2019年9月20日、米ネバダ州レイチェルで開催された「Alienstock Festival」にて。参加者の女性たち。(Photo by Mario Tama/Getty Images)

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パンデミック前の2019年9月、米ラスベガスの150マイル(約240キロ)北にある停止信号が皆無のレイチェルとハイコという町には、何万という数の人々が訪れる予定だった。

地図上で目視不可能なその小さな町は、軍によって厳重に警備されているエリア51の最寄りの居住地区だ。噂だが、同エリアの格納庫には重力をエネルギーとして宇宙空間を行き来する飛行体が隠されているらしい。あるロックスターによれば、その飛行体が通過するワームホールは、宇宙人とアルゼンチンに亡命したナチスの科学者たちが生み出した技術の産物だという。果たして一体そのエリアで何が行われたのか? これは未確認飛行物体に取り憑かれた者たちのドキュメンタリーである。

砂漠で開催されたエイリアンフェス

ハイコに到着すると、そこに予想したような賑わいはなく、日光浴を楽しんでいるかのようにパトカーが何台か停まっているだけだ。ベースキャンプに入った筆者は、元MMAのカリスマで現在はドキュメンタリー制作を生業としているジェレミー・ケニオン・ロックヤー・コーベル(ファンからはUFO研究家と見なされ、ヘイターからは「クソみたいに長い名前の男」と呼ばれている)の姿を探す。

この狂騒の発端はコーベルだと言っていい。彼は最近、UFOカルチャーを忌み嫌う人々に挑むかのようなドキュメンタリー『ボブ・ラザー: エリア51と空飛ぶ円盤』を公開した。80年代前半にエリア51で物理学者として勤務していた主人公は、施設内に謎の飛行体9機が格納されていたと主張している。1989年に行われたボブ・ラザーのインタビューによって、エリア51という名前は広く知られるようになった。しかし残念なことに、マサチューセッツ工科大学とカリフォルニア工科大学で学んだという経歴を両大学が否定するなど、彼の主張には一貫性が欠けていたため、世間は彼を嘘つきと見なしがちだった。ちなみに、ラザーは過去に売春斡旋の罪で逮捕されている。

ラザーはしばらく表舞台から姿を消していたが、2019年にNetflixで公開されたコーベルによるドキュメンタリーは話題になり、文字通り賛否両論を呼んだ(あるユーザーはこうコメントしている。「悪寒が止まらなかった」)。

ドキュメンタリーの公開後、コーベルは消極的なラザーを説得し、ジョー・ローガンの大人気ポッドキャストにゲスト出演させた。同エピソードは何百万もの人々が聴き、その1人だったベーカーズフィールド在住のマッティ・ロバーツといういたずらっ子は、「エリア51に突撃:奴らは僕らを止められない」と題されたFacebookミームを生み出した。その後1週間で、彼のフォロワーは100万人増加した。ロバーツは宇宙人愛好家たちに呼びかけ、9月20日にエリア51の基地に押しかけて、そこに何が隠されているのかを突き止めようと提案した。

その後に起きた出来事はまさに悲劇だった。ロバーツは基地の近くにあるハンバーガー店兼モーテルのLittle ALeInnのオーナー、コニー・ウエストと共同でイベント「Alienstock Festival」の開催を企画した。するとそれに対抗する別のイベントが、『スター・ウォーズ』の弁当箱やエイリアンの「糞」を販売しているハイコのネバダ・エイリアン・リサーチ・センターで行われることになった。


1996年2月13日、米ネバダ州レイチェルにあるUFOバー「A LE INN BAR」外観。現在もモーテル/レストランを兼ね備えた施設として営業中。エリア51に引き寄せられたUFOウォッチャーと地元住民の生活の中心地でもある。(Photo by James Aylott/Getty Images)

トイレもなく、近所に病院もない場所に大勢の人々が集うことに恐怖感を覚えたロバーツは、イベントの開催1週間前に身を引いた。その理由として、「Fyre Festivalの二の舞はご免だった」と彼は語っている。予定通り決行されるその2つのイベントにどれだけの人が集まるのか、誰も予想できなかった。

コーベルが参加を表明したため、筆者もハイコを訪れた。車から出て5分もしないうちに、男か女か分からない3体の小柄な緑色の生物と、E.T.のマスクを被った穏やかな老人を見かけた。ちなみに後者は「宇宙人の権利保護」を訴える署名活動をしており、筆者は以降36時間で8回声をかけられた。

