『パリピ孔明 THE MOVIE』©︎四葉夕ト・小川亮/講談社 ©︎2025 「パリピ孔明 THE MOVIE」製作委員会

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 『ヤングマガジン』連載中の人気漫画をドラマ化した、2023年秋ドラマ『パリピ孔明』(フジテレビ系)。中国・三国時代の天才軍師、“孔明”こと諸葛亮(向井理)が現代の渋谷に転生し、アマチュアシンガーの月見英子(上白石萌歌)の軍師(マネージャー)となり、歌の力と智謀知略で「天下泰平」の世を目指すといった奇想天外なストーリーと、現役のアーティストたちが次々に登場してパフォーマンスを見せるといった趣向が反響を呼んだシリーズだ。

参考:上白石萌歌がSaucy Dog提供楽曲を歌う 『パリピ孔明 THE MOVIE』予告編&本ポスター公開

 そのドラマシリーズのストーリーに続く展開を映画化した、『パリピ孔明 THE MOVIE』が公開された。英子と孔明がビッグな音楽イベント「サマーソニア」出場を目指したドラマシリーズから、映画版は日本の3大音楽レーベルが頂点を競う、史上最大の音楽バトルフェス「ミュージックバトルアワーズ2025」へと舞台を移し、ドラマのスケールを大きく超える、総勢50名以上のミュージシャンとダンサーが集結して、約6000人の観客を動員したライブシーン撮影がおこなわれるという、まるで「フェス映画」といえるような試みが特徴的だ。

 ここでは、そんな本作『パリピ孔明 THE MOVIE』の内容を紐解き、ドラマシリーズの持っていた魅力や課題が、映画版でどのように表現されたのか、率直な批評を展開していきたい。

 「サマーソニア」で熾烈な音楽バトルを経験した、孔明や英子たち。続いて“参戦”する「ミュージックバトルアワーズ2025」は、まさに三国が三つ巴で天下の覇権を手にしようとした歴史を投影したようなイベントだ。孔明と英子の新たなライバルとして立ち塞がるのは、三国時代の宿敵だった、魏軍の天才軍師・司馬懿(しばい)の末裔である司馬潤(神尾楓珠)&shin(詩羽)兄妹である。

 軍師対決の前哨戦として、司馬潤は孔明を罠に誘い込む。その策とは、三国時代に孔明が『三国志演義』のなかで呉軍の知将・陸遜(りくそん)を翻弄し、ドラマ本編では英子の集客に利用された「石兵八陣」。“孔明の罠”を、孔明自身に仕掛けた構図だ。さらには孔明の見る夢の内容を知り、その命運を予言することで、司馬潤は精神面から孔明に揺さぶりをかける。そして本作における頭脳対決の焦点となってくるのは、これもかつて孔明と司馬懿との、策略の裏の裏を探る読み合いが展開した、「空城の計」である。

 英子もまた、孔明の苦悩に触れることで、歌うことに集中できなくなってゆく。天才軍師と、個性的なシンガーshinの登場によって、これまで以上のピンチに追い込まれた、孔明と英子の物語は、本作でドラマシリーズを通してのクライマックスを迎える。その間にも、バトルアワーズ出演のさまざまなアーティストが次々とパワフルなパフォーマンスを続けていく。

 一発撮りで進行したという、アーティストたちのパフォーマンスのシーンでは、ほとんど音楽フェスのような豪華さで展開。ドラマシリーズに登場していたマリア・ディーゼル(アヴちゃん)、前園ケイジ(関口メンディー)、ミア西表(菅原小春)、JET JACKETのRYO(森崎ウィン)の本気のライブシーンに加え、KABE太人(宮世琉弥)、赤兎馬カンフー(ELLY)のラップ、イースト・サウス(休日課長、石崎ひゅーい)の演奏も披露され、ドラマシリーズのファンを納得させる。そして新しく登場する、MCを務めるマモ(宮野真守)や、岩田剛典、&TEAM、KOMOREBI、アバンギャルディ、そしてシークレットのアーティストたちのパフォーマンスも熱い。

 ライブ映像を上映したりライブビューイング(中継)をする試みは、映画館ではすでに定着した上映形態であるが、体験したことのない観客は少なくないはずだ。しかし、ドラマシリーズ『パリピ孔明』の映画版として上映される本作は、そのようなライブ映像の興奮を手軽に体験できる、間口の広いタイトルになっているところが興味深い。さまざまなアーティストのパフォーマンスだけでなく、同時に進行するストーリーの盛り上がりのなかで楽しめるというのは、稀有な作品だといえよう。ジャンルとして近いのは、アニメーション『SING/シング』だろうか。

