※この記事は2022年03月17日にBLOGOSで公開されたものです

ロシアがウクライナに侵攻した。大変な問題だ。これは俺のような芸能人が軽々に語れる問題ではないよ。ただ今回は、77年前の戦争を体験して、おふくろと一緒に空襲から逃げて、道端の死体をまたいで歩いたことがある85歳の立場から、今まさに国と国が戦火を交えている現実に対して感じていることを語りたいと思う。

まず思うのは、罪のないウクライナの市民が砲弾や破壊の巻きぞえになったり、国境を越えて逃げなくてはならなかったり、そういう苦しい事態を一刻も早く無くしてほしい。それはロシアでも一緒だ。反戦や反プーチンを唱えて警察に連行されて拘束されたり、一般市民が不当な扱いをさせられるのは見るにたえない。

この事態を止めるにはプーチン大統領とゼレンスキー大統領、この当事者による判断しかない。だけど今はお互いがそれぞれの「大義」があって、どちらも譲らない姿勢になっている。

こんな時に我々他国の人間はどうしたらいいか。もどかしいし、やるせないけど、地に足をつけてきちんと自分で考え、頭の中を整理していくことだと思う。日本人なら日本が戦火に巻き込まれた歴史を冷静に見つめなおすことから、それができるはずだ。

今のロシアとウクライナの関係と、日本が行った戦争での日本と相手国との関係…、それは同じではないかもしれない。だけどどうして国の権力者が軍事力を行使するのか? なぜそれを国民は止められなかったのか? その結果、誰が犠牲になるのか? そこに大差はないはずだ。それをあらためてじっくりと考えることだと思う。

その時に、目の前の問題をたやすく解決するようなわかりやすい考え方には、ちょっと気をつけたほうがいい。かつて日本では「鬼畜米英」だと国から刷り込まれ、「愛国」を強要され、自由にじっくりと考えることを奪われ、何百万もの尊い命を失う大きな犠牲を払ったんだ。

だけど戦後になって歴史の検証がされていく中で、我々は自分たちがどんな状況にあったかを知っていった。知るべき情報が隠されたり、それぞれに都合のいい宣伝が声高にされたりしていた。自由にじっくりと考えることを奪われていたわけだ。

「大義」のためにいつのまにか情報は統制され、市民が犠牲になる。それは世界中のあらゆる戦争や紛争で変わることなく繰り返される。

だから、ロシアとウクライナでいったい何が起きているのか。安易な結論を急がずに、地に足つけてよく眺めてじっくり考えることだ。面倒だし頭が痛いかもしれないけど、たぶん現実にはとても複雑なことが絡み合っていると思うんだ。

島国育ちの日本人に理解しづらい陸続きの難しさ

ウクライナって、歴史的にソ連に飲み込まれたり独立したりしながら、ロシアとヨーロッパに挟まれた地勢にあって、いうなれば大きな勢力の間で逃げ場のない位置にある。うまく立ち回ることを運命づけられたとても難しい場所だよな。

隣国同士が地続きであるユーラシア大陸って、歴史的に大国が小国を飲み込んでいったり、紛争や小競り合いが起きたりで、それこそ100年単位で俯瞰すれば、こういう地続きの国や民族って本当に気が休まらないんだよな。国境線なんて何度も書き換えられて、安定なんてほど遠い話だよ。

EUだって、ヨーロッパの国同士で戦争しないためにできたわけで、ヨーロッパの歴史から言ったらつい最近のことだもんな。

隣国同士が地続きで接している状態の難しさって、日本人は中々理解しづらいと思う。いざとなると隣国がいきなり攻めてくる。併合されたり独立したり…それを歴史的に何度も味わっているのがヨーロッパの国々だからね。

日本の場合は、海に囲まれた島国で、いざ他国が攻めてくるというと海を越えてきて上陸するという時間差がある。元寇で蒙古が攻めてきたり、太平洋戦争でアメリカが攻めてきたり、それは日本という島国に辿り着くまでの時間や過程があったりする。

だから地続きの国境をいきなり越えてこられる恐ろしさみたいな感覚は日本にはない。地勢的なことだけど、日本は海に囲まれていたことで、長年、極東の独立国としてあり続けた。日常的に隣国に踏み込まれる恐怖を感じずに済んできた。

これがもし地続きだったら、時の権力者の勢力次第で、もっと踏み込まれただろうし、もっと踏み込んだとも思う。豊臣秀吉が朝鮮に攻めいった歴史や満州事変もあったけど、権力者の征服欲を、海を越える面倒があることで緩衝してきたのが日本だと思う。

だから、日本から今回のロシアの動きを見ると、すごくあっけないよな。地続きだからいったん国境を越えると戦車が数珠つなぎで入ってくる。しかもウクライナは平地が多い。山岳地帯が少ない。山が多いとそこに市民も逃げこめるしゲリラ戦にもなる。だけど山が少ないから歩いて隣の国に逃げることになる。

