自治権を剥奪され、「治安部隊」によって厳戒態勢が敷かれたカシミールの街頭(2019年8月14日撮影。写真:AP/アフロ)



(山田敏弘:国際ジャーナリスト)

 香港のデモが連日続いている。もはや制御不能とも言われ、今後の動きが予想できない状態になっている。

 そんな香港の動向は、毎日のようにメディアでかなり大きく報じられている。その一方で現在、同じよう厳しい事態に陥っているが、まったく話題にならない紛争もある。

 インド北部のカシミール地方で起きている混乱だ。

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外部との通信が遮断されたカシミール

 8月5日、ヒンズー教至上主義の与党BJP(インド人民党)を率いるナレンドラ・モディ首相が、「ジャム・カシミール州の自治権を剥奪する」と発表した。同州は、インドとパキスタンの北部に広がるカシミール地方で、インド政府が統治するインド側カシミールのことを指す。

 自治権剥奪以降、10日以上が経った今も、同州のイスラム教徒が多数を占める州都スリナガルでは、外出禁止令が敷かれ、携帯やインターネットが接続できない状態が続いている。完全に「外界」から遮断され、孤立しているが、その現実が世界でも大きく報じられない状況が続いている。

 一体、何が起きているのか。

 筆者は以前、『モンスター−暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)という本を出版し、カシミール問題を現地で深く取材してきた。


 今回のニュースを受け、知人に連絡をしてみたが、ほとんど通じない状況が続いている。その中でも何人かは、カシミール地方から脱出してインド国内にいるので、連絡がついた。彼らの話によれば、現地は外部からの通信が遮断され、インターネットも使えないような状況にある。特に、8月15日はインド独立記念日であるが、カシミール地方の住民らは「ブラック・デー」と呼ばれ、かねてより「カシミールに対するインドの強硬な支配が始まった日」と認識されている。カシミールでは、インドの他の地域のような独立を祝う日ではなく、「占領政策」に対して悲観する日であり、デモなどが起きやすい。それゆえ、「インドは少なくとも8月15日までは外出禁止令を解かないつもりだろう」と、あるカシミール人の友人は語っていた。

 カシミール地方の紛争といっても、日本人には馴染みがないかも知れない。

 カシミール紛争は、1948年に英領インド帝国からインドとパキスタンが独立した際にどちらもカシミールの領有権を主張したことに端を発している。どちらも領有権を譲らないなか、両国はカシミールをめぐって第一次印パ戦争に突入した。その後、カシミールはインド側とパキスタン側に二分され、現在までその状況が続いている。

過激派との遭遇をでっち上げて誘拐や殺人

 また「カシミール紛争」と言えば、基本的にインド側で起きている争いを指す。なぜなら、ジャム・カシミール州の夏の州都スリナガルとその周辺が、このカシミール紛争の「主戦場」となっているためだ。そのスリナガルが争いの舞台になる理由は、住民のほとんどがイスラム教徒であり、その地域をインド政府が自治権を与えながら強硬支配していることにある。

 もちろんパキスタンもここに絡んでくる。「イスラム教国として、カシミールを救う」という大義で、パキスタン軍がテロ組織などを支援して、カシミール地方を混乱に陥れようとしている。それによって、インドがカシミールを手放すよう仕向けようとしているわけだ。

 それに対してインドは、インド中央予備警官隊(CRPF)や準憲兵部隊をスリナガルやパキスタンとの国境(実効支配線=仮の国境線)地域などに派遣し、常に街中には武装したインド人隊員を配置し、住民を監視させている。さらに1990年には、「軍事特別法」と呼ばれる法律を施行し、カシミールに駐留する部隊の権限を大幅に拡大した。逮捕だけでなく、殺害すら、法的な手続きなしでも行なえるようになっており、これがインド部隊によるカシミール住民への犯罪行為の温床になっている。

 その所業はあまりにもひどい。

 例えばこうだ。「軍事特別法」により、「フェイク・エンカウンター」と呼ばれる事件が頻発するようになった。フェイク・エンカウンターとは、「偽りの遭遇戦」だ。つまり、インド部隊が過激派などとの戦闘を「でっち上げる」行為を指す。過激武装勢力と遭遇したことにして、それを隠れ蓑に、カシミール人を狙った誘拐や殺人などが発生しているのだ。

