アンチドロップアウト 第3章 vol.8 part1

「覚悟」

 千葉県、成田市。2013年9月、彼は行きつけのイタリアンレストランでランチを終え、3杯目となるブレンドコーヒーを飲みながら、何十回もその言葉を繰り返した。GKとしていかに振る舞うべきか――。92年に水戸短大附属高校を卒業して鹿島アントラーズでプロサッカー選手になってから、そのことに向き合わなかったことはただの一日もない。

「ゴールキーパーとしての覚悟は、今までにないほど強くなっています」

 39歳の偉丈夫は、篤実(とくじつ)さが染み出るような低い声音で言った。

「大袈裟かもしれませんが、自分がゴールキーパーとしてゴールマウスを守るときは、例えば嵐が巻き起こり、根こそぎすべてを吹き飛ばしたとしても、僕はそこにとどまりたい。粉々になっても匂いだけは残る、そんな風に生きたいんです。アントラーズでお世話になったジーコ、宮本(征勝)さんはそういう高潔な方たちだった。勝負に対する覚悟を持っていたというんですかね」

 彼の語る言葉には、名利(みょうり)に対して恬淡(てんたん)とした、人によっては頑迷にも映る、愚直な人柄が滲(にじ)む。

「先日、アルゼンチンリーグの試合を見ていたら、カウンターを食らったディフェンダーが必死にアタッカーを追走しながら躓(つまず)いてしまったんです。どうするかな、と思っていたら、転んだ勢いのまま顔からボールに飛び込み、シュートをブロックしたんですよ。僕としてはそういう覚悟の人たちと共に戦いたい。今は自分の中で覚悟さえできていれば、見合うべき人、場所に巡り会える、そう固く信じているんです」

 2013年1月31日にアルビレックス新潟とのプロ契約が切れて以来、彼には所属チームがない。年齢を考えれば、「引退した」と捉えているファンも少なくないだろう。地域のフットサルチームや女子チームの練習に参加しているというが、たった一人でGKがコンディションを保つことは容易ではない。それは精神的に過酷な日々のはずだが、彼は「濃厚な時間。ゴールキーパーである自分と雑念なしに向き合えますから」と笑う。

「プロサッカー選手」

 所属クラブのない彼がそう胸を張れるのは、"GKとして生きる"という壮絶な覚悟を貫いているからにほかならない。

「世の中では、いろんなことが動いています。東日本大震災や原発の被害だったり、地元が茨城なので穏やかな気持ちではないですよ。でもなにがあっても、自分の覚悟だけは形も色も匂いもなに一つ変わらないから」

 誠実な眼差しで口にするその内容は、いささか高邁でどこか可憐で浮き世離れしているが、木訥に我が道を信じる彼は、どんな選手よりも選手としての現実を生きている。

 小澤英明は92年に鹿島と契約後、1994年11月にJリーグ初出場を経験している。常勝クラブのGKとして、関係者の評価は高かった。アトランタ五輪本大会は腰の痛みで出場を断念したが、西野朗監督からは当初、背番号1をもらっていたほどだ。

 1997年に治療法を巡って鹿島を退団した後もアメリカで体を作り直し、痛みを完治させ、1998年10月には横浜マリノス(現横浜F・マリノス)と契約している。だがアトランタ世代の好敵手、川口能活が正GKに君臨していており、出場機会は限られた。そこで2000年3月にセレッソ大阪、2001年にFC東京、2004年に鹿島と移籍するも、いずれのクラブでも正GKの座を奪えなかった。

 小澤は2005年まで、リーグ戦出場はわずか10試合しかない。2009年10月の磐田戦のベンチ入りで、GK立石智紀の記録を抜くベンチ登録252試合の最多記録を樹立。実はセカンドGKとしての評価は「練習に手を抜かないから、チームに緊張感を与える。縁の下の力持ち」と関係者が絶賛するほどだった。実際、小澤加入後の鹿島はいくつものタイトルを獲得し、リーグ3連覇を記録。小澤退団(2009年)後はリーグ優勝がない。

「Jリーグ最高のセカンドGK」として引く手あまたの人材だった。

 しかしながら小澤は、自らを「セカンドGK」と認めたことは一度もない。

「自分がベンチにいながら、なぜ長い状況を生きてこられたか。それは、自分も同じようにピッチで戦っている気持ちになっていたからだと思います。たとえベンチにいても、試合に出たような精神状態で集中していました。だから90分が終わると、不思議と体が疲れていたんです」

 小澤は達観した笑みを頬に浮かべる。「Jリーグベンチ登録第1位」という記録は、本人には心外だった。

「練習のときから、"試合に出ているGKより自分は上回っている"という自負がありました。他のゴールキーパーが10本中7本止めれば、自分は8、9本止めてきたんです。"俺は勝っている"、その心理状態を繰り返すことで、ある境地に達しました。"出られない現実はあるにせよ、自分は乗り越えている、結果を出している、監督の決断がどうであれ"と悟れたんです。自分に酔っていると言われれば、それまでです。でも、ゴールキーパーはそうでもしなければやっていられない部分もありますから」

 GKたちは、狂気に似た矜持(きょうじ)を持っている。

 世界最高GKの呼び声が高いイケル・カシージャスは、1999年に優勝したワールドユースでは控えGKで、2試合にしか出場していない。ところが後日のインタビューで、「当時はサブでしたが」と前振りをすると、「なにを言っている? 俺は正ゴールキーパーだった」と真面目な顔で憤慨した。「しかし記録では」と反論しても、彼は全く取り合わなかった。驚くべきことに、カシージャスの脳内では「正GK」と記憶が上書きされていたのだ。

 GKはたった一人のためにあるポジションで、試合中の交代もほとんどない。11人の中で唯一、手を使うことが許されているが、そのために失点はほとんどすべての責任を背負わされ、孤独な立場にある。その結果、特異な精神構造が発達すると言われる。
(続く)

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki