周囲の森林を全て伐採された泣塔。鉄パイプとネットで囲いがされている=19日、鎌倉市寺分

 鎌倉幕府滅亡の古戦場で死者を弔ったと伝えられ、鎌倉市指定有形文化財「泣塔」の立つ丘の雑木林が2月に市に伐採された。変わり果てた姿に市民や歴史愛好家らがショックを受けている。市教育委員会は丘の崩落を防ぐためと説明するが、野ざらし状態の山肌がさらに風化を招く懸念も指摘される。地元には古くから不吉ないわくも残されている場所だけに“たたり”を心配する声まで上がっている。 

 再開発事業が進められる深沢地区。市役所新庁舎の建設予定地に近接する約9メートルの丘を覆っていた400本以上の樹木が全て伐採されていた。

 中世の横穴式墳墓「やぐら」だった岩盤には切り株が張り付き、ひび割れてぼろぼろの状態。やぐらの前に立つ泣塔は鉄パイプで囲まれている。「草木一本も生えていない場所に、泣塔が“おり”に閉じ込められている」と怒る市民もいる。

 泣塔の周辺は1333年、鎌倉幕府に攻め込んだ新田義貞の軍勢と幕府軍が激突した洲崎合戦の古戦場とされる。諸説あるが、幕府滅亡の二十三回忌に当たる56(文和5)年に泣塔が建立されたことから、戦没者供養のためといわれる。

 一説では過去に青蓮寺(同市手広)に移した時に夜な夜なすすり泣く声が聞こえたという伝承が名前の由来となった。地元では泣塔に関わる人々の不幸も語り継がれており、「鎌倉市史」(1959年)にも泣塔について「祟(たた)りありとされて移動を禁ぜられている」と記されている。

 泣塔周辺は戦前、旧海軍工廠(こうしょう)が置かれ、戦後に旧国有鉄道大船工場になった。旧国鉄が編さんした「大船工場三十年史」(76年)によると、旧海軍が山を切り崩して工場を建設する際に事故や異変が起こり、泣塔のある場所だけは残すようにした。さらに旧国鉄が66年、「文化財を長く保護しよう」と杉苗400本を植樹したという。