「腸の中に卵が産み付けられていた」だけじゃない…太鼓のように腹が膨れる“ナゾの奇病”の感染者を解剖してわかった“衝撃の感染経路”とは〉から続く

 ミヤイリガイを中間宿主として育ち、やがてヒトの体内に侵入して死に至らしめる寄生虫、その名も日本住血吸虫。彼らの奇妙なライフサイクルを追ってみよう。(全3回の3回目/最初から読む)

【閲覧注意】ホンモノの“死の貝”はこちら。感染症の原因とわかったため、大部分が駆除された


ミヤイリガイ(甲府市)=宮入慶之助記念館所蔵

 ◆◆◆

唯一の中間宿主はミヤイリガイ

 それは、ヒトを含む哺乳動物の門脈(肝臓に近い静脈)から始まる。日本住血吸虫の卵はここに産み付けられ、宿主の糞便とともに外界へ排出される。水中に辿り着いた卵は、やがて孵化し「ミラシジウム」と呼ばれる小虫が姿を現す。

 ミラシジウムの全身は繊毛で覆われ、水の中を自在に泳ぎ回る。彼らに与えられた時間はわずか18時間。その間に、唯一の中間宿主であるミヤイリガイを見つけ出さなければ、彼らは死滅してしまう。

 他の貝では代わりにならない。必ずミヤイリガイでなければならないのだ。

 まんまとミヤイリガイの中に侵入することに成功したミラシジウムは、1ヶ月くらいで「セルカリア」と呼ばれる幼虫へと成長する。

 その姿はまるでおたまじゃくしのように、尻尾の先が二つに分かれている。彼らは再び水の中へと泳ぎ出し、いよいよ最終的な宿主である哺乳動物の体内を目指す。

 なお、哺乳動物の中でも日本住血吸虫が好むのは、ヒトの他にはウシ、イヌ、ネコ、ブタ、ヤギ、ネズミなど。ヒトの近くにいる家畜に多いようである(ただし、ウマの体内ではあまり長く生きることができない。ウマは特殊な免疫能を持っているとか)。

健康な皮膚を突破して体内に侵入

 日本住血吸虫の恐ろしさは、その侵入方法にある。

 彼らは宿主の皮膚に触れた瞬間、そこを突き破って体内にねじり込む。この奇病が知られて以来、長年の間疑われてきた経口感染(口から入ること)は稀であり、皮膚に傷がある必要さえない。健康な皮膚を突破して体内に侵入するのだ。

 つまり、ミヤイリガイが生息する水域に肌が浸かるだけで、誰にでも感染の危機が訪れる。水の張った田んぼに入らなければ生活できない農民にとって、それは厄介な状況と言えよう。

 しかし、日本住血吸虫の幼虫も必死だ。約48時間以内に好みの哺乳動物がそばを通りかかって瞬間的に体内へ侵入できない限り、やはり死滅してしまうのだから。

 なんとか宿主の体内への侵入に成功し、死滅することを回避した日本住血吸虫。彼らはいったいどのようにして、宿主の腹部を太鼓のように大きく膨らませるのだろうか。

 彼らは体内に入ると、まず近くを通るリンパ管や静脈の中に入り込む。そして、宿主の全身を巡ることになる。

 日本住血吸虫は雌雄異体。吸虫類(口吸盤と腹吸盤を持ち、宿主の組織や血管に吸着する寄生虫の総称)の多くが1つの体内にオスとメスの器官を持つ雌雄同体である中、それは特異とされている。

 オス虫はメス虫と比べると短大で、9.5ミリ〜19.5ミリ×0.5ミリ。灰白色または赤白色で、後体部にメス虫をおさめるための抱合管を持ち、睾丸が線状に6〜8個並ぶ。

 一方、メス虫は細長く、16ミリ〜20ミリ×0.3ミリ。褐色で、子宮は腹側に開口し、子宮内に50〜300個の卵子が認められるという。

 成熟したオス虫はその抱合管にメス虫をおさめる。このペアは一度結ばれると、生涯離れることなくそのまま抱き合っているらしい。らぶらぶだ。

膨大な数の卵を血管に詰まらせ…

 2匹は受精卵子を形成し、排卵する。宿主に入り込んでから排卵まで、通常30〜40日。そして、1日にだいたい3000個の卵を産みながら、約3年間生きるのだ。

 病状を引き起こすのは、成虫そのものではなく、この膨大な数の卵である。

 卵のサイズは赤血球の約7倍から10倍。これが血液の流れに乗って各所の臓器の細い血管に詰まり、重篤な症状を引き起こすのである。

 さて、ヒトに病気を起こさせる経過には、急性期、亜急性期、慢性期の3つの時期がある。また、症状が起こる場所はさまざま。主な場所は肝臓。それに続いて脳に詰まることが多いという。

 急性期は成虫が産卵を開始した合図。38度くらいまで熱が上がり、下痢に血液が混じったり、粘液が混じったりする。おなかがシクシクと痛み、その状態が約1週間から10日くらい続く。

