俳優、麻雀も常に100%で 萩原聖人「ヒロアカで思いっきり泣いて元気をもらっています」

萩原聖人
「50歳になって、何か変わりましたか? とよく聞かれるんですが、意外と変わらないですね(笑)。変わるときは人との出会いだったり、偶然の出来事だったりだと思うので、これからそんな出会いや出来事があるかもしれない。そう思うと年齢はあまり関係ないのかなと思います」
そうにこやかに話すのは、萩原聖人。デビューから約30年。8月で50歳になった。
「とにかく美味しいから食べてみてください」と頬張るのは、「沖縄倶楽部 源さん」の沖縄風炊き込みご飯、ジューシー。萩原の役者人生のなかで大きな出会いとなった、劇作家であり演出家であるケラリーノ・サンドロヴィッチ氏との出会いの味でもある。
「40歳ぐらいのときに、ケラさんが主宰する劇団『ナイロン100℃』に初めて客演させてもらったんです。ケラさんとの出会いは僕の中で非常に大きくて、『聖人にこんなことをやらせたらおもしろいのに』みたいなことをやらせてくださった恩人でもあります。
ナイロン100℃にいらっしゃる女優さんがこちらの『源さん』で働いていて、舞台の本番中に大量のジューシーを差し入れてくださった。
お言葉に甘えて食べたら『なんじゃ、これは!』と叫びそうになったぐらい、こんな美味しいものは食べたことがないというぐらいの美味しさで。
それから沖縄に行ったり、ほかの沖縄料理屋さんで食べても、『源さん』のジューシーは比べものにならないぐらい美味しい。ここに来たら、おにぎりにしてもらって家でも食べます」
泡盛が好きで、コーヒー割りをよく飲むが、断然、お酒よりもご飯。「お酒の失敗は一度もない」と笑う。
■アイドル的な人気のなかで抱えていた葛藤
『はいすくーる落書2』(TBS系)の元中学総番長役で注目されるとアイドル的な人気となり、一躍人気スターになった。だが、当時の萩原の心境は複雑だった。
「そんなのは幻想だと、一時的な人気を信じていなかったんですよね。芝居さえよければいい、そんなの関係ないみたいな感じで、ちょっと尖ってて、突っ張って……若気の至りみたいなところもありました。ファンクラブも作ったんですが、そんなのいらんって、すぐにやめちゃったりとか。
長い間この仕事をやっていると、いい時期も悪い時期もあって、仕事への向き合い方は同じで必死にやっているんですが、自分の中で漠然と役者をやっていたんじゃないかと思う、空白の15年ぐらいがあるんです。本当の意味で、ファンのありがたさを知ったのは、ここ最近ですね」
「気づき」は、もうひとつの仕事、麻雀からも教えられた。
萩原は、1997年から麻雀バラエティ番組『THEわれめDEポン』(フジテレビ系)にも出演し、名勝負を繰り広げてきた。そして、2018年に発足した麻雀のプロリーグであるMリーグに参加。TEAM RAIDEN/雷電に所属し、プロ雀士になった。
「最初はアマのままで、プロになる理由はないと思っていたんです。けれどMリーグの、オリンピック競技を目指そうというコンセプトに夢があるなと思ってプロになりました。
実際に参加してみると、本当につらい。勝負事の世界で晒されることは、けっこうきついです。これまで役者をやってきて、幸か不幸か、あまり酷評されることがなかったんですね。
でも勝負の世界は違い、下手くそ、早くやめろと容赦なく叩かれる。SNSが発達した今の時代だからということもあるんでしょうけど、僕の中であまり免疫がなかった」
「なんでこんなことを言われなきゃいけないのか?」と悩む萩原を、ファンが救った。
「『私は麻雀はわからないけど、俳優・萩原聖人がずっと好きです』みたいなメッセージを送ってくださるファンの方もいてくださって。よくも悪くもSNSの発達があったから、気づいたことも多くて、人気なんて幻想だと思っていたのは自分だけで、ずっと応援してくれているファンや、年を重ねてきた僕のことを、その年代によって見てくれてファンになってくださった方もいるんだなと。
