昭和の総裁選はもっとドロドロだった…札束が飛び交う「田中角栄vs福田赳夫」の勝敗を決めた重要人物の名前
■バラマキの田中vs理想主義者の福田
6月17日、佐藤栄作総理は自民党両院議員総会で総理大臣を退任する表明をした。いよいよ、田中角栄と福田赳夫との決戦の火蓋が切られたのである。

佐藤派の福田支持グループは、「周山会」あらため「周山クラブ」を結成した。昭和44年初当選組は44人いたが、そのうち最初から明確な福田支持にまわったのは森喜朗一人だけであった。ほかにも村田敬次郎、松本十郎、山崎平八郎、笠岡喬、國場幸昌、中島源太郎の6人が福田を支持した。
しかし、そのなかには他派との掛け持ちや沖縄の国政参加を見てあとからきたメンバーもあった。田中は1年生議員に手厚く金をばらまいた。
「旅行に行くのに必要だろう」
「親父が死んだんだろう。何かと物入りだから、持ってけ」
田中は、そうやって何かのたびに理由をつけては票集めに動いた。
森は福田を担ぐことに決めていたので、そのような田中陣営の動きに腸が煮えくり返る思いがしていた。森は当時、福田の護衛隊として福田に張りついていた。なにしろラグビーで鍛えただけあり、体がでかい。「福田のボディーガード」と言われて頭にきたこともある。森は、福田の傍でさまざまなことを学んだ。森が予想していた以上に福田が理想主義者であることを見せつけられた。
■森喜朗の提案に「馬鹿者!」と激怒
あるとき、車に乗り込むや、森は福田に憤懣をぶちまけた。
「田中陣営は次から次へといろんな手を使って抱き込みをはかっています。福田先生もやられっぱなしじゃなく、少しは金を使われたらどうでしょうか」
すると福田は激怒した。
「馬鹿者! おまえ、1年生議員にしてそんな考えで政治をやっているんなら、先が思いやられるぞ。情けない」
福田のあまりの怒りように、森は驚き、身を引き締めた。
■佐藤総理は「君子の争い」を求めた
佐藤総理は、退陣表明2日後の昭和47年6月19日、自民党本部の総裁室に田中と福田の2人を招き、総裁選の対応について話し合った。
佐藤は、この席で初めて具体的に、田中と福田に総裁選に臨む態度についてふれた。佐藤は、大きな眼を剥いて、身を乗り出すようにして言った。
「君たち2人はこの佐藤を支えてきた二本柱だ。総裁選はあくまでも君子の争いでやってもらいたい。2人が協力しなければ自民党はだめになってしまう。どちらが総理総裁になるかわからんが、2人のうち、どっちが1位になろうとも、2位が1位に協力するということでやってほしい。ここで約束してもらいたい」
佐藤は「1位協力方式」を提案した。佐藤は福田のために考えていた。
〈福田は田中に追いつめられてはいる。しかし、福田が1位になる目はまだ十分にある。2位の田中が決選投票を辞退してくれさえすれば、やり直し投票で田中票を福田票に合算させればいい。福田が過半数を制することができる〉
佐藤はさらに考えていた。
〈もし田中が第1回投票で1位になっても、おれの考え出した方式でいけば実質的には「田中・福田内閣」となる。反主流との野合を阻止することができる〉
福田は、険しい表情を緩めて、これ幸いとばかりにただちに賛成した。
「総理の意見に従わせてもらいます」
■三木、大平と手を組んだ田中の「隠し玉」
一方、田中は複雑な表情でコップに手を伸ばした。水を飲みながら思った。
〈おいそれと福田に有利な変則調整を呑めるか〉
田中は、すでに三木、大平との三派連合の話し合いを進めていた。三木とは手を握っていた。もちろん盟友の大平とは連携して福田の孤立をはかるよう誓い合っていた。ここで何も福田に有利になる方式を受け入れる必要はなかった。
仮に第1回投票で福田1位、田中2位になっても、よほどの大差がつかない限り、3位以下の大平、三木両陣営の票を合わせれば、いわゆる「2、3、4位連合」で田中の勝利は不動になる。田中は曖昧に答えることにした。
「まあ日本人の心情としては、そういうことでしょうな」
田中はそう答えて、そばにいる福田をチラリと眺めた。
〈いつまでも佐藤総理の力を恃んでいるようでは勝ち目はないぞ〉
実は、田中はさらなる隠し玉も持っていた。
〈大平、三木だけでなく、中曽根もすでにおれの陣営に巻き込んであるのだ。あとで泡を吹かんことだな……〉
■田中と同級生、同期だった中曽根
中曽根康弘は大正7年5月27日、群馬県高崎市に生まれた。田中と同じ年、同じ月の生まれである。東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省。戦後は、警視庁警視監察官を務めたが、田中と同じ昭和22年の選挙で初当選する。河野派に属して昭和40年に領袖の河野一郎が死去すると、中曽根派を率いるようになる。