コーベルは筆者の手を強く握り、やたら大きいブルーの瞳孔を輝かせながら微笑んだ。22世紀からやって来たかのような、背が低めで顔の毛が濃いコーベルは、Swingersを思わせるグリーンのフェルトのハットを被っている。「来てくれてうれしいよ。楽しくなりそうだ」。彼はそう話す。彼の電話は鳴りっぱなしだ。彼は電話口で、深夜0時にプレイすることになっているEDM界のスター、ポール・オークンフォールドのツアーバスの現在地を確認している。

コーベルは特別にデザインされた、エイリアンをイメージしたグリーンのバドワイザーの缶を開けた。地球外生命体の研究に明け暮れる次男のことを、母親はどう思っているのかと尋ねてみる。「今は理解してくれてるよ」。彼はそう話す。「でも最初はこう言われたけどな。『お前はチンコをピーナッツバターに突っ込んでる。イカれてるよ』」って。

起源は旧約聖書? UFOカルチャー史

その通り、UFO信者は皆狂っている。いや、その言い方には語弊がある。UFOカルチャーの住人は皆、その世界における自分以外の人間は全員狂っていると考えている。UFO学というのは、キリスト教の異なる宗派のようなものだ。同一の神を信奉しながら、カトリックはバプティスト派を敵視し、バプティスト派は監督派を目の敵にしている。彼らは結束という概念を持たない。筆者が何を書こうとも、UFO信者の多くはそれを馬鹿げていると一蹴し、中には筆者をCIAの回し者と見なす人もいるかもしれない。

その起源まで遡ってみよう。信者の中には、UFOは旧約聖書の頃から存在していたと主張する者もいる。エゼキエルは預言書で、4人の天使が動かす車輪によって進む「空飛ぶ馬車」に言及している。そして預言者が目にした神の描写は、あろうことか、宇宙人を強く連想させる。「腰から上は炎によって融解した金属のようであり、下半身は炎そのもののように見えた。その全身は、眩いほどの光に包まれていた」

これは神のイメージとは程遠い。不可知論者たちは古代シュメールにおける文明の誕生とアルファベットは結びつかず、そこに何かしらの大きな力が介在したに違いないと主張している。興味のある人は、ヒストリー・チャンネルの番組をチェックしてみるといい。

UFOを巡る人々の歴史には、常にUFOを用いた嘘がつきまとった。19世紀にチベットで発見された『ジャーンの書』には、インドに定住した地球外生命体についての記述が見られる。その生物は人々と親しくなろうと努めるが、関係が悪化すると人々の目を眩ませ、空気を毒してから宇宙へと消えていく。

同書はヨーロッパで大きな反響を呼んだ。しかし残念なことに、研究者たちは欧州人のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキという素敵な名前の神秘主義者が、1890年に古代文字を用いてそれを執筆したことを突き止めた。

オーソン・ウェルズによるラジオ劇『宇宙戦争』は、信者を騙すことがこのムーブメントの主なテーマであることを示す好例だ。火星人の襲来というプロットを真に受け、リスナーたちは丘の上に避難しようとした。

1940年代から戦後にかけて、UFOムーブメントは本格化する。戦時中はあらゆる国の軍が、赤い光を放ちながら空中を高速で移動する飛行物体(後に「フー・ファイター」と呼ばれるようになる)を目撃している。彼らは皆それが敵国の秘密兵器だと信じ恐れたが、それは事実ではなく、その正体は未だ明らかになっていない。

戦争が終わってからも、未確認飛行物体への関心は途絶えなかった。1947年、ニューメキシコ州のロズウェル陸軍飛行場から30マイル離れたところで、飛行体の墜落事故が発生した。軍は当初それがUFOだと述べたが、ほどなくしてそれが実験的な観測気球だったと訂正した。世間の多くはその発表を信用せず、75年近く経った現在でも、それが宇宙人の乗り物だったとする説は根強く残っている。


第8空軍司令官ロジャー・M・レイミー大将と第8空軍参謀長トーマス・J・デュボース大佐は、米ニューメキシコ州ロズウェル近郊の農家で発見された金属片を、気球の破片であると特定した。これが、異星人の宇宙船が墜落したとされる「ロズウェル事件」の根拠となっている。(Photo by Bettman/Getty Images)

ネバダの砂漠はUFO信者たちに人気のスポットとなった。基本的に南西部はカリフォルニアに向かう際の通過点でしかないため、その盛り上がりは奇妙に思えた。1950年代に映画監督のジャック・アーノルドが、『それは外宇宙からやって来た』をはじめとする安っぽいホラー映画の数々をここで撮影し、退屈でしかなかった砂漠を超常現象のホットスポットへと生まれ変わらせたことは、現在の状況と無関係ではないだろう。

