単位のカーボン、例えば二酸化炭素1トンを大気から取り除いて、他のどこかで排出される二酸化炭素1トンと取引する。ご名答! これで後ろめたさもなくなる。排出分は魔法のように「なかったこと」になるのだから――少なくとも理論上は。排出された大量の炭素と隔離された大量の炭素が同じものだという前提に基づけば、炭素取引は実際にあり得る話だが、あくまで仮定の話にすぎない。つまり、投資家が商品を買わない限り、カーボンクレジットの購入を約束しなくていいのだ。

リワイルダーの場合で考えてみよう。リワイルダーの説明では、NFTを購入すると、たとえ購入分でカーボンネガティブになったとしても、カーボンオフセットに投資したことになる。だが、ダメージが後でオフセットできるなら、そもそもダメージを与えないようにしようという考えは生まれない。これは実に言い得て妙だ。現状で一番いい思いをしている人に環境問題のソリューションがあるわけがないのだから。あってもせいぜい問題をどこかに移動させることくらい。ちょうど掃除のときに埃を敷物の下に隠すようなものだ。これまでのところ、炭素排出量は(すべて計画通りであれば)、カーボンニュートラルになるが、ネット排出量の削減は依然として実現には遠い。この削減こそ、現在必要とされているものなのに。

「持続可能への移行の最前線にいる」というふり

カーボンクレジットの世界では、ほとんど規制のないボランタリーカーボン市場(VCM)で個別に取引されるオフセットの人気が特に高まりを見せており、オフセットが取りざたされる前には脅威にさらされる可能性などなかったであろう森林地の価値が上昇している。個人も、航空会社やクルージング会社、テック企業、石油生産者などの企業から何かを購入するときに、追加でオフセットを購入すれば排出量を相殺できる。VCMはエコロジ社のようなオフセット業者を数多く生み出してきた。

エコロジは、デジタル配信サービスのスポティファイや民泊仲介サービスのエアビーアンドビー、決済プラットフォームのストライプ同様、大規模なベンチャー資金の調達に成功したことで、「サステナビリティ界のスポティファイ」だと自称している。エコロジでオフセットすると、かわいらしいアニメーションが表示されて、自分だけの森を育てているような気分になり、利用者は「なんていいことをしたんだ」と自己陶酔する。エコロジの思惑通りだ。

植樹で罪の意識が消えるなら楽で簡単な話だが、実際の業務は複雑で、数多くの仲介業者が存在する。エクスパンシブ社のような、大規模な決済機能付きマーケットプレイスもその一部で、こうした企業がカーボン価格やさまざまなオフセットパッケージについて継続的に最新情報を提供し、何億ドルという資金をリアルタイムで動かしているのだ。

ゴールド・スタンダードやベラのようなカーボンクレジット認証機関が証明するのは、カーボンクレジットが本物で透明性があり、測定・説明が可能であること、さらには、過去に実際、森林破壊や炭素排出活動を防いでいたことである。しかしこうした認証プロセスは、大半が森林の喪失や炭素の純増の脅威を難解な計算式で算出したものに基づいており、人とクレジット該当地域とのこれまでの関係を考慮することもなければ、プロジェクトが原因となり、社会的格差や社会的葛藤がこれからも続くことを考慮することもほとんどない。

認証機関にとって一番の課題は、カーボンオフセットが真っ当なものだと信じてもらえるようにすることだ。しかしながら、そう信じてもらうのはなかなか容易ではない。カーボン市場の多くは、森林伐採の回避を踏まえたものだ。つまり、企業は、森林伐採を止めるための対価としてクレジットを受け取ることができる。基本的に、クレジット事業者が脅威にさらされている森林があると主張すれば、対象の森林を買い上げて、その森林で暮らす人々やコミュニティを立ち退かせることでオフセットが成立するのだ。

