年金繰下げ受給はやめとけ…税理士が「年金は60歳から受け取ったほうが得」と言い切るワケ
長寿化が進む日本では、老後の貴重な収入源である年金を増やす方法として「繰下げ受給」が注目されています。令和4(2022)年4月からは繰下げの上限年齢が70歳から75歳に引き上げられるなど、国としても繰下げを勧めているようです。しかし税理士・公認会計士で税理士法人グランサーズ共同代表の黒瀧泰介氏は「年金は60歳から受け取ったほうが合理的」と断言します。その理由とは……詳しくみていきましょう。
一見“お得”にみえる「繰下げ受給」のリスク
まず、日本の公的年金制度は「2階建て構造」になっています。1階部分が国民年金(老齢基礎年金)、2階部分が厚生年金(老齢厚生年金)です。
自営業者は1階部分のみですが、会社員や公務員は老齢基礎年金に加えて老齢厚生年金を受け取ることができ、将来もらえる年金額が多くなります。
年金は原則65歳から受給できますが、60歳から75歳までの間で開始時期を自由に選択可能です。ただし、一度決めた増減率は一生変更できません。
65歳を基準に、早くもらうと年金が減額され、遅くもらうと増額されます。繰上げ受給の場合、1ヵ月早めるごとに0.4%減額され、最大の60歳0ヵ月から受給すると60ヵ月(5年)早まるため、0.4%×60=24%減額され、本来の76%しかもらえません。
反対に繰下げ受給は、1ヵ月遅らせるごとに0.7%増額され、最大の75歳まで(120ヵ月)繰り下げると0.7%×120=84%増額されます。
数字だけ見ると繰下げ受給のほうが得に思えますが、単純ではありません。むしろ、単純に「受給額の最大化」だけを考えるのは危険です。
健康寿命との関係
厚生労働省のデータによると、日本人の平均寿命は男性約81歳、女性約87歳とされています。他方、健康寿命(健康上の問題なく日常生活を送れる期間)は男性約73歳、女性約75歳です。
つまり、平均寿命と健康寿命の間に男性で約8年、女性で約12年のギャップがあります。年金受給を増やすために70歳や75歳まで繰り下げても、その時点で体が動かない状況だと、旅行や趣味などに有効活用できる期間が極めて短くなってしまうのです。お金があっても体が動かなければ意味がありません。
繰上げ受給が「合理的」といえる理由
さらに損益分岐点にも注意が必要です。60歳から受給した場合と65歳から受給した場合の総額が並ぶのは、およそ79歳となります。つまり79歳より早く亡くなってしまうと、60歳から受け取っていたほうが、受給総額が多くなるというわけです。
ちなみに、70歳開始なら81歳以降、75歳開始なら86歳以降で65歳開始より総額が多くなります。
長生きすれば最終的には得になりますが、健康寿命が70代前半であることを考えると、体が元気な60代のうちにキャッシュを受け取って豊かな人生に使ったほうが合理的といえるでしょう。
繰上げ受給は「物価高に対する資産価値の保全」の効果も
近年、物価の上昇が続いています。日本銀行は消費者物価の前年比上昇率2%を目標に掲げていますが、実際に近年の上昇は著しいです。
こうしたなか、公的年金には物価や賃金の変動に合わせて給付額を改定する仕組み(マクロ経済スライド)があるものの、少子高齢化で現役世代の負担が重すぎないよう調整されるため、インフレ分をそのまま反映せず、実質的に目減りする可能性があります。
つまり、年金を繰り下げて額面を増やしても、激しいインフレが進めば実質の価値は期待ほど増えないかもしれない、というわけです。
それなら早く現金として受け取って自分で株や投資信託などで運用したほうが、複利効果で減額分を補って余りある利益が期待できるでしょう。
将来的な制度変更への対策
日本の年金制度は少子高齢化の進展で、支給開始年齢の引き上げや給付水準の抑制が見直されてきました。
かつて厚生年金の支給開始年齢は55歳でしたが、段階的に60歳、そして65歳に引き上げられてきたという経緯があります。そのため、将来的にさらに引き上げられる可能性もあるでしょう。そのため、もらえる権利があるうちにもらっておいたほうが確実です。
制度が変わって後悔するより、現行制度で確実にキャッシュを手に入れておくほうが、リスク管理として優れているといえるのではないでしょうか。
決断する前に…繰上げ受給「減額以外の」デメリット
続いて、繰上げ受給のデメリットをみていきましょう。
在職老齢年金による減額リスク
60歳以降に厚生年金を受け取りながら働く場合に注意したいのが、在職老齢年金です。報酬月額と年金の基本月額の合計が一定額を超えると、年金の一部または全額が支給停止されます。
ちなみに在職老齢年金の基準額は、2025年度は51万円でしたが、2026年度からは62万円に引き上げられました。
たとえば、賃金46万円+老齢厚生年金10万円の場合、2025年度では51万円を超えた分の半額(2万5,000円)が停止され、実際に受け取れる年金は7万5,000円になりますが、2026年度からは全額受給可能です。
障害年金や遺族年金の受給権喪失リスク
次に、繰上げ受給を開始すると、その時点で65歳に達したものとみなされ、障害基礎年金の事後重症による請求ができなくなるリスクです。
また、65歳になるまでの期間は遺族年金と老齢年金を同時に受け取れず、妻が繰上げ受給している場合、寡婦年金も受け取れません。
任意加入や追納ができなくなる
60歳から年金を受け取ると、国民年金に任意加入したり、過去の未納分を追納して年金額を増やしたりすることができなくなります。
繰上げ受給に「向いている人」と「そうでない人」
まとめると、60歳からの繰上げ受給は以下のような人に有効です。
■健康に不安がある人
■早めにキャッシュを確保したい人
■60歳以降の収入がそれほど多くなく、在職老齢年金の停止を受けない人
反対に、長生きリスクを優先して最大額を確保したい人は、65歳または繰下げ受給が適しています。
ただし、繰り下げたことで年金額が増えても、所得税や住民税、社会保険料の負担が増すため、手取りベースの増加率は額面ほど大きくならない点に注意が必要です。
年金を受け取るタイミングは、手取りベースの受給額を慎重にシミュレーションし、個別の状況に合わせて判断してください。
黒瀧 泰介
税理士法人グランサーズ共同代表/公認会計士・税理士