UFOムーブメントは、過去50年間で浮き沈みを経験した。男性や女性が宇宙人に誘拐される物語は、クラシックなサブジャンルとして定着する。60年代には議会がUFOに関する聴聞会を開き、空軍はその調査を目的とする特別部隊を立ち上げたが、目撃情報をことごとく否定した。それらはProject Sign、Project Grudge等と名付けられ、そのひとつであるProject Blue Bookはヒストリー・チャンネルの番組になっている。

やがて、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』と『E.T.』が公開される。また文明の黎明期から宇宙人が地球を行き来していると主張した本『未来の記憶(原題:Chariot of the Gods)』は、歴史学者たちから一蹴されたにも関わらず6700万部を売り上げる。UFOカルチャーはメインストリームとなり、90年代には『X-ファイル』等が人気を集めた。

UFO界の超重要人物、ジョージ・ナップ

この週末のイベントに大きな期待を寄せているコーベルは、3歳児が投げつけたスーパーボールかのように車の中で跳ね回っている。夜には彼の作品が巨大なスクリーンで上映される予定であり、翌日にはボブ・ラザーが非公開の場所からFaceTimeで参加することになっている。だが、現時点で会場にいるのはせいぜい100人程度。日没が迫っていた。

そしてUFOムーブメントにおける洗礼者ヨハネ、ジョージ・ナップがやって来た。ソファに腰掛けた彼は、とても疲れているようだった。30年以上に渡って宇宙人を追い続ける歩く辞典のような存在は、疲れていて当然なのかもしれない。70年代後半にラスベガスからバークレーに移住した彼は、空港までの道順も知らなかったがタクシーの運転手として働き始めた。やがて彼はテレビのニュースレポーターとして、ゲームや政治、そしてUFO信者たちを取材するようになる。しばらくすると、彼は視聴率がゼロに近いであろう日曜の朝7時の公事番組の司会者に抜擢される。そしてある退屈な日曜、ゲストとして迎えたジョン・リアなる人物が番組で宇宙人について話すと、回線がパンク寸前になるほど問い合わせが殺到した。その後リアはナップに、つい最近エリア51で働き始めた人物を紹介する。それがボブ・ラザーだった。基地内に隠されている宇宙船を研究しているというその科学者は、素性がバレないように変装していた。

ラザーによると、Element 115というアイソトープが生み出す重力波によって周囲の重力を歪ませることで、その物体は尋常でない速度で飛行することができるという。ちなみに彼は、宇宙人が過去1万年間に渡ってレチクル座ゼータ星と地球を行き来しているという事実を知らされたと告白している。

やがてラザーは、素顔でメディアの前に出ることに同意する。ほどなくして公開された全9部からなるインタビューは、ラスベガスの住民を大いにざわつかせた。だが翌年、ナップとラザーは仲違いしてしまう。その原因は、ナップの自宅から2ブロック先のアパートに住む女性が始めようとしていた売春ビジネスを、ラザーが積極的にサポートしていたことだった。ナップは通報し、ラザーは執行猶予を言い渡されたが、2人は後に和解している。

ナップは現在67歳、ふさふさだった毛髪はやせ細り、自慢のブラウンヘアには白いものが多く混じっている。彼はエイリアンムーブメントにおけるカメレオンマンだ。数十年前、彼は後の多数党院内総務ハリー・リード議員と結託し、政府がUFOに関するどういった情報を持っている、あるいは持っていないかについて、互いに情報交換を行っていた。「彼はネバダ随一のレポーターだ」。リードはそう話す。「私たちは30年に渡って、このトピックについての情報を交換し合っている。そういう話題を口にするだけでバカにされていた頃からね」

ナップや彼の被後見人であるコーベルを批判しているのは、ムーブメントに懐疑的な人々だけではない。UFO信者の中にも、ラザーは嘘つきであり、ナップとコーベルが騙されていると考える人は多い。「UFOコミュニティほど、仲間同士の対立が顕著な集団はない」。ナップはそう話す。「政府は我々を潰そうと動く必要はない。放っておけば自滅するからだ」

またナップは、政府がこのUFO騒動について沈黙し続けている理由について持論を展開した。「政府は長い間、このニュースを公表すれば国民がパニックを起こし、社会崩壊が起きかねないと本気で心配していたのだろう」。彼はこう続ける。「嘘に嘘を重ね続けた結果、政府はもはや引っ込みがつかなくなっているんだ」