ウクライナは地形的な要塞が持てない国で、しかも大きな勢力の狭間にある。そういう国だからこそ、国を率いるトップの政治力や外交力が、国家の安全を左右しやすい。

今回の事態が起きて改めて感じることだけど、狭間の国がいかに立ち振る舞うか、いわゆる二枚腰のようなしたたかさがないと、国は危機にさらされて国民が犠牲になってしまう…。

核兵器をちらつかせるプーチンの非道

俺は今のところ、プーチンにもゼレンスキーにもどっちにも肩入れはしないけど、しかしプーチンという人は恐ろしいな。KGBのような組織から大統領に登り詰めていくまでに、いったいどれだけ冷徹だったのか…。冷徹で理知的で狂っているよ。そうそうわかりやすく理解できる人物ではない。

しかも今回はいざとなれば核を使うことも匂わせている。切り札を序盤から見せる。とんでもない威圧だよ。プーチンはウクライナを実質の支配下に置きたいわけだけど、その土地に対して核を使ってたとえ一部の地域が放射能で汚染されたとしても、目的のためには手段をいとわないってことだろ。恐ろしいね。だって、ウクライナに向けて核を使えば、放射能の汚染は隣国であるロシアへの影響だってあるかもしれないだろ。

これは個人的な想像に過ぎないけど、よほどピンポイントで使えるような小型の核爆弾を開発しているのかもしれない。そういう核を見せしめに使って、たとえ自国に影響があっても相手を潰しにかかる。プーチンならやりかねないよ。

軍事行動でどれだけの人が死のうと、爆撃でどれだけ市街が破壊されようと、自分が掲げた目的のために手段はいとわない。プーチンはKGBの時代からそういう考えでのしあがってきたんだ。だけど、その手段に核の使用が入ることは本当に恐ろしいよ。

プーチンはロシアの歴史の中で自分の名前を残そうとしているのかね。どんな強引な手段を使ったとしても、その歴史は権力者次第で「抑圧から解放した」って肯定する書き方になるしね。

キューバ危機を乗り越えた「対話」

プーチンが核の使用も匂わせたことで思い浮かぶのが「キューバ危機」だよ。1962年、社会主義政権になったキューバにソ連の核ミサイル施設が建設されているのをアメリカが発見。そこで一気に緊張が高まった。完成したらアメリカはソ連の核の射程圏内に入ってしまう。ミサイル施設を空爆すればそれが米ソの全面戦争に発展してしまうかもしれない。

アメリカはケネディ大統領、ソ連はフルシチョフ首相だ。そこから小競り合いがありつつも、ケネディとフルシチョフが書簡で対話して両国が歩み寄り、キューバ危機は終わった。1962年のことだ。ちょうど60年前だよ。

このキューバ危機を振り返ると、やはり最後は対話なんだ。そこでいかにして譲歩しあえるかなんだ。どっちかが頑ななままだったり、どっちかを追い詰めすぎてもダメ。必要なのは対話による譲歩であり、そこに必要な「寛容」だ。

これはロシアとNATOの関係で今後いかに停戦に持っていけるか、その際にどっちが先に「寛容」を提案できるかだろうな…。 歴史は繰り返すというけど「キューバ危機」からの脱出に学んで、ロシアとウクライナも一刻も早く停戦に持ち込んでほしいな。

ロシア国民の声で戦争を終わらせられるか

あと、この状況を変えられる力があるとしたらロシアの内部が変わることかな。いくらプーチンが強大な権力者だとしても、現在すでに西側の経済制裁でルーブルの価値はどんどん下落している。戦車もミサイルも使えば使うほど国家予算を浪費していく。そのマイナスをロシア国民が背負うことになる。その結果、物価高だったり重税だったりの困窮につながる。それをロシアの人々が受け入れられるのかどうか。

かれこれ100年前、ロシアは第一次世界大戦に参戦したことで国家が困窮し、革命が起き、ロマノフ王朝が終わった。内部崩壊だ。そしてソ連とレーニンの時代になった。戦争は長引けば国家経済に重くのしかかる。国民の暮らしに直結する。プーチンを止める力はロシアの内部にかかっているのかもしれない。

そのためには、これからのロシアを支える、ロシアの若者たちがどれだけ声を上げられるかだ。現に反戦や反プーチンの声を上げる若者たちが次々に拘束されているけど、その声をどれだけ大きくできるか…。

今回も見てわかるとおり、国と国が銃口を向けあうようになった時、軍を動かす権力者のジジイたちは安全な場所で指示を出すだけなんだ。そこから若者たちに向かって、国を守るために銃を持てという。そこでいう「国」というのは、自分たちが暮らす国でもあり、「そのジジイたちが権力を持つ国」でもある。その結果、前線で血を流すのは若者ばかり。逃げ惑うのは市民ばかり。

そういうことを忘れないようにしながら、今はただただ、ロシアとウクライナが一刻も早く停戦となることを願いたい。

(取材構成:松田健次)