3代目山口組組長が実現した「やくざの使命」とは何か…衰退する暴力団とは大きく異なる「半世紀前の山口組」の実像
かつて20万人もの構成員を擁した暴力団。
覚せい剤の輸入や賭博、みかじめ料の徴収で莫大な収益を上げ、1980年代の年間収入は推計8兆円に達したと言われる。だが平成に入って以降、暴対法の制定や警察の行き過ぎた捜査、メディアによる批判的な報道が原因となり、暴力団は衰退の一途をたどってきた。
では、暴力団が社会から消えていくことは、我々一般国民にとって「良いこと」だけなのだろうか?しばし「必要悪」として語られてきた“やくざ”の実態を、『やくざは本当に「必要悪」だったのか』より一部抜粋・再編集してお届けする。
【前編を読む】山口組上層部で繰り広げられる「いじめの構造」…権力闘争に注力する幹部が招いたのは「組員が食えない」悲惨な状況だった
3代目組長・田岡一雄の至言
話は戻るが、3代目組長・田岡一雄は自伝の中でこう記している。
〔3代目山口組組長への〕襲名に先だって、わたしは3つのことがらを実行しようと肚にきめていた。
一つは各自に職業をもたせてやることである。
極道がバクチだけで生活をたてていく考えはもう古い。バクチはどう考えても利のある生活の手段ではない。確率からいっても、とるよりとられるほうが大きい。つまらぬことではないか。バクチのために女房子供まで泣かせるとあっては、もはや極道の風上にもおけぬ愚か者といってよい。
日本が新しく生まれかわったと同時に、極道も生き方を変えていくべきではないのか。それには各自が正業をもつことである。
魚屋でもいい、喫茶店でもいい、駄菓子屋だっていいではないか。一応生活の安定があれば悪事に走る者はすくなくなるはずだ。生活の貧しさ、心の貧しさが悪の道へ走らせることを、わたしはこれまでにいやというほどみせつけられてきたのだ。〔略〕
みんなにも、まず正業を与えてやることこそ、わたしの第一の使命である。
田岡時代の山口組組員の正業
田岡の記す言葉は平凡だが、至言だろう。「若い者が食っていける」が一般社会でもやくざの世界でも組織の基本である。まさしく「組員が食える」が暴力団首領の大義であり、第一目標でなければならない。田岡は「組員に正業をもたせる」を言葉だけではなく、実践してきた。ちなみに兵庫県警の取扱注意の捜査資料『広域暴力団山口組壊滅史』を見ると、田岡時代の山口組組員の正業が記されている。
舎弟頭:松本一美 アパート経営、キャバレー営業、大日興業監査役、大映トルコ社長。
舎弟:岡精義 3友企業社長(船内荷役)、神戸生コン運輸社長、中西工務店など5社の取締役、甲陽運輸(船内荷役)など3社の監査役、中西商店責任社員。
舎弟:安原武夫 安原運輸(船内荷役)社長。
舎弟:松本國松 神崎新地で売春宿4軒、スタンド、氷卸商、白タク、金融業神崎殖産株式会社等を経営、尼崎の園田競馬場で持ち馬15頭を有する筆頭馬主。
舎弟:藤村唯夫 大阪・南道会の創始者、首領、一時ミナミでバー「ゼロ」を経営。
舎弟:三木好美 不動産金融・南栄商事を経営。
若頭:地道行雄 神光工業(株)取締役、喫茶店「扉」、麻雀荘「万山荘」経営。
以上が田岡時代のいわゆる「7人衆」である。「7人衆」は山口組の最高諮問メンバーといってよく、抗争が発生したときには、事業が盛んな者は戦費の調達にも応えた。
次に若頭補佐を紹介する。
若頭補佐 梶原清晴 船舶清掃業の第一工業(株)取締役。
若頭補佐 山本健一 有限会社山本重機社長(中西工務店の下請)。
若頭補佐 山本廣 上栄運輸(船内荷役)監査役。
若頭補佐 中山美一 藤海運(船内荷役)現場監督。
若頭補佐 白神一朝(英雄) 大阪芸能プロダクション社長。
若頭補佐 小田秀臣 金融業の小田商事、貸植木業、債権取立、小田マンション経営。
若頭補佐 小田吉一 山波建設興業社長。
田岡時代の山口組組員はご覧のようにほとんどが何かしらの事業を営み、また勤めている。「正業」を持っているわけだ。
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