「この宇宙のどこかに、他の生物が存在していると信じてるよ」

おもむろにRVのドアから入ってきたのは、緑のコーデュロイパンツと赤のベロアジャケットという服装の英国人だ。彼の姿を見て、ナップは本物の宇宙人に遭遇したかのように当惑している。彼の名はポール・オークンフィールド、言わずと知れたエレクトロニックミュージック界の大物DJだ。コーベルの秘密の友人の紹介によって2人は知り合ったというが、トレイラー内で立っている彼はやや困惑しているように見える。筆者はナップに、彼がハッピー・マンデーズの歴史的名盤『Pills n Thrills and Bellyaches』をプロデュースしたことを伝えたが、場の空気は変わらなかった。

オークンフォールドはこれまでに、中国の万里の長城からストーンヘンジまで、一風変わった場所で多数のショーをこなしてきたという。彼はUFOに興味があることを素直に認めた。「この宇宙のどこかに、他の生物が存在していると信じてるよ。そうじゃない方がおかしいだろ?」。彼はそう話す。

彼は少し表情を和ませ、ステージを指差してこう言った。「正直こんなに人が少ないとは思わなかったけど、いいショーにするさ」

コーベルは恥じ入っている。だがトレイラー内にいたある人物が、バーニング・マンの初開催時の来場者数は8人だったと述べると、彼は目を輝かせた。午後8時を回り、そろそろショーが始まる頃だ。

太陽は砂漠の彼方に沈み、涼しい風が砂塵を舞わせている。コーベルはステージに立ち、極端にタイトなグリーンのタイツに身を包んだ男を含む、彼の側近たちに目をやった。客席に移動して参加者を数えてみたところ、その数は約150人というところだった。その数字には売り子も含まれている。「我々の頭上では、謎の飛行物体が絶えず自由に行き来している」。風の音にかき消されないよう、コーベルは大声を張り上げる。その姿はまるで、酔っ払った異教徒の気を引こうとする旧約聖書の預言者だ。「彼らの持つ技術は、この国におけるどんなものよりも遥かに進んでいる」


2019年9月20日、米ネバダ州レイチェルで開催された「Alienstock Festival」にて。音楽に合わせて踊る参加者たち。(Photo by Bridget Bennett/AFP/Getty Images)

客の反応が鈍いことに気づいたらしく、彼は笑顔に切り替えた。「このイベントはこれから毎年開催される。今夜諸君らは、バーニング・マンの初開催に立ち会っているようなものだ」

元blink-182の一員を魅了するUFO研究

別の日、2015年に設立されたUFOを中心に研究する営利団体「To the Stars Academy of Arts & Science」(以下TTSA)の事務所に向かっていた筆者は、到着直前に1通のメールを受け取った。どういうわけか筆者が砂漠でのイベントに参加したことを突き止めたTTSAは、この取材が真剣なものかどうかを確かめようとしていた。

これは奇妙に思えた。なぜならTTSAは、名盤『エニマ・オブ・ザ・ステイト』を生んだblink-182の結成メンバーの1人である、トム・デロングの産物だからだ。デロングがバンドをやめた理由は、UFOムーブメントの伝道師になるためだった。

【関連】UFO研究に没頭するトム・デロング、最新の成果とblink-182について語る

デロングは、1947年にロズウェル郊外に墜落した航空機は、宇宙人とアルゼンチンに亡命したナチスの科学者たちが共同で開発したものだと主張していた。また彼は冷戦が激化しなかった理由として、ソ連とアメリカが地球外生命体からこの星を守るために、秘密裏に同盟を結んでいたからだという持論を展開していた。

その後、デロングは方向転換する。ここ2年ほどで、以前のように陰謀論を声高に唱えなくなった彼は、UFOムーブメントのメインストリーム化における最重要人物となった。サンディエゴ郊外のエンシニータスにあるTTSAのヒップなオープンエアのオフィスで、デロングは筆者の取材に応じてくれた。

デロングは昔から、『トワイライト・ゾーン』で取り上げられたあらゆることを強く信じていた。子供の頃、地元パウウェイの図書館に強制的に連れて行かれた際に、彼はネッシーとUFOのことばかり調べていたという。blink-182がまだ無名だった頃には、車で移動中に揺られながらUFO関連の本を読みふけっていたという。1999年には、バンドは「エイリアンズ・エグジスト(宇宙人は存在する)」という曲をレコーディングしている。彼は時折メンバーに、ハイになって一緒にUFOを探しに行こうと誘っていたという。メンバーたちは彼に付き合うこともあったが、ハイになってビッグフットを探しに行こうと言われた時には固辞したらしい。