 そもそも、なぜ孔明が現代の日本に転生し、音楽業界でマネージメント業をやるのか、というのは、原作、アニメ版、そしてドラマシリーズや映画版である本作でも、よく疑問が呈される点だ。本作のように、ライブ映像が連続する趣向のなかでは、なおさらといえる。三国時代の軍師が、その驚異的な頭脳と対応力から、現代人以上に現代の生活にフィットし、とくに本作では、Uber Eats配達員やTV出演までこなすギャップが生み出す笑いや、「三国志演義」を基にした策略の数々が音楽業界に通用する無理矢理さが、作品としての原動力になっていることは、確かではある。

 また、「民草」が塗炭の苦しみにあえぐ、終わらない戦乱の世を経験した末に、争いのない世界で音楽による「天下泰平」を実現させたいという、シリーズを通した孔明の願いにも大きな矛盾はなく、ライバルたちを打ち倒すのでなく、ともに音楽愛に立ち戻って敵だったはずの相手とWin-Win(ウィン ウィン)の関係になるところも理解できる。とはいえ、三国時代には主君の理想のために劣勢の蜀軍を率いて大きな敵と戦った孔明が、既存の音楽ビジネスのシステムをそのまま受け入れているように見えるのは、『三国志』ファンとしては首肯し難い部分もある。

 というのも、近年われわれは、実際の音楽業界の裏にある、社会的に問題のある面を報道で知ってしまっているのである。ドラマシリーズでは、ゴーストライターや搾取、レーベルによるアーティストの過度なコントロールなど、音楽業界のシリアスな諸問題に触れながら、それを生み出す構造を追及するまでには至らず、近年とくに問題となっている性的な搾取や接待など、それらを長年温存してきた業界のタブーに深く切り込むことはない。

 果敢にもそれをやっていたのは、業界とともに一部のファンにすら課題を投げかけていた『【推しの子】』の方である。そのあたりの不徹底さが、この度の不祥事で危機的状況にあるフジテレビの「パリピ」的な経営方針とも重なるところがあるのも事実だろう。ある意味、『パリピ孔明』のキラキラ感やソフトな業界批判は、ドラマの製作元であり放送局のフジテレビにとって、扱いやすい点だったといえるのではないだろうか。

 しかし、本作のライブシーンは、そのような予定調和を含みながらも、なお力を持っていることは確かだ。それを最も代表するのが、詩羽演じるshinの歌唱シーンである。水曜日のカンパネラ2代目ボーカルとしてポップチューンを歌い、またソロ活動ではロックテイストでパフォーマンスをする詩羽は、shin同様に、過去の精神的な葛藤や自分らしさへのこだわりを活動に昇華させるアーティストである。

 劇中でshinの歌う楽曲「again and again」は、シンガーソングライターの崎山蒼志が、shinのために書き下ろしたものだという。個人的な心の痛みを、詩と特徴的な行間に乗せた崎山蒼志の世界観は、共鳴するバイブスを持つ詩羽とのコラボレーションによって、ドラマや映画の外にはみ出していくような広がりを見せている。

 そして英子ことEIKOが歌う、Saucy Dogの石原慎也が作詞作曲を担当した「Count on me」は、“私に任せて”という意味をタイトルに持つストレートなナンバーだ。孔明の主君・劉備(ディーン・フジオカ)の持つ、「民草」を救おうとする「徳」や、付き従う人々を見捨てない優しい包容力を、これまでの楽曲同様に継続して含みながら、孔明への依存を乗り越えていこうとすることで、オーディエンスの共感を誘う雰囲気を持っている。

 本作における、アーティストたちの卓越したパフォーマンスは、問題が山積する音楽業界、音楽番組を放送するTV業界の影響のなかでも、真摯に音楽やエンターテインメントに打ち込み、高い領域で競い合うさまざまな才能が存在することを意識させる。とくに普段、J-POPに触れない観客にとって、これは新鮮な驚きとなるかもしれない。本作『パリピ孔明 THE MOVIE』は、思いがけず社会の状況を反映しながら、同時に日本の音楽シーンに希望を感じさせる面をも持った一作なのである。

(文=小野寺系(k.onodera))