福田は、佐藤や田中との会談を持った6月19日の夕方、赤坂プリンスホテルの福田事務所で駆け込んできた自派の議員から思わぬことを聞いた。
「大変です。中曽根が、出馬を断念して田中支持の意向を固めたそうです!」
福田の顔が強張った。
〈もっとも悪いことが起こってしまった〉
議員は続けた。
「午後2時に中曽根が自民党本部の総裁室で佐藤総理にはっきりと田中支持を打ち出したそうです」
「理由は何だ?」
■「次の次」を見据えての田中支持
議員は親しい記者たちから耳にした3つの理由をあげた。
「まず、田中、福田両陣営の勢力を計算した結果、仮に福田先生が第1回投票で1位になったとしても、決選投票で過半数を獲得することは、かなりむずかしい、ということだそうです。2番目は、中曽根派内も田中支持色が濃く、派内は田中支持のほうがまとめやすいためだそうです。3番目は、田中、福田両勢力がほぼ互角に見える現在、田中支持を打ち出し、中間派に『雪崩』の要因を与えれば、中曽根派がイニシアチブをとって田中勝利をもたらすことになり『次の次』を狙ううえで、党内的に有利な地位を得る布石となる、ということだそうです」
福田は腕を組み宙を睨み据えた。
〈わたしが甘く考えすぎていた〉
福田は長い間、中曽根派の城代家老の野田武夫を通じ、協力を得るために工作をしてきた。中曽根自身は別として野田をはじめ、稲葉修、櫻内義雄、山中貞則ら中曽根派の幹部は全員自分を支持してくれると信じていた。支持してくれない幹部は大石武一ただ一人と信じ込んでいた。さらに中堅の倉成正、藏内修治も自分の支持者だと思っていた。大勢は自分に傾いていると疑っていなかった。
ただ6月7日にパイプの太かった野田が急死した。その頃から動きに変化が起きていたのだ。それなのにまだほかの幹部とのパイプが残っている……と安心しきっていた。「佐藤総理も中曽根を口説いてくれるだろう」と都合よく考えていた。
■佐藤総理の「布石」は効果なし
中曽根は、佐藤内閣ができてから一時、反佐藤であった。ところが昭和46年7月5日に中曽根総務会長が実現した。このときは福田も佐藤から相談を受けたが、前日まで中曽根総務会長という話はなかった。野田武夫総務会長、保利茂幹事長、小坂善太郎政調会長、という体制で決まっていた。それが一晩のうちにひっくり返り、朝、いきなり中曽根総務会長になった。福田も驚いた。
そのあと佐藤総理が福田にささやいた。
「あれでいいんだよ。あれは一つの布石だよ……」
佐藤から福田へ政権を渡すための配慮であった、と福田は信じていた。

総裁選が近くなったときも、佐藤は中曽根に会い、要請を続けていた。
「一つ、福田君を助けてくれ」
そういう佐藤総理の動きに呼応しながら野田武夫が中曽根派を固めていく。すべては思いどおりに進んでいる、と福田は思い込んでいた。
■中曽根派に多額のカネがばらまかれた
一応キャスティングボートを握ったかたちの中曽根派には衆参で40人の議員が所属している。その40票が自分に加わった場合と、逆に田中に40票がまわった場合では80票の違いになる。福田は票読みしていた。
〈中曽根が仮に中立だというふうに考えると、田中の基礎票は、佐藤派の38票だけだ。わたしのほうは佐藤派22人、わたしの正式な派閥である福田派(紀尾井会)36人。合わせて58票ある〉
さらに福田は、中間派も自分につくと考えていた。だが、これも甘かった。
福田は、4、5日前に、中曽根の立場を代表するある議員がやってきて言った言葉をあらためて思い出していた。
「福田さん、中曽根君はあなたに協力したいんだ。それには中曽根君を幹事長、または大蔵大臣にするという約束ができないか?」
福田は、それに対してはっきりした返事をしなかった。
〈あれが中曽根の態度決定に影響を持っていたにちがいない〉
中曽根の態度を知らせてきた議員が言った。
「田中が、中曽根派の一人ひとりに1000万円の金を配ったという噂もあります。そのほかに派閥の運転資金として1億円、そのうえ、さらに1、2億の金を配り、6、7億円も渡したといわれておりますよ」
■「福田・中曽根会談」は急遽中止に
福田はあらためて自分の甘さに舌打ちした。と同時に新たな懸念が芽生えた。
〈中曽根派の動きにより、椎名(悦三郎)、水田(三喜男)、船田(中)の中間派各派が田中支持で動かねばいいが……〉
中曽根は最初「自分は福田でいく」と言明していた。大詰めになり、福田・中曽根会談がおこなわれることになっていた。つまり、その席で福田と中曽根がエールの交換をすることになっていたのである。
ところが中曽根側から突然その会談を断ってきた。森喜朗は察した。
〈中曽根さんは田中支持に決めたな〉
一方、田中の“刎頸の友”といわれた国際興業社主の小佐野賢治も、全力で田中を総理総裁の座につけようと動いているという噂が永田町を走っていた。問題は中曽根康弘をいかに取り込むかであった。田中の総裁選のために小佐野が使った金は、30億、いや、その倍の60億とも囁かれていた。
中曽根攻略のために小佐野はもってこいの人物にも接触した。右翼の大立て者の児玉誉士夫だった。児玉は河野一郎と親しかったため、河野派の中曽根とも親密な関係であった。中曽根は一時期、児玉の秘書の太刀川恒夫(のちに東京スポーツ新聞社長)を秘書としてあずかったこともある。
小佐野は、児玉を通じて中曽根を田中陣営に抱きこもうとしていた。
■「金を積むなんてことは、とんでもない」
6月21日になると、中曽根は「立候補せず、田中支援」と新聞で表明した。福田はそれでもなお「いや、まだ脈がある……」と思っていた。だが、しばらくして、中曽根から「お会いしましょう」と言ってきた。森は確信した。
〈中曽根は確実に田中と決めたな。断りの挨拶のために会うだけにちがいない〉

