是非は別にして、令和のニッポンはどこに行っても外国人だらけだ。修学旅行でもおなじみの有名観光地はもちろんのこと、日本人でもなかなか足を運ばないようなレアなスポットにも外国人が殺到していたりする。

【写真多数】江戸の城下町から昭和レトロまで…“ナゾの観光地の駅”「犬山」を写真で一気に見る(全42枚)

 おかげで、多少名の知れた観光地ともなると、日本人よりも外国人の方が多いなんてことも珍しくない。ホテルでチェックインしようとしたら、フロントから中国語で話しかけられた、なんて経験をしたこともあった。

 物価高も相まって、庶民が気軽に旅行しにくくなっている昨今。日本の観光産業はインバウンドに支えられている側面があることは、否定できない(是非は別にして、ですよ)。

 で、そんな外国人観光客に人気の町のひとつに、「犬山」があるという。……なんてことを、編集氏に教えてもらった。いったい犬山って、どこにあるんでしょう。そしてどんな町なんでしょう。行って来てください、というわけだ。


愛知県北部“ナゾの観光地の駅”「犬山」には何がある? 撮影=鼠入昌史

“ナゾの観光地の駅”「犬山」はどこにある?

 そこでさっそく犬山駅を目指した……のだが、最初にある程度答えを出しておこう。犬山市は愛知県北西部にある人口約7万人の町だ。北には木曽川が流れ、その対岸はもう岐阜県という、県境の町である。

 名古屋駅からは名鉄犬山線が通っていて、特急や快速特急ならば30分ほどで犬山駅に着く。ついでに言えば、中部国際空港から直通の特急「ミュースカイ」も犬山駅に乗り入れていて、空港からの所要時間はだいたい1時間だ。

 つまり犬山は、名古屋の陸と空の玄関口から乗り換えナシで一直線という、交通の便にめちゃくちゃ恵まれた町なのだ。観光客人気の背景には、この便利さが大きく関係しているのだろうか。

 そんなこんなで、名古屋駅から新鵜沼行きの快速特急に30分。電車は犬山駅に着いた。

電車から降りると「これは驚いた…」

 犬山駅には、名鉄犬山線の他に広見線と小牧線も乗り入れている。広見線は東に向かって可児方面へ。小牧線は南に下って名古屋の中心市街地を目指す。また、岐阜〜新鵜沼間を結んでいる名鉄各務原線の電車も犬山駅直通だ。

 だから犬山駅は、いわば愛知県北部の鉄道のジャンクション、要衝のターミナルというわけだ。

 そんな事情を抱えているからなのか、どうなのか。橋上駅舎の改札を抜けると、自由通路にはコンビニにゼッテリア、カフェや観光案内所などが並んでいる。

 さらにそのまま駅の西口に向かって自由通路を進んでゆくと、驚いた。犬山駅の西口には、駅直結(というか駅ビルがそのまま)のマンションがあるのだ。

 ここに住めば、徒歩0分で電車に乗れて30分で名古屋駅。超がいくつ付いても足りないくらいに便利ではないか。

 調べてみると、このマンションはエスタシオン犬山といい、1992年築とやや古め。ただ最近リノベされたらしく、オシャレなデザイナーズマンションになっている。ワンルームの家賃は東京の浮世離れした金額とはまったく違って6万円。いやはや、なかなかの好物件である。

 それはともかくとして、犬山駅である。

西口からまっすぐ西に延びる目抜き通り

 犬山駅からマンションの下を潜って西口の広場に出る。広場の傍らにはホテルが建ち、奥には犬山市役所も見える。

 名実共に犬山の中心ターミナルといったところだろうか。そして西口からまっすぐ西に延びる目抜き通り。道沿いには飲食店や商店が建ち並ぶメインストリートだ。

 駅のすぐ近くには、南北に走る県道と交わる交通量のやや多い交差点がある。

昭和の匂いを漂わせる街並み

 もちろん横断歩道もあるのだが、歩道部分にはちょっと古めかしい顔をした地下道が用意されている。どことなく、昭和の趣の漂う犬山駅前のメインストリートである。

 さらにこの道を10分ほど進んだ先の、本町交差点。ここで左に目を向けると、1階部分に古い商店がずらりと並び、2階部分が住居スペースになっていると思しき商店長屋。これまた昭和の匂いが香しい。

 かつて(といってもほんの10年ほど前まで)、商店長屋の前の歩道にはアーケードが架かっていて、下本町アーケードという昭和の犬山ではいちばん賑やかな商店街だったのだとか。

今度は昭和どころか江戸時代

 一方、本町交差点の反対側を見ると、今度は昭和どころか江戸時代。木造の、いかにも城下町らしい街並みがまっすぐ北へと続いてゆく。

 北の端っこには小高い山が聳え、そのてっぺんには犬山城の天守閣。17世紀に建てられた、いわゆる“現存12天守”のひとつで、なんと国宝にも指定されている。そんなお城の前の本町通りは、城下町時代からの面影をいまに留める犬山きっての観光地、というわけだ。

