学生の窓口編集部

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戦国武将というと、豪傑で斗酒なお辞せずみたいなイメージがあります。でも、実はそうでもないのです。「お酒はちょっと……」という「下戸」な武将もいました。今回は、戦国武将の「上戸」「下戸」についてです。それぞれの戦国武将をピックアップしてご紹介します。

■下戸だった!? とされる戦国武将

織田信長
宣教師ルイス・フロイスの書き残した文書から「下戸ではないか」と推測されています。酒席で下戸の明智光秀をいじめたなんて話がありますから、酒乱を出さないために普段は飲まないようにしていたのかもしれません。フロイスに献上されたコンペイトーを喜び、また日本で最初にバナナを食べたのは信長さんのようですから「甘党」とされます。

豊臣秀吉
酒の席で大盤振る舞いするなど、宴会好きな様子は文書に残っていますが、本人がお酒を好きだったかどうかは分かりません。下戸という説もかなりあります。もし下戸だとすると「お酒は苦手だけど、宴会の雰囲気は好き」というタイプだったのでは!?

徳川家康
家康さんも一般に「下戸」といわれています。ただし、家康さんの場合は、本人の性格もあって宴席ではあまり飲まなかったのではないか、という説があります。家康さんの遺品の中には、ワイン、焼酎、酒器などがあったそうで、実は一人でちびちびやっていたのかもしれません。

●明智光秀
光秀さんも下戸でした。宴席でまずそうに酒を飲んでいると、それを見た信長さんが激怒。大杯に酒を注ぎ、「これが飲めんならこっちを飲め!」と刀を突きつけたそうです。今なら上司のパワハラ、アルコールハラスメントです(笑)。

「本能寺の変」は宴席でのいじめの仕返しだったのかもしれません。
●毛利元就
信長さんに匹敵する版図を一代にして築いた元就さんは、「下戸として」一生を過ごしました。元就さんの父、兄が酒のせいで急逝しているのです。兄がわずか25歳で死んだとき、元就さんは禁酒を誓ったといわれます。また、息子に「節酒しろ!」とアドバイスしています。

家系からすればおそらく「いける口」であったでしょう。それでも「下戸」を貫いたというのは、元就さんの心の強さの表れではないでしょうか。

お酒が大好きだった戦国武将

●上杉謙信
お酒が大好きで始終飲んでいたそうです。ただし宴会を開くのではなく、あくまでも独飲スタイル。みそや梅干しをさかなに独りで飲んでいたそうです。「キッチンドランカー」の例を出すまでもないですが、独飲はアルコールを過剰摂取しやすいのです。

飲み過ぎのせいなのか、謙信さんの死因は「脳出血」ではないかといわれています。

●伊達政宗
風流の道にも通じていた政宗さんは、お酒も愛していました。携帯用の粉末酒を開発したという話もあるほどです。また酒の席での失敗を「あのときはごめんね」と部下に謝っている書状が残っていたりします。
●福島正則
猛将として知られる正則さんは、大酒飲みの上に大変酒癖が悪い人でした。簡単にいうと酒乱です。宴席で、黒田家家臣の母里友信を辱め、「大杯が飲めたら何でもやる」などという賭けを持ち掛け、豊臣秀吉から贈られた名槍(めいそう)「日本号」を失いました。

いかがだったでしょうか。「上戸」「下戸」の2チームに戦国武将を分けて宴会を開いたら、各チームのメンバーはどうなるでしょうか!? 「下戸」チームは、「お茶会」あるいは「お食事会」になるでしょうけれども。(福島)正則さんの隣に座るのはみんな嫌がるのではないでしょうか。

(高橋モータース@dcp)