名古屋の小さな食堂の2階にあるガンビア名誉総領事館…「なぜそんなに肌が黒いの?」日本人の心無い声に総領事が返した言葉
西アフリカにあるガンビア共和国。その名誉総領事館は名古屋にある小ぢんまりとしたガンビア料理店の2階にある。名誉総領事は店主でもあるビントゥー・クジャビ・ジャロウさん。2015年から無給でビザ発給や在日ガンビア人のサポート、2国間の交流支援などに従事してきた。日本に来た当初は「なぜそんなに黒いの?」などと心無いことを言う日本人もいたという。そんな中で彼女はどう生きてきたのか。そして彼女を支えた日本人女性とは。
「ガンビア人はシャイですけど、すごく心優しい国民性です」
西アフリカに位置するガンビア共和国。その日本唯一の公館は、なんと名古屋にあるガンビア料理店「JOLLOF KITCHEN」の2階にある。名誉総領事館の名誉総領事を務めるのはレストランの店主でもあるビントゥー・クジャビ・ジャロウさんだ。
一般的に外国の大使館や領事館は専用の建物があり、専任の職員がいるイメージのため、4月中旬、Xでその意外性から大きな話題となった。
ジャロウさんは現在58歳。1991年に来日し、2015年からは在名古屋ガンビア共和国名誉領事(2019年から名誉総領事に格上げ)を無給で務めている。ビザの発給や、日本在住のガンビア人のサポートだけでなく、日本に対してガンビアの魅力についての発信も続けている。
日本にはまだなじみが薄い国だが、ジャロウさんはその魅力についてこう語る。
「ガンビアは自然が豊かで料理もおいしい国です。観光で訪れる外国人も多く、人々もとてもフレンドリーですよ。自分で言うのは恥ずかしいですが、本当にいい国です。毎年50人から100人の日本の方が訪れていて、4人ほど住まれています。逆に、現在日本には200人ほどのガンビア人が住んでいます」
そこに暮らす人たちはどんな国民性なのだろうか。
「ガンビア人はシャイな人が多いですが、一度つながった人との関係をとても大切にします。ずっと挨拶をし合うような関係が続くんです。貧しい人に食べ物を分けたり、住む場所や仕事を提供したりすることも珍しくありません」
そもそもジャロウさんはなぜ日本に来たのだろうか。全く文化の違う日本になじむのは大変だったのではないだろうか。名誉総領事になるまでのパーソナルストーリーもきいた。
「最初はパートナーが日本語を勉強するのに付き添う形で日本に来ましたが、1年後には子どもが生まれたので、子育てしながら働くようになりました。大学で英語を教えたり、ガンビアやアフリカの文化について講演したりしていました」
当時のガンビアには大学がなく、勉学のために海外に出ることは特別なことではなかったという。
「兄弟はスウェーデンやカナダにいますし、親戚も世界中にいるので、旅行してもホテルはいらないんです(笑)」
一方で、日本での生活は決して順風満帆ではなかった。
「来日したての頃、日本語は本当に難しくて、話すことも読み書きもできませんでした。だから、買い物もできないし、公共交通機関も使えない。来たばかりの頃は毎日のように泣いて、帰りたいと思っていました」
転機となったのは出産だった。
「子どもが生まれて、『この子たちを守らなきゃいけない』と思ってから強くなりました。本やテレビ、演歌を聞きながら独学で必死に日本語を覚えました」
「まるで家族のように助けてくれた日本人女性」
そんな中で出会った一人の日本人女性の存在が、人生を大きく変えた。
「30年ほど前に知り合った女性が、私たちの生活をすごく助けてくれました。上の子どもの幼稚園の送り迎えでよく会う方で、いつも挨拶をしてくれていました。その方はご家族が海外にいた経験があって、『どこの国から来られたんですか』と話しかけてくれたところから、交流が始まりました。それ以来、私と子どもたちのことをすごく気にかけてくれたんです」
交流は次第に深まっていった。
「日本語や日本の文化について教えてくれました。また、下の子の妊娠中は上の子の送り迎えをしてくれたり、私が仕事で手が離せないときはいつでも助けに来てくれました。料理を作って届け合ったこともよく覚えています」
その女性との関係は、単なる“近所付き合い”を超えていく。
「子どもたちにとっては本当のおばあちゃんのような存在でした。私の作ったガンビア料理に対して『すごくおいしいからお店を出した方がいいよ』と言ってくれたことが、お店を出そうと思った大きなきっかけになったんです」
しかし、その女性は4年前に亡くなってしまった。
「亡くなる少し前から入院されていました。ですが、当時はコロナ禍だったこともあって私たちは面会もなかなかできませんでした。亡くなったときは私も子どもたちもすごく悲しみました。
ですが、実は彼女は亡くなる前に、『これをあの子たちに渡してほしい』と、ご家族に“とあるアルバム”を託してくれていたんです。それは出会ってから何年も彼女が撮ってくれた私たち家族の写真でいっぱいのアルバムでした。今も大切にしていて、つらいことがあったらそれを見て頑張ろうと思えるんです」
もちろんすべての日本人がこの女性のように優しかったわけではなく、来日当初は、日本人からの偏見を感じたこともあった。
「来日したての頃、私の肌の色について『なんでそんなに黒いの?』とか『どこで肌を焼いてきたんですか?』などと心無いことを言われたことがあります。しかし、そのときは自分はガンビア人で、ガンビアがどんな素晴らしい国かを説明しました。そうしたら心無いことを言ってこなくなったんです」
「知らないものに不安を持つのは当然のこと」
さらに現在は状況も変わってきたという。
「最近はそういうことはほとんどありません。日本人の皆さんが、外国人を見かける機会や、外国の文化や歴史に触れる機会が増えてきているからだと思います。昔、子どもが学校でつらい思いをしたこともありましたが、先生たちは真剣に向き合ってくれました。
子どもたちももう成人して一人暮らしをしていますが、周囲の日本人といい関係性を築けているようです。ただ、本人たちはその時のことは思い出したくないそうで、あまり私からも当時の話はしないようにしています」
印象的なのは、その受け止め方だ。
「日本人が差別的だと思ったことは一度もありません。知らないものに対して不安を持つのは自然なことですから」
だからこそ、こう続ける。
「文化を知るきっかけがあれば、誤解は生まれないと思います。私は名誉総領事としてそのきっかけを作る役割を果たしたいんです。だから、無報酬で経済的に厳しいとはいえ、可能な限りガンビアの魅力についてもっと知ってもらえるように活動していきたいです」
異国で言葉も分からず涙を流した日々の中で出会った一人の日本人との関係が、彼女の人生を大きく変えた。
“名誉総領事”という肩書きの裏側にあるのは、国家間だけではなく、人と人とのつながりの積み重ねだ。“知らないこと”が壁になるのだとすれば、“知ろうとすること”は、その壁を越える最初の一歩になる。日本とガンビアとの懸け橋になろうとするジャロウさんの矜持を見た。
取材・文/集英社オンライン編集部