森は、福田の車に同乗して、中曽根の待つホテル・ニューオータニの選挙対策本部に向かった。森は福田に進言した。
「中曽根をこちらにつけなければ勝てませんよ。しょうがないからよく言われているように金でも積んではどうですか?」
福田は一喝した。
「馬鹿なことを言うな! 総裁選で金を積むなんてことは、とんでもないことだ。若い君がそんなことを言っちゃいかん」
■人事の事前約束も「すべきではない」
森も「なんとかして福田を総理に」と必死であった。引き下がらなかった。
「しかし、みんなそうやってるじゃないですか」
福田は、聞く耳持たぬ、という厳しい表情であった。

「では金がだめなら、幹事長のポストを約束したらどうですか?」
「総裁になる前から人事の約束はできない。そんなことはすべきではない。第一、すぐに中曽根君を推していいかどうか、わからんじゃないか」
「別にすぐに幹事長にしなくても、いいじゃないですか。任期中に、何回か改造があるからその何回目かに幹事長に据えればいいじゃないですか」
福田は憤然として言った。
「とにかく、そういう年寄りくさい、つまらんことを言うな。これ以上言うんだったら、車から降りろ!」
森は説得を諦めた。その一方で、福田の潔癖さに敬服もした。
〈福田さんは本当に理想家なんだな〉
■「五五角」の扇子で田中を応援
ホテル・ニューオータニの中曽根派の選挙対策本部で、福田・中曽根会談がおこなわれた。会談中、中曽根の秘書の上和田義彦が森のところに来て、申し訳なさそうに口にした。
「森さん、もう決まっているんだよ。田中に決めたんだよ。だから、一応ご挨拶をしているんだよ」
中曽根は、その直後、田中陣営に馳せ参じて、やおら壇上の田中に向かって手にした扇子を振って気勢をあげた。その扇子には将棋名人により「五五角」の揮毫(きごう)がしてあった。「五五角」とは将棋の天王山ともいわれ、攻守どちらにもきく強烈な一手である。それを「GO! GO! 角」になぞらえて応援したわけであった。中曽根お得意のパフォーマンスであった。
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大下 英治(おおした・えいじ)
作家
1944年、広島県に生まれる。広島大学文学部を卒業。『週刊文春』記者をへて、作家として政財官界から芸能、犯罪まで幅広いジャンルで旺盛な創作活動をつづけている。著書に『安倍官邸「権力」の正体』(角川新書)、『孫正義に学ぶ知恵 チーム全体で勝利する「リーダー」という生き方』(東洋出版)、『落ちこぼれでも成功できる ニトリの経営戦記』(徳間書店)、『田中角栄 最後の激闘 下剋上の掟』『日本を揺るがした三巨頭 黒幕・政商・宰相』『政権奪取秘史 二階幹事長・菅総理と田中角栄』『スルガ銀行 かぼちゃの馬車事件 四四〇億円の借金帳消しを勝ち取った男たち』『安藤昇 俠気と弾丸の全生涯』『西武王国の興亡 堤義明 最後の告白』『最後の無頼派作家 梶山季之』『ハマの帝王 横浜をつくった男 藤木幸夫』『任俠映画伝説 高倉健と鶴田浩二』上・下巻(以上、さくら舎)、『逆襲弁護士 河合弘之』『最後の怪物 渡邉恒雄』『高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿』『映画女優 吉永小百合』『ショーケン 天才と狂気』『百円の男 ダイソー矢野博丈』(以上、祥伝社文庫)などがある。
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(作家 大下 英治)