To the Stars Academy of Arts & Scienceを設立し、ロックスターからUFOムーブメントの伝道師に転身したトム・デロング(Photo by LeAnn Mueller for Rolling Stone)

彼はカリフォルニアの砂漠でキャンプをしていた時に、実際に宇宙人に遭遇したという。寝袋に包まっていると、どこからともなく複数の声が聞こえてきたらしい。

「数百人はいそうな分厚いコーラスだった」。デロングはそう話す。「特筆すべきなのは、記憶の一部にぽっかり穴が空いてたことだ。一緒にいた仲間の1人はその声を聞いてるんだけど、他の奴らは全員眠ったままだった」

デロングには常に、セールスマンとしての才能があった。音楽作品は言わずもがな、陰謀論の宝庫というべきウェブサイトStrange Times(既に閉鎖)のローンチも成功させた。歳を重ねるにつれてその才能には磨きがかかっていき、スケート用品販売ビジネスや、パール・ジャム等のバンドのグッズ販売を促進する事業なども成功させた。やがて彼は、UFOとその他の超常現象にフォーカスするエンターテインメント企業、TTSAを設立する。スケートボーダーが謎に挑む私立探偵に転身するというシナリオは、ハリウッド的なビジネスチャンスを匂わせる。

Tシャツが売れるようになると、デロングは『kret Machines: Chasing Shadows』と題された700ページに及ぶスリラー小説を共同執筆した。フィクションと事実を混ぜた同書には、ロズウェルの航空機墜落事件にアルゼンチンに亡命したナチスの科学者が関わっていたというデロングの持論も記されている。デロングは突飛な持論に関する質問を巧みに回避していたが、これについては饒舌だった。

「南米に亡命したドイツ人たちのことは映画にもなってる」。デロングはそう話す。「歴史的証拠が残されてるんだ。フアン・ペロンがナチスのメンバーを匿ってたことは、まぎれもない事実なんだよ」(元ナチスのメンバーが南米に亡命したのは事実である。ただし、その一部が集団でアルゼンチンに向かい、宇宙人の技術を用いて宇宙船を打ち上げた証拠があるというのは事実ではない)

億万長者になるという偉業を成し遂げたロックスターたちが、他の分野でも成功を収めようとするのは珍しいことではない。デロングは実際に、それを実現してみせた。影響力と経済的成功を両立させるUFO帝国を築こうとした彼は、政府の要人に近づく方法について、ジョージ・ナップに助言を求めた。

ナップはいくつかアドバイスを授けた。彼はデロングに、何十年にも渡ってUFOの存在を否定し続けて身動きが取れなくなっている政府に、自分が手を差し伸べると主張するよう提案したのだった。

元国防総省のキーマン

翌日、筆者はTTSAの幹部ミーティングに同席させてもらった。その場には、デロング以外の全幹部が出席していた。元CIA職員、ロッキード社の上役らに交じり、元国防情報局副次官補のクリストファー・メロン、そしてジーンズに黒のTシャツとヤンキースのキャップ姿の大男ルイズ・エリゾンド(元国防総省のスパイ)等の姿もある。

その時点で、ニューヨーク・タイムズが例のTic Tac風の物体の映像を公開してから2年が過ぎていたが、政府を本気にさせようとするTTSAの努力は実っていなかった。唯一の大きな前進は、国防総省が新たな報告システムを導入し、軍人たちが周囲の目を気にすることなく事実を報告できるようになったことだった。

ワシントンのお偉方たちは耳を貸そうとしなかった。彼らは選挙で選出された議員たちによる公聴会、あるいは非公開聴聞会を開こうと努めていたが、その努力は実る気配すら見えていなかった(その取り組みはパンデミックによって強制的に中断された)。

「彼らの態度は以前と変わりない」。メロンはため息とともにそう話す。「議員の中には未確認航空現象に遭遇した人々もいるが、それを公の場で語ろうとはしない。少なくとも、彼らは何かが我々の領空を侵害していることに危機感を持つべきだ。なのに彼らは、委員会のチェアマンの機嫌を損ねるのを恐れているんだ」

パイロットたちが味方の航空機やヘリコプターに記されるマークを覚えるために使うカードの山から、エリゾンドは1枚を引き抜いた。「パイロットたちは徹底的に訓練されている」。彼はそう話す。「ミグの機体、中国の戦闘機など、彼らはあらゆる航空機を識別することができる。にもかかわらず、識別不可能な何かを目撃したという彼らの主張はまともに取り合ってもらえない。信じられないよ」