 だから、本町通りには観光客がたくさん歩いている。背中には昭和レトロもあるのだが、それには目もくれずに本町通りの道沿いのお店に並んでスイーツやら何やらを食べ歩き。確かに外国人観光客の姿も目立つが、日本人も案外少なくない。

 城下町風情というよりは、観光地風情と言いたくなるが、それでもまあ、奥に小さく見える山の上の天守閣ともども、なんとも雰囲気のある街並みである。

 犬山は、この犬山城とともに歩んできた町だ。

観光の目玉は「城ではなかった」

 北に木曽川と面する天然の要害・犬山城。江戸時代には徳川御三家・尾張藩の領内だったものの、成瀬氏が犬山城に入って事実上の支藩として一帯を支配した。

 名古屋とは南北にほぼ一直線、約25kmの距離。いまでは名鉄電車で30分だが、江戸時代には丸一日かけて歩いて行き来するような関係だったのだろう。尾張一円を治める要のひとつが、犬山だった。

 さらに犬山は、北を流れる木曽川舟運の拠点でもあり、経済的にも発展したという。このときの城下町の中心が、お城の前にまっすぐ伸びる本町通りの城下町。明治時代には養蚕で繁栄し、1912年に犬山駅が開業してからはいよいよ本格的に観光都市として発展してゆくことになる。

 最初に観光の目玉になったのは犬山城……というよりは、木曽川の川下り(戦前は名古屋城にも天守閣が残っていた)。犬山よりも少し上流、現在の美濃加茂市付近から犬山までの約13kmの峡谷を、ドイツのライン川になぞらえていつしか「日本ライン」と呼ぶようになった。そのライン下りが、犬山周辺観光の最大の目玉になったのだ。

 といっても、当初は鉄道が犬山までしか通っておらず、ちょっぴり不便をかこっていた。そこで名鉄は現在の広見線を開通させた。以来、ライン下りは東海地方屈指のレジャーになり、ライン遊園駅(現在の可児川駅)から乗船場まで1.5kmの道のりはたくさんの人でひしめき合ったのだとか。

 さらに、1925年に名鉄は犬山城の東側に犬山遊園地をオープンさせる。戦後も観光地としての犬山は一層発展し、1960年には日本モンキーパーク、1965年には博物館明治村、1983年にはリトルワールドと、名鉄は次々にレジャー施設を犬山周辺にオープンさせている。

 こうしていつしか犬山は、名鉄沿線を代表する観光地になったのである。なぞらえるならば、東武の日光・鬼怒川、近鉄の伊勢志摩、阪急の宝塚、そして名鉄の犬山。

 東海地方の私鉄の雄・名古屋鉄道が開発した、一大レジャーランド・犬山は、国際会議観光都市にも選ばれており、実のところ日本を代表する観光都市なのだ。

城に近いのは隣の駅だが…

 犬山駅の隣には、犬山遊園という駅がある。木曽川を渡る犬山橋の袂の駅で、1926年に犬山橋駅として開業した。犬山遊園駅に改称したのは戦後になってから。その名の通り、犬山遊園の最寄り駅だった。

 ただ、犬山遊園は、現在のモンキーパークに通じる犬山ラインパークという遊園地が1960年にオープンすると、役割をそちらに譲っていつしか閉園。跡地にはホテルが建ち、犬山遊園という駅名だけが残っている。

 1962年から2008年までは、犬山遊園駅とモンキーパークを結ぶモノレール線もあった。ただ、それもなくなっていまでは橋の袂の小さな駅に。実のところ、犬山城も犬山遊園駅の方が近いのだが、城下町の散策をセットにするならば、犬山駅のほうが都合がいい。そういうわけで、観光客の多くは犬山駅を利用しているようだ。

 犬山駅の東口。こちらに来ると、城下町の西口側とはまた違った風景に直面する。大きな駅前広場は同じだが、傍らには地元のスーパーや巨大なマンション、ニュータウン。

 金融機関や郵便局、また簡易裁判所なども近くにあって、こちらはこちらで“ベッドタウン・犬山”の中では一定の役割を果たしているようだ。

 そんな東口の駅前広場には、明治村やリトルワールドに向かうバスの乗り場があった。並んでいる人はほとんどいない。名古屋から直接バスで向かうのか、それとも訪れた日が休園日か何かだったのか。それはよくわからないが、犬山が大観光都市であることに変わりはない。

 日本の歴史に触れるレジャースポットがいくつもあって、それでいて新幹線や空港からのアクセスも超便利。そりゃあ、外国人観光客で溢れるというのも、当たり前のお話なのである。

撮影=鼠入昌史

(鼠入 昌史)