例えば、米国ワシントンDCに本社がある世界屈指の認証機関ベラが9ヵ月をかけて調査を実施した結果、自社で発行したほぼ1億件におよぶカーボンクレジットのうち94%が、炭素削減には実質的に貢献していない、ずさんな「ファントム(亡霊)」クレジットであることが判明した。そのクレジットから生じたカーボンオフセットはその後、ディズニーやイージージェット、シェル、ロックバンドのパール・ジャムなどに販売されたが、こうした企業は、グリーンウォッシュだと明らかになったものを顧客に与えたことになる。

つまり、「自分たちは持続可能への移行の最前線にいる」というふりをして見せたのだ。森林に起因する脅威は実際よりも約400%も多く申告されており、森林やその周辺で暮らす人たちは根拠のない非難を過剰に受けている。オフセットは、森林で暮らす世帯に対して、深刻な人権侵害や住居破壊、強制退去を強いたのだ。貧しい家庭に対しては環境に害を与えていると簡単に非難できるのに、なぜ石油会社や航空会社は野放しなのだろうか。責任を問われるどころか、社をあげての言い逃れPRが称賛されるというのはどう考えてもおかしい。

市場のグリーンな製品やサービスは見掛け倒し

気候変動の効果的な対応策としてオフセットが本末転倒な例は他にもある。フランスの石油会社トタルエナジーズは、コンゴ共和国キュベット地方の炭素が豊富な熱帯林と湿地で石油掘削を行おうと狙いを定めている。この森林の下は炭素を貯蔵する広大な泥炭地で、閉じ込められている炭素の量は330億トンを超える。これは世界の炭素排出量の3年分に相当する。この地にはローランドゴリラや絶滅危惧種のマルミミゾウなど、数多くの生物が生息しており、石油を掘削するために森林を伐採すれば、炭素排出の影響はその何倍にも膨れ上がるだろう。とはいえ、トタルがコンゴ共和国の他の場所で10万エーカーに4000万本の植樹を行い、35年をかけて550万トン以上の二酸化炭素を吸収する炭素吸収源を作り出してくれるのだから、良心の呵責など感じる必要はない――そんなふうに言われているのだ。

効率化は、現状を打破するものとして高く評価されることがある。例えばブロックチェーンは、分散型であり、仲介者や煩わしい手続きを割愛して、生産者と消費者の取引を大いに加速させると言われている。確かにその通りだ。しかし、それのどこが現状への打破であり、メインストリームから外れた動きであるというのだろう? それこそ、レーガノミクス〔訳注:1980年代レーガン政権が行った経済政策。大規模減税と規制緩和でインフレ抑制を目指したが、財政と貿易、双子の赤字を招いた〕の規制緩和以来、メインストリームの人たちがこぞって探し求めてきたものなのではないか? 今や反体制的、自由奔放な行動こそ、現状維持なのだ。

純粋性・革新性・効率性というPIEのマインドセットに共通しているのは、善意に基づいているように見えるけれど、意図して排他的であることだ。ほとんどの人は費用の関係で参加できない。だから「グリーンな行動を取る」ことはそのまま階級の問題になるのだ。サステナビリティを階級の問題に変えるという気配を漂わせようものなら、それだけでこの上なく危険である。そこにはたいてい、道徳的優越性といった類の感情が生じるからだ。優越感があると、「グリーン」なものを買う余裕がない人たちをさりげなく責め始める。それよりも多く見られるのが、環境問題を人口増加のせいにすることだ。今や世界中で、生活に最低限必要なモノやサービスを入手するのにかつてないほど大きな格差が生じているというのに。米国の平均的な冷蔵庫の年間電力消費量が、バングラデシュの平均的な市民が年間で使用する電力消費量よりも多いことを考えると、人口過密よりも階級問題の方がはるかに、生態系の危機に関係しているのは明らかだ。

市場のグリーンな製品やサービスが見掛け倒しであることは多くの人が気付いているはずだ。本当の変化を実現するのが難しいあまり、たいてい「今のところ、これが最善策」と妥協する。しかし、最近の洪水や熱波、殺人台風、大西洋・メキシコ湾流の推進力低下といった報道に接するたび、嫌でも突きつけられる厳しい現実がある。今ある最善策は単に不十分なだけでなく、事態を悪化させて逆効果になるという事態だ。(翻訳:保科京子)

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