あれ人力車夫じゃね?昔の箱根駅伝で替え玉がバレた理由とは?
スポーツの豆知識、こぼれ話を江田亮アナウンサーが紹介する『多田しげおの気分爽快〜朝からP•O•N』「スポーツの小枝」。11月9日のテーマはでは「駅伝」。年が明ければ箱根駅伝、ニューイヤー駅伝もあります。箱根駅伝では、昔から毎回ドラマがあったようです。
飛脚が由来
駅伝は日本発祥のスポーツ競技です。
国際名称はマラソンリレーとかロードリレーですが、最近では海外でも、アルファベットでEKIDENと言っているそうです。
飛脚は500キロあまりの距離を一人で走っていたわけではなく、各区間の担当がいて、荷物を渡していきながら進んで行ったんだそうです。
最初の箱根駅伝
競技としての駅伝が行われたのは1917年4月27日のこと。
明治維新後、江戸が東京と改められた東京奠都50年を記念した「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競争」が最初です。
江戸時代、飛脚が走っていた516キロを、23区間に分けて昼夜ぶっ続けで走ったそうです。
この成功を受けて、マラソンの父と呼ばれ、一昨年のNHK大河ドラマ『いだてん』で前半の主人公となった金栗四三が、世界に通用するランナーを作りたいという思いから、箱根駅伝の創設を呼びかけました。
これに応じたのが早稲田、慶応、明治、さらに今の筑波大学になっている東京高等師範学校。
1920年2月14日、東京都大手町から神奈川県箱根町の芦ノ湖を往復する「四大校駅伝競走」が行われました。これが第一回箱根駅伝です。
心に火がついた?
江田「箱根駅伝は、そこから100年余りの歴史があり、一人で走るわけじゃなくて、長い距離をみんなで繋ぐからこそ、面白いドラマがあるんです」
箱根駅伝初期の珍しいエピソードを紹介しました。
1921年に行われた、第2回箱根駅伝競走。
沿道で観客の警備にあたっていた警察官が、走っているランナーを見て触発されたのか、急に選手と一緒に走り出したそうです。
テレビでよく見るような、沿道でお客さんが走るとは次元が違い、選手よろしくしっかり走り出してしまったんだとか。
当然、現場は大混乱。前田さんというこの警察官、責任をとって辞職したそうです。
選手と一緒に走り出してしまった前田さんは、警察官を辞職した後、日本大学に入学。駅伝部に入部すると、なんとその翌年、第3回の箱根駅伝への出場を果たしたんだそうです。
第3回、第4回では10区を走り、そして最後の出場となった第6回大会では一番距離の長い花の2区を走って区間賞に輝いたということです。
謎の高速ランナー
大学の威信をかけて戦うわけですから、なんとか勝ちたい。
そのためにいろんな大学が、外国人の速いランナーを連れてきます。
前田さんも走っていた第3回大会で事件は起きました。それが替え玉事件。
ある大学に、あれよあれよという間にごぼう抜きをした、やけに速いランナーがいると話題になったそうです。そのランナーには2つの特徴がありました。
腕は振らず、手は腰のあたりに固定した走り方で、ランナーを一人抜いて行く度に「あらよっ」と声をかけていたそうです。
替え玉ランナーだとバレる
当時は人力車が走っていました。人力車夫が人力車を引く時は、二本の取っ手を腰の位置で持って走ります。つまり手の位置は腰のあたりで固定されています。
さらに東京都内の人力車夫の習慣として、抜いて行く時や、すれ違う時に「あらよっ」と声をかけ合っていたそうです。
そのため、あれは人力車夫じゃないか?と替え玉がバレてしまったそうです。
不思議なことに、当時は大らかな時代だったのか今でも記録が残っています。
どうやら失格にはならなかったようです。
最後に駅伝の魅力を、「みんなで長い区間繋ぐからこそ、どこかに計算外のことが起こる。優勝候補ですらタスキが繋がらないトラブルが起きる。駆け引きがあり、ドラマがあり、みんなで一つのタスキを繋ぐという連帯感。駅伝は日本人ならではの競技だと思います」と語る江田亮でした。
(尾関)
多田しげおの気分爽快!!〜朝からP・O・N
2021年11月09日07時40分〜抜粋(Radikoタイムフリー)
