「泣くな!」“負けたら終わり”の日々は、神童をどう変えたのか 恐怖と葛藤を抱えた那須川天心が師匠と歩んだ茨の道「病んで、どうしようもない時もあった」
己に鞭を打った原点回帰
実にドラマチックな展開だった。4月11日に行われたボクシングのWBC世界バンタム級挑戦者決定戦で、同級2位の那須川天心(帝拳)は、元世界2階級制覇王者で、同級1位ファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)を撃破。10ラウンド開始直前に相手が棄権を申し出る、まさかの形で白星は舞い込んだ。
「泣くな! いいか! 笑えよ」
【画像】那須川天心、両国熱狂の再起戦 エストラーダとの激闘を厳選ショットで見る
突然、訪れた歓喜の瞬間、セコンドについた葛西裕一氏から、そう言葉を投げかけられ、天心は、どうしようもなく押し寄せる感情の波をグッと堪えた。口をムッと結んだ目には確かに光るものがあった。
天心にとって、感情が揺さぶられるほどの過酷な戦いだった。
そもそもマッチメイクからしてシビアではあった。WBCの指令が少なからず影響していたとはいえ、いわゆる再起戦において、敗れるリスクのある相手と組むのは異例だった。エストラーダは年齢を重ね、パンチのキレや耐久性が最盛期を過ぎているとはいえ、依然として世界のトップランカー。過去50戦をこなしているキャリアを考えても、天心陣営は茨の道を歩んだと言える。
その背景には、復活を印象付ける意味で「強い姿を見せたい」と願う本人の飽くなき想いがあった。昨年11月の井上拓真戦は「本当に経験の差でやられた」と振り返ったように内容で完敗。判定決着となったとはいえ、ボクシングの深みに飲み込まれ、地力のなさを露呈した。
だからこそ、自らが「崖っぷち」と表現した井上戦からの日々で天心は己に鞭を打った。原点回帰を図るために、ボクシング転向以来、あらゆるスタイルを模索した粟生隆寛トレーナーとのコンビを解消。新たに自身がキックボクシング時代に、ボクシングスキルの指導を受けていた、帝拳OBでもある葛西トレーナーを師事し、近接戦での脆さを徹底的に叩き直した。
無論、「(再起戦までに)時間がなかった」と証言する葛西トレーナーのトレーニングは「荒療治」。天心が「自分のことが信じられなくなったりとか、たくさんのことがあった」と振り返るほどの過酷さを極めた。
「本当に、自分の精神とか、自分のなんかやってきたことを、全て崖から落とされた。スパーをやってもずっと怒られるし、ずっと納得いかないしみたいな。ライオンって、子どもを成長させる時に、崖から落として『這い上がってこい』みたいなのあるじゃないですか? 今回はそれを試合の1週間ぐらい前までずっとされてた感じでした。だから、本当にメンタルも、心も、身体もずっとボロボロの状態だった」
徹底的に鍛え上げられる中で「生き甲斐」を見出した
ポッキリと心がくじけてもおかしくはなかった。おそらく「これ以上は無理かもしれない」と思う日もあったはずである。そんな葛藤の日々にも「やっぱ人は何かになりたかったら、狂気にならないと絶対にいけない時がある」と本人の覚悟はブレなかった。
だが、勝ちに心の底から飢えていた天心にとって、葛西トレーナーによるスパルタ指導の効果は抜群だった。
徹底的に鍛え上げられる中で「生き甲斐」を見出したという27歳は、序盤に出方を伺っているエストラーダに対して、葛西トレーナーが「自分も落とされそうになった」と舌を巻いたボディを炸裂。動きの中で、スッと踏み込んで打つパンチの強度は、これまでとは一変。いわゆる手打ちではなく体重の乗った威力のあるものとなった。
持ち前の俊敏性を利したフェイントを入れながら、左右の揺さぶりもかけた。4回から距離をグッと詰め、反撃を狙った百戦錬磨のレジェンドは、打ち終わりを狙ったノーモーションの右カウンターで逆転を狙った。しかし、「普段だったらそこで引いていた」という天心は、守勢に回ることなく応戦。「やっぱ練習で、ずっと葛西さんだったり、会長だったり、チームでしっかりと今回はしっかり、ガードを固めて、前に出るときも考えてやった」と真っ向から対峙し、凌駕した。
起死回生の反撃も実らず、次第に防戦一方となっていく中で、焦るように前に出たエストラーダにとって、天心が「練習から倒れるパンチ、これだったら効くっていうパンチがたくさんあった」と自画自賛した波状攻撃は想像以上の破壊力を持っていたはずである。実際、強烈なボディで肋骨を2本も折られた百戦錬磨の元世界チャンプは、自らセコンドに「棄権」を訴えた。相談を受けた陣営が「もうこれ以上続けるのは止めよう」と決断した頃には、すでに心は折れていた。
「相手はエストラーダですからね。彼も調子は悪くなかった。それでも圧倒したんで、今日は合格点じゃないですか?」
打たれた“出る杭”
絶望の底から這い上がった。
井上に格闘技キャリア55戦目で初めて喫した敗北。自ら認めた地力不足で負けた結果に、世間は驚くほどシビアで、そして冷ややかでもあった。
伝統や文化を重んじるボクシング界にあって、敗北後もバラエティー番組などのメディア出演を続けた天心は、“出る杭”のようになっていた。ゆえにアンチからの「ほれ見たことか」と言わんばかりの壮絶な批判を浴びた。目の当たりにした現実に「肩書を捨てて、自分の名前だけで生きてみろって言いたい」とフラストレーションをこぼしもした。その5か月間に「本当にメンタルが病んで、どうしようもない時もあった」という。
そうした状況でエストラーダと対峙し、「やっぱ不安なものも出てきたりとか、いろんな葛藤って言うんですかね。それはちょっと怖かった」と恐怖心も芽生えた。
負けたらどうしよう――。そんな重圧も重なり、ボロボロになった心を繋ぎ止めたのは、何だったのか。
試合後、天心は「どんだけピンチでも、やっぱ一発当てれば勝てるんだっていうところを、しっかり磨いてきた」という自信がモチベーション維持の鍵となったと証言している。
「やっぱ、人に負けを晒すって怖いじゃないですか。僕は失敗だとは思わないですけど、人前で負けるってやっぱ失敗だと思うし。人前で大恥をかくっていうのは怖いことだと思う。だけど、挑戦してる人とか、日々をしっかりと送ってる人、一生懸命やってる人しかそういうことってできないと思うから。応援してくれてる人に同じことを、もう一回、(負けから)起こすっていうのは、ちょっと本当に嫌だったんで。そういった人のためにも絶対に負けられなかった」
今回の勝利で5月に行われる井上と井岡一翔(志成)の勝者との王座挑戦権を獲得した。「全部のパンチがもっと繋がっていくと、早い段階でチャンスも来る」という葛西トレーナー曰く課題は山積している。チャンピオンベルトを手にするまでの道は、依然として険しい。
それでも、今の天心には、敗北を知った強さがある。ここから「どんどん強くなる」と公言する神童に興味は尽きない。
[取材・文/構成:羽澄凜太郎=ココカラネクスト編集部]



