悲惨な交通事故のニュースが後を絶たない。今年3月には、新名神高速道路で大型トラックが追突した事故によって6名が、富山県では赤信号を無視して時速140キロで交差点に進入した車両と衝突した事故で親子2名が命を失った。

【画像】被告人は医師から運転を禁止され、家族からも止められていた

 こうして報道されたもの以外にも、命が失われる痛ましい交通事故は数多く発生している。そしてもちろん、遺族の悲しみというのは決して報道の大小等に比例するものでもない。


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 2026年3月に大阪地裁で判決が言い渡された、過失運転致死の裁判はその最たる例と言えるかもしれない。てんかんを有し、軽度のアルツハイマーと診断され運転を禁止されていた男性を被告人とする公判には、被害者参加制度を用いて遺族4名も参加。法廷内でその審理を真剣な面持ちで見届けていた。

 判決が言い渡され、閉廷したタイミングでは遺族の1名が「この人殺し! あんたが殺したんや!」と被告人に詰め寄り、被害者の遺影を見せながら泣き崩れるシーンがあったこの事件について、全4回の公判を傍聴した裁判ライターの普通氏がレポートする。

医師から運転を禁止されながら、「薬を飲めば大丈夫」と運転してしまった

 被告の男性は60代半ば。スーツを着用しているが、少し背中を丸め常に伏し目がちな様子や小さな声などは、憔悴とは少し違う「弱々しさ」や「自信のなさ」を感じるものであった。入廷すると、被告人は当初、しばらくその場で立っていた。

 交通事故裁判の場合、裁判所職員によって被告人や関係者の入廷のタイミングが調整されることがある。これは、法廷外で当事者と接触することでトラブルになるのを防ぐための措置だ。当裁判でも、その措置が取られた。

 そのため、先行して入廷した被告人は遺族が入廷した際、頭を下げるために立っているのかと思われた。しかし、しばらくすると着席。遺族が入廷した際に立ち上がって礼をすることも、目を合わす様子も見られなかった。筆者が確認する限り、公判の最中・前後で被告人が遺族に視線を向けた機会はほぼ見受けられず、うつむくばかりであった。 

 起訴状によると、事故は2025年1月末の平日、帰宅などで道が混みあう午後6時過ぎに起きた。

 被告人は、勤務先の駐車場から普通自動車を運転し自宅への帰路についた。しかし、被告人は過去にてんかん発作により意識障害を起こしたことから、医師に運転を禁じられていたにもかかわらず、薬を飲めば大丈夫などと過信した上で運転を行った。

運転中に意識喪失、車の速度はどんどん上がり……

 その後、時速30〜40kmで走行中に痙攣発作で意識を喪失。制御が利かなくなった車の時速は70kmにまで達した。その結果、同一方向を走行していた原動機付自転車に乗っていた25歳男性に衝突。被告人車両は、縁石に乗り上げ街灯に衝突したところでようやく停車した。

 その後も意識喪失は継続しており、約4分後に意識が回復したところ、すでに臨場していた警察官に現行犯逮捕された。被害者は同日に亡くなった。

 この起訴事実に対し言い分を答える罪状認否において、被告人は「いや……(間違いは)ないと思います」と自信なさげに答える。そのはっきりしない答えに遺族の感情はいかようであったか、想像に難くない。

 しかし、被告人がこのような答え方になるのにも理由があった。被告人は、てんかんの症状を有している他に、軽度のアルツハイマーとの診断も受けており、認知機能の低下を医師からも指摘されていた。そしてこれらは、事故の発生原因となっただけでなく、事故後の対応など様々な形で当事者らを苦しめていくことになる。

以前にも、交通事故を起こしていた

 公判で明らかになった被告人の病歴と、運転との関連は次の通りだ。

 約20年前、被告人は自身の記憶の減退を感じて検査したところ、解離性障害と診断される。それ以降、仕事の必要事項はメモを残さないと対応が困難になった。一方で、日常生活においてメモを残したりはしていなかったという。被告人は「日常生活では支障がなかったので(メモはしなかった)」と法廷で供述したが、それが十分でなかったことはその後の経緯からも明らかであった。