俳優、麻雀、どちらの仕事もめちゃくちゃ楽しくて、めちゃくちゃ苦しいという思いが常にある。どちらかが、ただ楽しいだけだったり苦しいだけだったら、どちらも100%にはならないと思うんです。
大谷(翔平)選手の活躍で、なんでも “二刀流” といわれがちですが、 “一刀流” というか、50%50%ではなく、どちらも100%。そのためには、俳優も麻雀も地道な作業を続けていくだけかなと思います」

『連続ドラマW だから殺せなかった』に出演中の萩原聖人
■エンタテインメントは縛りがきつくなっている
今年公開予定だった主演映画『島守の塔』は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年3月、クランクイン直後に撮影延期に追い込まれた。それが11月より再開される予定だ。
「沖縄戦を描いた作品で、僕は戦争が激化するなか、人々の命を救うために必死に働いた沖縄県知事の島田叡を演じます。沖縄戦はドキュメンタリー映像として残っているものもありますが、映画として残すと、より多くの人々に伝わりやすいと思うんです。
どうしてもこの作品を撮るという情熱が監督には本当にあって、僕も撮るべき作品だと思っています。いったん中断した映画が1年以上の時間を経て撮影を再開するのは意味があることですし、大事なこと。いい作品として完成させることが楽しみです」
2021年は映画にドラマに、多くの作品に出演した。そのなかで感じたのは “演じること” に対する変化だという。
「今の時代、価値観が多様化しているわりには、エンタテインメントの中で表現されることは、けっこう縛られてきてしまっている。逆転現象みたいなことが起こっている気がします。
演じるうえで、この表現はコンプライアンスが……なんてことは、今まで考えたことがなかったですけど、これからは考えていかないといけないのかなって。コロナとか心配なことも多い世の中ですし、そういうものとも向き合いながら、演じていくのかなと思います」
俳優として演じることも、プロ雀士として打つことも、人との出会いでつながっていると話す。萩原にとって “今年最大の出会い” だったのが、人気マンガ『僕のヒーローアカデミア』(集英社)だという。
「知り合いがアニメ版の音響監督をしていたので、ちょっと観てみたらどハマりしました。年を重ねてくると、人との出会いとか出来事で、圧倒的にぐわっと持っていかれる出会いって、減ってきますよね。
この年になると、生きているとつらいことのほうが多いわけです。それを踏まえたうえで頑張ることがどれだけ大事なことか、『ヒロアカ』を観ていたら、心に刺さって涙があふれてしまって……。50歳のおっさんが何やってんだって感じですが、『ヒロアカ』を観て、元気で笑っていようと思います」
はぎわらまさと
1971年8月21日生まれ 神奈川県出身 1987年に『あぶない刑事』(日本テレビ系)でドラマデビュー。『はいすくーる落書2』(1990年、TBS系)で注目を集め、『夏子の酒』(1994年、フジテレビ系)、『若者のすべて』(1994年、フジテレビ系)など話題作に出演。1993年の映画『学校』、『月はどっちに出ている』、『教祖誕生』で日本アカデミー賞新人俳優賞受賞、1995年の『マークスの山』、1997年の『CURE』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。2018年からはプロ雀士としてMリーグでも活躍。今年も映画『ひらいて』、Netflix『ボクたちはみんな大人になれなかった』、ドラマ『正義の天秤』(NHK)など多数出演
【沖縄倶楽部 源さん】
住所/東京都港区新橋3-21-7 ル・グラシエルビル31 1F
営業時間/11:30〜14:00 月曜〜金曜17:00〜23:00(LO.22:00)、土曜16:30〜23:00(LO.22:00)
休日/日曜、祝日
※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間、定休日が記載と異なる場合があります。
写真・野澤亘伸
(週刊FLASH 2021年11月9日・16日号)
