石毛宏典が語る黄金時代の西武(2)
清原和博 後編

(前編:西武時代の清原は本当に「甘やかされていた」のか>>)

 西武ライオンズの黄金時代を4番打者として牽引した清原和博。センセーショナルなデビューを飾ったルーキーイヤーのバッティングや、巨人時代に取り組んだ肉体改造などについて、石毛氏が語った。


1986年の広島との日本シリーズでタイムリーを放ったルーキーの清原

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――清原さんの打撃や守備の技術面についてお聞きします。ルーキーイヤーに126試合に出場し、打率.304、31本塁打、78打点という高卒新人の歴代最高記録をマーク。その時点でバッティングは完成されていた印象でしたか?

石毛 高卒でプロに入って、1年目に3割30本を打つ。体が大きいのですが、単に大きいだけでなく、技術がしっかりしていました。引っ張ってよし、流してよし。バッティングは完成されていましたね。加えて、キャッチボールの精度もいいし、ゴロを捕球する精度もいい。打撃が評価されがちですが、総合力が素晴らしい選手でした。

――以前、秋山さんの若い頃の内野守備(三塁)についてお聞きした際は、「あまりうまくなかった」とのことでしたが、清原さんは違いましたか?

石毛 清原はうまかったです。先ほども言ったように、ゴロを捕球する精度がいいし、守備に関しても新人時代から完成されていましたね。あと、バッティングに関しては、その後の現役生活を見ても1年目が一番よかったですね。バットにボールをうまく乗せて遠くへ飛ばす能力は群を抜いていましたしね。

――プロ入り1年目の清原さんは、オールスターゲームでホームラン競争に出場し、10スイングで6連発を含む7本をスタンドイン。落合博満さんや山本浩二さんらセ・パのベンチにいた選手たちも興奮していました。その時に打撃投手を務めていたのが石毛さんでしたが、事前に清原さんと何か話をしていたのですか?

石毛 自分が投げる球が「コントロールがよくて打ちやすいボールだから」ってことで、「石毛さん、お願いします」と言われました。ルーキーで他のチームの先輩方に「投げてください」なんて言えないですし、それで声をかけられたわけです。自分は普通に投げていただけですが、結果的に清原が7本もホームランを打って盛り上がりましたね。

「なんでそんなに体を大きくしたんだ?」

――清原さんは"無冠の帝王"と呼ばれていたこともありますが、サヨナラ安打(20本)、サヨナラ本塁打(12本)、オールスター戦通算打点(36点)、オールスター戦MVP(7回)の歴代最多記録保持者であり、通算被死球(196個)、通算三振数(1955個)も歴代最多。これらの数字に清原さんのスター性、ドラマ性を感じます。

石毛 あれだけの逸材だから、当然オールスターにも選ばれるし、そういったお祭りの舞台で活躍して目立つイメージはあります。三振は多いですが、西武にいた時はそんなに多いとは思わなかったんですけどね。

 肉体改造を始めて、筋線維を太くして体が大きくなってから、三振が増えて脆さが出てきた印象があります。死球が多いことについては、逃げるのが下手でしたからね。逃げるのが下手だったから三振が多かったのか、積極的に振りにいったから死球が増えたのかはわかりませんが。

――肉体改造を始めた時期に清原さんと話す機会はありましたか?

石毛 清原が巨人に移籍して1年目か2年目だったと思います。現役を引退していた自分は、評論家としてグラウンドに行った時、「なんでそんなに体を大きくしたんだ?」と清原に聞いたんです。すると、「子どもたちに150m級のデカいホームランを見せてあげたいんです。スゲーって憧れる存在になりたいんです」と話していました。

 アメリカンフットボールの選手は、体重100kgを超えていても100mを10秒台で走るとか、「単に体が太いだけじゃないんですよ」と、パワーとスピードを兼ね備えた体についても話してましたね。自分は「100mでも150mでも、ホームランはホームランじゃないかな」と思っていましたけど。

――肉体改造によって得たバッティングと新人時代のバッティングの違いは?

石毛 新人時代を例えるなら「柔」。体にキレがあって、シュッとやわらかいスイングができていました。一方、肉体改造に励んでいた巨人時代は「剛」。ガーンと打つだけのように見えましたね。

 体を大きくすると、大きいスイングでホームランを打とうとしがちなんですが、実際はスイングを大きくするとバットの芯に当たる確率が下がるので、自分は賛成できなかったんです。徹底して体を鍛えると、変に自信がついてボールから逃げないので死球も多くなりますし、打ち急いで体の開きが早くなったりすることもありますから。

――500本以上のホームランを打ち、1500打点を挙げ、2000本安打を達成しながらも、「もっとできた」と言われるのは清原さんぐらいです。長年近くで見てこられた石毛さんはどう思いますか?

石毛 もっとできたと思います。プロ入り直後の活躍ぶり、完成されたバッティングを見れば、自分もそうだし、誰もがそう思いますよね。1年目のシーズン終盤で4番を任されていましたが、ついこの間まで高校生だったとは思えない貫禄がありました。

 今は4番打者にもいろいろなタイプがいますが、当時は「ホームランバッター=4番」という時代。落合さんにしろ、門田博光さんにしろ、長打力のある打者が4番を務めていました。だから、高校時代に甲子園であれだけホームランを打って、天性の飛ばす能力を持つ清原には4番が似合っていました。