メディアの前に出ないメロンとは対照的に、エリゾンドは2020年のUFOカルチャー界隈において一躍有名人となった。キューバから亡命した両親の元、マイアミで生まれ育ったエリゾンドは、カレッジ卒業後に軍に入隊する。ほどなくして国防総省に配属された彼は、スパイ防止活動を任務とするようになる。9.11後はカンダハールに赴任し、のちにトランプ政権の初代国防長官となるジム・マティス大佐の部隊に加わる。デロングはマティスがエリゾンドの命を救ったとしているが、彼はその話を肯定も否定もしていない。

数多くの修羅場をくぐり抜けた後、彼は国防総省でペンタゴンの様々なプログラムを管理する「フライング・デスク」に就く。2008年には新規プログラムに関して、同省の高官たちと複数回に渡って面談を行っている。彼らはエリゾンドに、UFOについてどう思うかと尋ねたという。「特に思うことはありませんと答えたよ」。エリゾンドはそう話す。「悪人どもを捕まえるのに精一杯で、そんなことについて考えてる余裕はないってね」

彼らはさらに追求したが、エリゾンドはデータを持っていないため答えようがないと返した。それでも、彼には任務が与えられた(その内容については未だに明らかにされていないが、未確認飛行物体について調査し、ロシアと中国が米国を凌ぐような航空技術を開発していないかどうかを監視することを基本としていた)。エリゾンドによると、彼は2010年にAATIP(Advanced Aerospace Threat Identification Program)と呼ばれるペンタゴンのプロジェクトを引き継いだ。

軽視された未確認飛行物体の映像

AATIPには、ネバダ州議員ハリー・レイドの強い要望を受けて予算が投じられた。レイドはナップ、そして不動産業で蓄えた資産を地球外生命体の研究に投じていた共通の知人、ロバート・ビゲローと連絡を取り合っており、この問題への関心を一層高めていた。

レイドは上院軍事委員会の有力者であるダニエル・イノウエとテッド・スティーヴンスに働きかけ、ビゲローが運営する未確認飛行物体の研究施設に2200万ドルを出資させた(空軍パイロットを務めた第二次大戦中にUFOを目撃して以来、スティーヴンスはUFOに大きな関心を寄せていたため、説得は容易だったという)。

エリゾンドはペンタゴンで、AATIPに取り組み続けた。海軍のパイロットたちが撮影した3つの未確認航空現象の映像を含め、彼は5年間にわたってデータを収集し続けた。中でも最も重要視されたのは、空母ニミッツに配備された航空機が捉えたTic Tac風の物体の映像、そして2015年に大西洋に派遣されていた空母ルーズベルトから出動した航空機が撮影したジンバルのような物体の映像だった。


2015年に撮影されたジンバル状の「未確認航空現象」の映像のスクリーンショット(Department of Defense)

エリゾンドはそれらのデータについて、国防長官の座に就いていたジム・マティスに報告すべきだと判断した。エリゾンドとメロンはあらゆる策を尽くしたが、彼との面会のアレンジを目的としたミーティングさえアレンジできなかった。マティスの側近たちはそのトピックを有害とみなし、国防長官が関わるべきではないと考えているようだった。

フラストレーションに耐えきれなくなったエリゾンドは、2017年10月に以下の内容の手紙を残して国防総省を去る。「国防総省は海軍やその他の機関の兵器を扱うプラットフォームを脅かす存在と、真剣に向き合うべきである。政治的論点がどうあれ、国を守る機関はその脅威を軽視したり無視すべきではない」

国防総省を去る前、彼はそこで管理されているパイロットたちが残した映像の機密扱いを解除した。一般公開される前に、それらの映像に含まれていた機密情報は除去された。

その後の展開はやや胡散臭い。国防総省を去ったわずか数日後に、エリゾンドはTTSAの一員となる。記者会見の場でデロングと同僚たちはエリゾンドと共に壇上に立ち、彼が加わったことでTTSAがいちエンターテインメント企業から、未確認航空現象の実態解明、そして地球外の技術を用いた航空機開発を目的とした研究機関および営利団体へと生まれ変わったと宣言した。UFO活動家たちはそのタイミングの良さに疑念を抱いた。

ジョージ・ナップとコーベルの自宅にて

もう一カ所、筆者には訪れるべきところがあった。ジェレミー・ケニオン・ロックヤー・コーベルの紹介により、筆者はラスベガス在住のジョージ・ナップと彼の自宅で会うことになった。「絶対来た方がいいぜ」。コーベルはそう話す。「彼がコレクションを人に見せることは滅多にないんだ」

筆者はベガスに飛び、ポーカーのビデオゲームとレバーが1つしかないスロットマシンのあるダイナーでコーベルと合流した。少し経ってから到着したナップは、遅れたことを詫びた。「ジョン・フォガティの取材をしていたんだ」。ナップはそう話す。「彼は私のことを知っていて、不思議な経験について語ってくれた。子供の頃、彼は自宅の上空を飛び回る夢を頻繁に見ていたらしい。彼はもしかすると、自分が何者かに誘拐されていたのかもしれないと考えているんだ」

我々は1マイルほど離れたところにある、ナップの自宅に車で向かった。地下の部屋には何千という数のUFO関連の本が貯蔵されており、そのすぐ側にはテレビでの活躍を讃えたエミー賞やPeabody Awardのトロフィーが飾られている。カジノに駐車されていた車のトランク内で蒸し焼きになりそうだったところを救出したという猫のFreyaは、「非機密」の付箋が貼られた書類の上で退屈そうに体を伸ばしている。我々がついたテーブルの上には、書類が詰まった箱がいくつも重ねられている。文書の多くはロシア語のものであり、ナップがグラスノスチの時代にロシアを訪れた際に入手したものだ。現地のあるUFO研究チームは、進んで話を聞かせてくれたという。しかしプーチン政権が始まってからは、そのドアも閉ざされてしまった。「過去に交流を持っていた人々は皆私と会うことを拒否し、電話にも応じてくれなくなった」

ナップはこういったストーリーを無数に抱えている。ボブ・ラザーの主張が事実だと証言することになっていたある女性は、彼女を尾行していたセダンに乗った男たちから「あんたが『事故』に遭ったら娘は悲しむぞ」と脅されたという。ラザーは電話中に、奇妙なクリック音を頻繁に耳にするようになった。またナップのある情報源は、彼との電話を終えた直後にスパイの訪問を受けたという。

ナップは決して、ワシントンが彼の主張を認める日が来るとは思っていない。「私はこれらの情報の大半が真実だと思っている」。彼はそう話す。「政府はあまりに長く否定し続けてきたために、告白の機会を見つけられずにいるんだ」。もしそれらが全て事実ではなくとも、それは問題にならないと彼は話す。「ボブ・ラザーのような人物が真実を述べているかどうか、そんなことはどうでもいい。エリア51は、もはや我々のカルチャーの一部なんだ」

しばらくして、ナップはある告白をした。エリア51周辺の砂漠や、超常現象スポットとして知られる場所の多くを何度も訪ねていながら、彼は何も目撃したことはないという。「宇宙人たちは私がやって来るのを察知すると、いつもどこかへ行ってしまうんだ」。冗談交じりに話しながらも、彼はとても寂しそうだった。

冷凍庫の中に入っていたFedExの箱

翌日、ナップの書類のコピーを大量に抱えたコーベルと筆者は、カリフォルニアにあるコーベルの自宅に向かった。彼は道中、次男坊の彼が陰謀論に関心を持つようになったきっかけが、両親が営んでいた輸出/輸入ビジネスがあまりに不透明だったことだと明かした「それが合法なのか違法なのか、俺には知る由もなかった」。彼はそう話す。

中世を思わせる彼の家に到着した時には日が暮れており、我々は足を1本失ったハスキー犬のLuckyに出迎えられた。一旦家の奥へ入っていったコーベルは、戻ってくると申し訳なさそうにこう述べた。「俺に嫁がいるっていうのは嘘じゃないんだけど、今日は体調が良くないらしいんだ」。彼はそう話す。

その時点で、筆者はコーベルのあらゆる主張を疑うようになっていた。我々が向かった母屋から少し離れたところにある建物は彼の作業スペースであり、彼がそこで映像を編集している間に、妻が料理を持ってきて部屋の前に置いていってくれるのだという。「ここが俺のプロジェクトの総本山さ」。彼は誇らしげにそう話す。壁には様々なUFO関連のプロジェクトのリストや書類が貼られており、その中にはロスアラモス国立研究所がラザーの在籍を否定している旨を記した文書も見られる。「それが誤りだってことは証明してやったよ」。コーベルはそう話す。「彼は請負業者扱いになっていたから、別の人名簿に登録されてたんだ」

