「甲州」の歴史自体は千年以上と長いのですが、ワイン造り自体は明治時代から始まっていますからそんなに長くありません。醸造家として、まだまだ改善できるところがあるというふうに思っています。

 最初に家業に入った時期は父がすごく大変そうだったので、支えになれればという気持ちでした。それは弟も同じだったのではないかと思います。

 ─ 弟さんもワイン造りに携わっているわけですね。

 彩奈 はい。弟は北海道・千歳でワインを造っています。もともと父が北海道で営んでいた醸造所を譲り受けまして、今は分社化しています。弟も、やはり父の思いを受け継いでいます。

 ─ 小さい頃から両親、あるいは祖父母の方の働く姿を見て、自らもワイン造りに傾いていったんですか。

 彩奈 はい。子どもの時からワインづくりには憧れがあって、醸造所で働くのが好きでした。

 弟は現場に入らせてもらえていたのですが、私はラベル貼りやボトリング作業が多く、弟が跡取りになると思っていました。初めてブドウが発酵しているシーンを見た時に、すごく神秘的に感じました。

 どうして昨日まで甘いジュースだったものが、急にアルコールになっているのかと。それが本当に魔法のようで魅了されたのが、この道に入った原体験です。

 ─ それから醸造学を学ぶためにフランスのボルドー大学に行かれますね。

 彩奈 ええ。ボルドー大学で教鞭を執られていた醸造学者の著名な教授が、日本に来られて、「甲州」を造るというプロジェクトがあったんですね。

 その指定醸造所に弊社が選ばれ、教授のワイン造りを身近で見させていただきました。

 今まで私が知っていたワイン造りと全然違うものだったので、すぐ教授にボルドー大学に興味がありますという話をして、留学のご縁をいただくことができました。

 ─ 留学時、ボルドー大学の現地の人たちは、日本産ワインをどう評価していましたか。

 彩奈 そうですね。20年前のその頃は、日本酒の酒蔵の娘だと思われていたんですね。ワインというのが日本にあるという概念がなかったのです。なぜボルドー大学に留学したのかと聞かれたときに、家業でワインを造っていることを言うと非常に驚かれました。皆、日本酒(SAKE)のことだと思い込んでいました。

 ─ 現地で勉強することで、より意欲も高まりましたか。

 彩奈 ええ。やはり実際留学して目から鱗のこともありました。その後、世界のワイナリーに修業にも出ていきましたが、世界に行くほど「甲州」への思いが強くなりましたし、同時に自分自身のアイデンティティを突き付けられていたようにも思います。

 海外に行くと、女性の醸造家も少なく、アジア人女性の醸造家もマイノリティーですから、自分だからこそできることは何だろうと考えていましたし、自分と、同じようにマイノリティーな品種である「甲州」を重ね合わせることも少なくありませんでした。

 ─ 昔と比べ、今は女性醸造家も地元の山梨でも増えてきていますね。

 彩奈 ええ。私が子どもの頃はゼロだったのが、今は両手で数えるくらいまで増えました。

 祖父や父のスピリットを受け継いでいきたいと思っています。ワイン造りというのは、本当に時間がかかります。1代でできることは限られていまして、そんな中で祖父や父たちがワイン造りに人生を懸けてきた姿は、すごくまぶしく感じていました。





今後のビジョンは


 ─ 今後、日本のワインを世界にどう発信していきますか。