なぜローマ帝国はハイパーインフレで自壊したのか。そして日本でも起きる可能性はあるのか。トルコ出身のエコノミスト、エミン・ユルマズ氏のインタビューを「超インフレ時代を生き抜くための新・投資入門」(文春MOOK)より一部抜粋し、見通しを尋ねた。(全2回の1回目/続きを読む)

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マネーは人類「20万年」の歴史の中でも新しい発明

――昨年10月に上梓された新著『エブリシング・ヒストリーと地政学』では、「マネー」を軸に世界史を読み解くという、非常にダイナミックな試みをされています。そもそも、なぜ今「歴史」だったのでしょうか。

エミン・ユルマズ(以下、エミン) まず理解していただきたいのは、人類(ホモ・サピエンス)がこの世に現れて約20万年と言われていますが、その中で「マネー」という概念が登場したのは比較的新しく、世界初の金属貨幣が誕生したのは紀元前670年頃のリディア王国※1(現在のトルコ西部)なんです。つまり、人類史から見れば、価値の尺度、交換手段、価値の保存の3つを可能にしたお金はかなり「新しい発明」なんですよ。 


エミン・ユルマズ氏

――なるほど、20万年のうちのわずか2600年ほどなのですね。

エミン そうです。それまではカカオ豆や貝殻が使われていたこともありましたが、金属貨幣というシステムができてから、経済圏が爆発的に発展しました。リディア王国から古代ギリシャ、そしてローマ帝国へと引き継がれていくこの「貨幣経済」は、文明の繁栄をもたらした一方で、一歩間違えれば文明そのものを崩壊させる“毒”にもなってきた。今の私たちは貨幣経済のど真ん中にいますが、過去の失敗を学ぶことは、激動する現代を生き抜くための最強の教訓になると思ったんです。

――リディアで生まれたクロイソスの金貨※2は、なぜ純度の高い「金(ゴールド)」だったのでしょうか。

エミン 金には際立った特徴があります。まず非常に軟らかいから文字や絵を刻印しやすく、細かく分割するのも容易です。さらに、変色しないので、土に埋めても家の中に置いても腐りません。カカオ豆ならネズミに食べられたり腐ったりしますが、金は価値が目減りしない。そして何より、キラキラしていて綺麗ですよね(笑)。

 それまでの自然合金のエレクトロン貨※3は一枚あたりの金の含有量が不安定でしたが、クロイソス王が純度の高い金属貨幣をつくった結果、その「美しさ」と「不変性」から交換媒体としての大きな信頼が生まれ、王国は最盛期を迎えたのです。

「給料」の語源は塩だった? ローマ帝国を支えたマネーの正体

――リディアで始まった貨幣制度は古代ギリシャで急速に発展します。ギリシャ人は数学や幾何学に強かったこともあり、金利や貸付といった高度なシステムを構築していったそうですね。

エミン ギリシャは都市国家同士が貿易を行っていたので、共通の価値基準としてのマネーが必要不可欠でした。面白いのは、民主主義とマネーの関係です。一般市民が貿易や自分の能力でお金持ちになれる平等なマネタリーシステムが、民主的な議論と意思決定の仕組みをはぐくんだとも言えます。これが後のグローバル貿易の原型になったんですね。

――そして、そのシステムをローマ帝国は広大な版図で運用するわけですね。

エミン ローマ帝国は高度なインフラを維持するために、膨大な数の公務員や軍人を抱えていました。ここで興味深いのが「サラリー(給料)」の語源です。これはラテン語の「サル(塩)」、つまり「サラリウム(Salarium)」から来ています。

――給料の語源が「塩」なのですか。

エミン そうです。冷蔵庫のない時代に食べ物の保存に使われていた塩は、非常に貴重な生活必需品でした。そんな塩を「サラリウム」で買っていたわけです。ローマは、兵士や役人に給与を支払うために、さらに高度な貨幣経済を必要としていきました。

――ローマの通貨といえば「デナリウス銀貨※4」が有名です。

エミン デナリウス貨は地中海全域で流通した、今で言う「ドル」のような基軸通貨の役割を果たしていました。現在のアラブ諸国で使われている「ディナール」という通貨も、元を辿ればこの「デナリウス」が語源です。ローマのコインには皇帝の顔が刻まれ、それが政権の象徴でもあった。私たちが今使っているマネーの概念のほとんどは、ローマ時代に磨かれたものなんです。

悪貨は良貨を駆逐する…ローマを衰退させた「通貨偽造」の代償

――しかし、盤石に見えたローマ帝国も、マネーによって崩壊の道を歩むことになります。

エミン 最大の理由は「領土拡大の限界」です。これまでは戦争に勝てば属州にした地域から鉱山資源や奴隷という安価な労働力が入ってきましたが、領土拡大が止まると新たな供給が途絶え、インフラ維持や軍事費だけがかさむ「財政難」に直面しました。そこでローマ政府は何をしたか。今で言う「金融緩和」、つまりお金を大量発行したんです。

――資源が乏しくなったのに、どうやって通貨の流通量を増やせたんですか?