 元インド軍少将のV・K・シンは、この「フェイク・エンカウンター」について、「過激派を何人殺害したかで兵士や部隊員の評価や勲章に繋がるために、軍や警察が偽りの遭遇事件をでっち上げる危険性がある」と指摘している。それくらいインド部隊にとって、「フェイク・エンカウンター」は誘惑的行為なのだ。

 また、女性に対する性的暴行事件も多数起きている。分かっているものでは、例えば1991年には複数のインド兵が精神疾患のある年配女性をレイプしたし、1994年7月には兵士2人に7人の女性がレイプされている。北西部ハンドワラ地区では29歳の母親と10歳の娘が兵士にレイプされた事件が明らかになっている。もちろんこれらはほんの一部だ。

彼らを「治安部隊」と呼ぶのはやめてくれ

 2009年8月には、スリナガルの南方に位置するショピアン地区で、17歳と22歳の女性が警察部隊の何者かにレイプされた上、殺害された。しかも遺体は小川に捨てられていたことが判明し、スリナガルでは大規模デモが発生、数日にわたってデモ隊が街頭でインド部隊と衝突した。

 スリナガルで住民に話を聞くと、インド部隊のなんとも無慈悲な行為がどんどん出てくる。もちろんどこまで根拠のあるものかは分からないが、「外出禁止令の際にちょっと外出したら容赦なく射殺された人がいた」「夜に道を歩いていたら、犬と間違われて射殺された少年がいた」「ある村は過激派をかくまったとして焼き払われた」「紛争が始まってから、武装勢力とは関係のない1000以上の学校や関連施設が破壊された」といった表に出ないような話が次から次へと語られるのだ。

 こんなこともあった。筆者はスリナガルで、友人に何気なくインド部隊のことを「治安部隊」と呼んだ。その友人は、私の肩に手を置いてひと息ついてから、しばらくじっとこちらの目を見つめ、こう言った。「お願いだから彼らのことを『治安部隊』と呼ぶのは止めてくれ。無実の人、子どもも女性もおかまいなしに殺害する人たちが、何の治安を守っているというのか」

 とにかくそんな状況で、1947年からこれまで、テロの応酬や激しい戦闘が行われてきたことで、4万7000人以上の死者が出ているとされる。だが実際には、10万人以上の犠牲者がいるとの説もある。

 このように、拭い去ることのできない不信感がカシミールの住民に染み付いている中、インドの憲法370条で定められたカシミールの自治権を剥奪するという決定が発表されたのである。混乱は必至で、インド政府が部隊を増派して監視を強化させたのも当然と言えよう。

 では、そもそもカシミールの住民は何を求めているのか。彼らは、インドにもパキスタンにも支配されたくはないと考えている。住民らのほとんどは、「自己決定権」による分離独立を目指している。国連安全保障理事会も、これまで何度かカシミール紛争について「自己決定権」を与えるべきとの見解を示してきたが、インドがすべて無視してきた。

 ただ今回の自治権剥奪により、カシミールは独立から後退したと言える。だからこそパキスタンはこの決定に、インドとの貿易を停止し、両国間を走る鉄道を止め、インドの駐パキスタン大使を追放した。イムラン・カーン首相は、「今回こそは思い知らせてやる」と反応している。


 印パ両国が核保有国ということもあり、8月16日、国連安全保障理事会が再びカシミールの問題を議論する。大きな進展は見込めないが、世界に問題を再確認させることには繋がるかもしれない。

 15日にはカシミールの国境地域でパキスタン兵とインド兵が銃撃戦を行って、両サイドで死者を出している(インド兵の死亡についてインド側は否定)。これからインド部隊によるカシミールへの締め付けが強化されることは間違いない。それに伴い、反発する人たちがカシミールを舞台にテロなどを巻き起こす可能性もまた高い。

 世界は、インドとパキスタンという核保有国が冷静な対処をするよう働きかける必要がある。

筆者:山田 敏弘