【岸田・新総理誕生】元通産事務次官が語る「日本再生の道筋」
─ 90年代、中国の教育はどう変わったと認識しますか?
福川 わたしが個人的に理解したことですが、中国は80年代までは共産党がすべて支配していました。それが90年代に入ると、大学を強くしようと、教育者の意見を尊重するようになったと思っています。それで、アメリカに留学生を多く送り出した。教育や研究を通じたアメリカとの交流も拡大しました。
一方、アメリカは85年に「ヤングレポート」、87年に「ニューヤングレポート」を出しました。内容は、日本を乗り越えて、情報産業に情報産業を軸に、いかにアメリカ経済を強くするかというものです。
そのとき、アメリカが考えたことは人材が一番大事ということで、アジアの優秀な人材を留学生として受け入れていきました。わたしの記憶に間違いなければ、91年はアメリカで学位を取る人の52%がアジア人を中心とした非アメリカ人でした。つまり、アメリカもアジア人の知恵に頼ろうとしたのです。そして中国もそれにうまく乗った。
アメリカで勉強して中国に帰国した留学生たちが、中国の産業を強くしていった。
日本は予算を削ったこともありますが、就職指向が強く、海外に留学する学生が減りました、先端的な研究に後れを取るようになったわけです。
今、日本人がノーベル賞を獲っていますが、あれは80年代の研究が中心です。
AIやデジタルで後れを取り、企業経営者の多くもどうやって人を伸ばすかよりも在任中の企業存続に関心がありました。内部留保を増やし、新しい投資はしない。
こうしたことが平成の停滞につながり、段々と経済が小さくなっていきました。そして、日本が世界のGDPに占める割合はピークの16%から6%前後まで低下しました。
日本の停滞が鮮明ですが、アメリカは世界のGDPの23%前後を維持し続けています。これは、アメリカがそれだけ将来に向けた技術開発力を重要視しているということです。
─ 米中など海外諸国が新領域開拓に挑戦していたのに、日本はそれを怠ったと。
福川 そうです。わたしが通産省にいた最後の頃、これからの産業政策を考える柱は「グローバル性/国際性」「革新性/技術革新」「文化性/高価値」が重要であり、それをどう組み合わせて新しい産業を育てていくかを考えていました。それがバブル崩壊で、うやむやになってしまった。
企業経営者も在任時の企業の存続を考え従業員は新しいことを勉強するよりもポストを守るの姿勢に入ってしまった。それが停滞の原因だと思います。
─ では、どうやって日本を再生すべきですか?
福川 まず戦略、ビジョンを固めることです。5GやAIを活用してイノベーション力を高める必要があります。もう1つ重要になるのは「文化性」を高めることです。
日本は生産性が低いと言われます。生産性の分母は投入労働量で、分子が産出する付加価値になりますが、日本は労働コストを下げて生産性を上げようとしてきました。わたしは分子の付加価値をどうやって高くするかが重要だと考えています。
それには、文化的要素の高揚が非常に大事になってきます。魅力のあるもの、美しいファッションなどは高くても売れるわけです。これからの企業は、そうした人間の高度の価値に貢献する企業でなければいけない。
サミュエル・P・ハンティントンが1996年に『文明の衝突』という本を出版しました。彼は世界の文明圏を8つに分け、21世紀に入ると、イスラム圏内部、キリスト教文明とイスラム文明の間、そしてキリスト教文明と儒教文明の間で文明の衝突が起こると予言しました。