エミン そのカラクリは、コインに含まれる金や銀の含有量をどんどん減らしていったんです。もともと100%近い銀の含有量だったデナリウス貨は、なんと150分の1にまで減らされます。人々はすぐに気づきます。「あれ、新しいコインは価値がないぞ」と。

――まさにグレシャムの法則※5「悪貨は良貨を駆逐する」の始まりですね。

エミン その通りです。質の高い昔の銀貨はみんな懐にしまってしまい、市場には質の低い「悪貨」ばかりが溢れた。その結果、猛烈なインフレが発生しました。紀元後200年から300年の間に、物価は150倍以上になったと推測されています。これは当時の経済規模ではとてつもないハイパーインフレです。

――物価が150倍……。市民の生活はたまったものではありませんね。

エミン 生活が苦しくなった市民は、財産を守るため農村へ移住しました。また、農村では小規模農民たちが地域の有力者らに土地を売り、自分たちはその土地に縛り付けられて働くコロヌスという小作人になっていった。これが中世ヨーロッパの農奴制であり「封建制度」の原型です。マネタリーシステムの崩壊が、自由な市民社会を終わらせ、暗黒の中世へと引き戻してしまった。

スペイン帝国を襲った「過剰流動性」の罠

――16世紀に世界を席巻したスペイン帝国の没落についても、マネーの観点から鋭い指摘をされていますね。

エミン スペインのケースは、ローマとは逆の悲劇です。コロンブスがアメリカ大陸を発見し、中南米から膨大な金銀がスペインに流入しました。一時は世界最強の富を誇りましたが、これが「過剰流動性※6」の罠を招いた。

――お金がありすぎることが、なぜ不幸を招くのでしょうか。

エミン 過剰なマネーは異次元の金融緩和と同じで、価格革命と呼ばれる猛烈なインフレを引き起こしたんです。ピーク時で物価は5倍に跳ね上がりました。例えば、もともとスペイン国内で靴を1足作るのに金貨1枚かかっていたのが、インフレで「金貨5枚もらわないと作れませんよ」となる。すると、イギリスやオランダでは金貨1枚で靴を買えるので、誰もスペインでは買わなくする。国内で作るより輸入した方が安上がりになりますよね。その結果、スペイン国内の産業が空洞化してしまった。

――国内の製造業が衰退していったわけですね。

エミン そうです。植民地から吸い上げた一時的な富に酔いしれ、国内での地道な価値創造を忘れてしまった。やがて金銀の流入が止まった時、スペインには何も残っていませんでした。一方で、スペインから流出した金銀を受け取ったイギリスやオランダは、それを使って自国の産業を育成し、次の覇権国家へと駆け上がっていった。マネーの流通量を正しくコントロールしないと、国家は転落するという典型例です。

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※1リディア王国…紀元前8〜6世紀頃、現在のトルコ西部に存在した国。世界で初めて、金属の重さと純度を国家が保証した「鋳造貨幣」を発明したことで知られる。この発明が、その後の人類の商業や経済の仕組みを劇的に変え、円滑な広域取引を可能にする基礎となった。

※2クロイソスの金貨…リディア王国のクロイソス王が作った、純度の高い金貨。それまでは金と銀の合金が使われていたが、これらを分離する技術を使い、より信頼性の高い通貨を実現した。この「純金貨」の登場が、後の国際的な貨幣制度のモデルとなった。

※3エレクトロン貨…金と銀が混ざった天然の合金で作られた、人類最古の鋳造貨幣で、リディア王国で誕生した。ライオンの頭の刻印が打たれ、王がその価値を保証したことで、取引のたびに重さを量る手間が解消された、貨幣史における革命的な発明である。

※4デナリウス銀貨…古代ローマ帝国で広く流通した標準的な銀貨。帝国の拡大とともに国際通貨となったが、国家の財政悪化により銀の含有量が次第に減らされ、深刻なインフレを引き起こした。貨幣の質が国家の盛衰に直結することを示す歴史的な教訓となっている。

※5グレシャムの法則…「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉で知られる。実質価値の低い貨幣と高い貨幣が同じ額面で流通すると、人々は価値の高い方を貯め込み、市場には質の悪い貨幣ばかりが残る現象を指す。貨幣制度の安定には品質の信頼性が不可欠であることを説いている。

※6過剰流動性…中央銀行の金融緩和などにより、世の中に出回るお金の量が経済活動に必要な分を大幅に上回っている状態。行き場を失った大量の資金が株式や不動産に流れ込み、実体経済とはかけ離れた資産バブルを引き起こす主因となりやすい。

エヌビディアの株価は「バブル」なのか…エミン・ユルマズが語るAIブームの“行方”とは?〉へ続く

(エミン・ユルマズ/文春ムック)