 卵が血管内に詰まることで症状が表れるのが亜急性期。卵が脳の血管に詰まれば脳卒中と同じ症状を招き、肝臓に詰まれば激しいだるさや腹部の圧迫感をもたらす。

 慢性期になると、血管内に詰まった卵が臓器の中に肉芽腫という肉の塊を作り、腫瘍のような状態になる。もし脳にその症状が起きれば、脳腫瘍とまったく同じ症状が出る。

 肝臓にその症状が起こり続けると、やがて腹水が溜まり、栄養障害を起こして死に至る。

 かつて『甲陽軍鑑』に記された武田信玄の家臣たちの症状や、医師・藤井好直が『片山記』で克明に記した病の正体は、まさにこれであった。

 つまり、ミヤイリガイが生息しない場所で、この病気に感染することはない。逆に感染者がいるなら、ミヤイリガイも周辺の水辺に生息するというわけだ。

GHQまで介入した“駆除作戦”

 ミヤイリガイがいなければ、この病は防ぐことができる――。

 この事実が判明すると、ミヤイリガイを駆逐せよ、ということになった。

 大正時代から広島県や山梨県で始まった試みは、石灰による消毒、火炎照射、さらには天敵としてのアヒルの放し飼いなど。より有効な撲滅法を見つけようと試行錯誤したようだ。

 昭和13(1938)年には、コンクリート化された水路付近にはミヤイリガイが存在しないことが判明。そこで、最善策として水路コンクリート化が提唱され、貝の生息地を奪うための大規模なインフラ整備が始まった。

 第二次世界大戦による混乱期を経て、日本住血吸虫症の長い歴史に登場するのが連合軍総司令部(GHQ)である。

 GHQの軍医が山梨県と福岡県にそれぞれ入り、実態調査を開始。日本住血吸虫撲滅対策の研究を始めた。なぜGHQが介入するようになったのだろうか。

 軍医らを流行地に案内した福岡県の医師(井上束「宮入貝とアメリカ軍医」/『久留米医師会史』昭和45年刊)によると、実はアメリカ軍も太平洋戦争におけるレイテ進攻の際、日本住血吸虫に悩まされていたという。

「マラリアへの米軍対策は見事であったらしいが、レイテ島に宮入貝が生息していようとは、さすがの米軍軍医部も気付かなかったために、1700人以上の兵士が戦闘から脱落し、延べ30万以上の戦闘力と、300万ドルもの治療費を失ったとあるから、これに懲りての調査であったのかと合点がいった次第である」

 GHQの研究によって集団治療が始まり、ミヤイリガイを殺貝するために薬を散布。こうして、ようやく流行地における日本住血吸虫症の感染率は減少したのだった。

今なおこの病に苦しむ地域は多い

 日本住血吸虫の影に怯えずに済むようになったのは、割と最近のことである。

 広島県で「日本住血吸虫病流行終息報告書」が出されたのは平成3(1991)年。山梨県では平成8(1996)年に日本住血吸虫症流行の終息を宣言。福岡県で同じく終息宣言が出たのは平成12(2000)年だ。

 しかし、これは“撲滅”ではなく、あくまで国内での“終息”に過ぎない。世界に目を向ければ、今なおこの病に苦しむ地域は多い。

「地方病に挑む会」を立ち上げてフィリピンへ15年間で60万人分の治療薬を寄贈し、日本住血吸虫症の撲滅事業に尽力し続けた医師・林正高氏。

 氏はまだまだ問題は山積みと警鐘を鳴らす。日本が持つ知識と技術を世界に伝えることの重要性を説いている。

 平成28(2016)年にこの世を去った氏の思いは、今、どれほどの人々に伝わっているだろうか。

 私たちが当たり前のように水辺に立てる今日という日は、先人たちが文字通り泥にまみれ、寄生虫と戦い抜いた歴史の上に成り立っている。その戦いの記録を私たちは決して忘れてはならない。

〈参考〉
・『久留米市誌 上編』(久留米市役所/1932年)
・『久留米市誌 中編』(久留米市役所/1932年)
・『続久留米市誌 上巻』(久留米市役所/1955年)
・山梨地方病撲滅協力会編『地方病とのたたかい』(山梨地方病撲滅協力会/1977年)
・『筑後川流域における日本住血吸虫病撲滅史』(水資源開発公団、筑後川開発局、筑後大堰管理所/1986年)
・小林照幸『死の貝』(文藝春秋/1998年)
・林正高『寄生虫との百年戦争―日本住血吸虫症・撲滅への道―』(毎日新聞社/2000年)
・『山梨県史 通史編5 近現代1』(山梨日日新聞社/2005年)
・宮入慶之助記念誌編纂委員会編『住血吸虫症と宮入慶之助―ミヤイリガイ発見から90年―』(九州大学出版会/2005年)

(林 らいみ)