 てんかんの疑いがあると診断されたのは、事故の約4年前。筋肉が急に固まるなど身体に異変を感じたところ、てんかんの疑いがあるとして薬を処方された。そして、その数カ月後には自転車との衝突事故を起こしてしまう。

 同乗していた妻は、被告人の手が震えだして痙攣をした様子を見たという。その経験から、車に乗らない方がいいと伝えた。しかし、被告人は法廷において、その事故の記憶を蘇らせることはできなかった。

医師から運転を禁止されるも免許を更新「大丈夫と思っていたので……」

 事故を起こした翌年には、てんかんと正式に診断を受ける。薬の服用を指示され、運転を禁止された。しかし、服薬は適切に行われなかった。逮捕後、被告人の職場のロッカーやデスクの引き出しからは、多量の飲み忘れた薬が発見されたという。

 妻も薬の飲み忘れには気付いており、仕事中の被告人に促す連絡をしていた。しかし被告人は、目の前の薬が飲み忘れなのか、それとも予備として置いているものなのかすら認識できなかった。

 事故の2年前には、てんかん症状を有することを申告せず運転免許の更新を行った。

検察官「更新のタイミングで、免許を返納しようとは」

被告人「大丈夫と思っていたので」

検察官「大丈夫とはどういうことですか?」

被告人「特に、なんとも考えてなかった」

 被告人は当時、運転するつもりはなかったのかもしれない。妻も、医師に禁止されて以降は自転車で通勤していたと証言している。しかし、その点を被告人に尋ねても「そうだったと思う」と曖昧な回答しかできていなかった。

 免許更新後、車検・自賠責保険・任意保険の更新も行っていた。

再度医師から運転を禁止されても、運転→今回の事故に

 事故の3カ月前には、救急搬送されるほどのてんかんの重積発作を起こす。この時に側頭葉てんかんと診断され、あらためて運転を行わないよう医師から指導を受けた。にもかかわらず、事故の前日には出勤とその帰宅時に被告人が車を運転していたことがわかっている。この日、同居している家族は被告人が運転していたことに気付かなかったという。

 同居している子どもが利用する可能性があるとして、車は家に置いていた。しかしそもそも事故後に「廃車」としており、必ずしも生活に必要なものではなかったはずだ。鍵も厳密に管理をしていたわけではない。妻はそのことについて「軽く考えすぎていた」、「浅はかだった」と答えた。  

被告人の運転に気付いた妻だったが……

 そして事故当日、被告人が車で出勤したことに出発から10分くらいで気付いたという妻は、そのときの心境として「持っていってしまったなぁ」と思うだけだったと振り返る。被告人に「安全に」と連絡をしただけで、その後運転代行を呼ぶことも帰宅の方法を指示することもなかった。

 ここまでの話を聞いていて、遺族としては「いくらでも事故を防ぐチャンスはあったはず」と思うことだろう。裁判の後半で行われた、被害者母の意見陳述では「交通事故の中には、避けられないものがあるのはわかる。しかし、今回は避けられたはずだ」、「常識ある判断さえできていれば……」、「殺されたと思っている」といった言葉が並んだ。

 被告人の主治医からの意見として「服薬の管理能力も十分でないほどの認知機能の数値である」といったものが裁判の中で証拠採用されている通り、被告人が悪意を持って運転を行ったわけではない。しかしこの点は、遺族の怒りを軽減させるものでなく「どこに怒りをぶつけたらいいか」とさらに苦しめる要素にもなってしまっている。

 続く後編では、事故直後の被告人のようすや、妻が被告人の運転を止められなかった背景。そして言い渡された判決や、法廷に響き渡った被害者母の叫びなどについてまとめている。

「気付いたら、車が大破していた」運転中に“てんかん発作”で意識喪失→死亡事故…医師から運転を禁止されていた『60代男性』が、それでも運転してしまったワケ〉へ続く

(普通)