しばらくしてコーベルは冷凍庫の中から、うやうやしくFedExの箱を取り出した。それは彼が筆者に見せたがっていたものの1つだ。中に入っていたのは、ファンが送ってきたバラバラにされた牛の皮の一部だった。「切り口が驚くほど滑らかだろ?」。コーベルはそう話す。「これは動物の仕業じゃない。地球上に存在しない機械か何かが使われたと考える人もいる」

彼はデスクトップコンピューターを立ち上げた。「すべてのファイルは6つの州にあるサーバーにそれぞれ保管されていて、コピーのひとつは常に俺が持ち歩いてる」。彼はそう話す(それは彼がいつも背負っている使い勝手の悪そうなリュックに入っている)。彼は砂漠の上空に浮かぶ、銀色のディスク状の物体の写真を見せてくれた。

「ある人物の息子が送ってくれたんだ。父親がこの世を去る前に、それが何なのかを明らかにしたいらしい」。コーベルは頰ひげを掻きむしりながらそう話す。「誰もが答えを求めているんだ」

「もうコソコソする必要はないってことだ」

彼はAlexaの電源を入れると、筆者に何か曲をリクエストするよう言った。オアシス、ストロークス、キラーズ等、かなりベタなものばかりを選んだがコーベルは興奮している様子で頭を上下に振り続けていた。「全部カッコイイな」

彼はこれらのモダンロックのスタンダードをひとつも知らないと告白した。彼が南カリフォルニアのバンドで何年もドラマーを務めていたことを考えると、これは奇妙に思えた。おそらく彼のアンテナは、UFOに関すること以外には反応しないのだろう。

他にすることが何もないため、我々はマジックマッシュルームを摂取することにした。コーベルは慣れた手つきで袋から取り出し、筆者に少量を手渡した。

「ただ楽しんでほしいだけさ。こいつを食えば、普段は見えない何かが見えるかもしれない」。彼はそう話す。

裏庭に向かう途中で、その効果が現れ始めた。コーベルは政府の人間から訪問を受けた時のことについて語り(その筋の仕事を探している人にアドバイスできそうなほど饒舌だった)、彼らが自分を監視している可能性は否定できないと言った。「嫁が1人で留守番してた時に来たこともあるんだ。言ってやったよ、『ふざけんな』ってね」

先日、コーベルとナップはジョー・ローガンのポッドキャストに出演し、3時間にわたってUFOの素晴らしさについて語り合った。しばらくの間、そのエピソードは国内ランキングの上位に留まっていた。UFOカルチャーは盛り上がりを見せており、同じ週にはニューヨーク・タイムズが、国防総省が未確認航空現象の調査のための特別部隊を発足させたことを報じた。ペンタゴン在籍時のエリゾンドの任務に似たそのプログラムは、調査結果を後に一般公開するとしている。

「もうコソコソする必要はないってことだ」。エリゾンドは同紙にそう語っている。「透明性は著しく向上するだろう」

だが同記事のハイライトは、正体不明の物体が過去に墜落事故を起こしており、その残骸は何十年間にもわたって研究され続けているというハリー・リードの証言だった。しかしあろうことか、その翌日に同紙は記事の内容を大幅に訂正している。リードの発言は正体不明の物体が過去に墜落事故を起こしているかも知れず、(もし存在するならば)その残骸について研究すべきであるという内容だった。あまりの落胆に、トロンボーンの寂しげなUFOムーブメントのテーマソングが聞こえてくるような気がした。

しかし、コーベルはまるでめげていない。彼は以降9カ月間にわたって、新たに行われる調査の内容(詳細は掲載不可)など、筆者に様々な情報を流してくれた。「UFOに対する見方を根底から覆すような大発見か、社会的地位のある人々が俺を騙そうとしてるかのどちらかだ。メディアの前で俺に恥をかかせようとしてるんだとしたら、とんでもなく悪趣味な詐欺だ。どっちなのか見極めないといけない」

だが、それはしばらく後に起きる出来事だ。筆者とコーベルは今、彼の自宅の中庭に寝転がって星を眺めている。幻覚が見え始め、広大な宇宙のどこかに存在する筆者にとっての答えが浮かび上がってくるような気がする。すると突然、コーベルが筆者の腕を掴んでこう言った。「あの光を見ろ!」

コーベルは宙を見つめる筆者の頭を、彼の自宅の方に向けさせた。そこには明かりが灯っており、人影が見えた。やがて明るさを増した光の下で、ガウン姿の女性がジュースをボトルからラッパ飲みしていた。それはコーベルの妻だった。

「な、彼女は実在するって言ったろ?」

その瞬間、筆者は信じることに決めた。

from Rolling Stone US