欲望をコントロールできず逮捕された大金持ちも…芸歴70年・堺正章が語る「お金があっても幸せになれない人の特徴」――2025年読まれた記事
2025年(1月〜12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。男性著名人部門の第5位は、こちら!(初公開日 2025/02/23)。
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いくら大金持ちになっても、欲望をコントロールできなければ破滅の道をたどることも…。芸能人生70年、堺正章さんが見た「良いお金の使い方・悪い使い方」とは? 堺さんの新刊『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

堺正章さんが語る「正しいお金の使い方」とは?(画像:時事通信社)
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「いくらで買った?」
クラシックカーの話となると、すぐそういうところに落とし所を持っていく人がいる。そのたびに僕はげんなりさせられる。値段の話に即座にスライドさせるなんて、行儀が悪いにもほどがある。こちらはせっかく素敵な「文化」の話をしているのに、それでは夢がだいなしになってしまうじゃないか。
お金との付き合い方で「人の本質」がわかる
お金との付き合い方には、その人の本質が表れる。バブル時代を経て、いろいろな人を見てきた僕が思うのは、世の中にはお金がもたらす落とし穴がたくさんあるということだ。そりゃあお金はたくさんあっても困ることはないけれど、ほどほどでいいのだ。そういう感覚を持たなければ、知らないうちにお金という魔物に支配され、気がつけば落とし穴にはまり込んでいることになる。そんなふうに、穴に落ちていく人を僕はたくさん見てきた。
バブル期には、銀行が誰にでもお金をがんがん貸しまくっていたから、「今ならすぐ10億借りられますよ」とか、「こんなおいしい話がありますよ」などと、さまざまな儲け話が飛び交っていた。実際、面白いように資産が膨らんでいったバブル成金のような人たちが、僕の周りにも大勢いたものだ。
ラスベガスのカジノをいくつも買い取ったり、LAやハワイのホテルのオーナーになったり、プライベートジェットや船を所有したりする人もたくさんいた。でもみんな社長になっただけで満足し、運営は現地に任せきりだったから、結局、長続きしなかった。本来は、買収後にいかに運営していくかがいちばん大切なのに。
僕は昔から資産運用の類が苦手で、その手の話に一切乗らなかったから、バブルが弾けたときもまったく影響を受けず、困ることは皆無だった。僕にとっての喜びは、純粋に努力して、自分の芸事を高みに上げていくことにほかならない。喜びはお金では得られないのだと思っている。だから、お金がすべての答えだと思っている周囲の不動産王のことを尊敬はできなかった。
これは内緒の話だが、巨額の資産を保有して本物のフィクサーのように振る舞っている超リッチな人々は、今では昔と違って表に出てこなくなり、水面下でひっそりと物事を動かしている。
ある人の話をしよう。
とても豪快で面白い男なのだが、若い頃から彼の周りにはいつもお金の話がつきまとっていた。お金が何よりも大好きで、そんな話ばかりしているから、儲け話やお金にまつわる噂話が彼のところにたくさん集まってくるのだ。寄ってくる人の中には当然危ない人たちもいたけれど、本人にはその選別がだんだんできなくなってしまっていたのだろう。
バブル時代から大きな会社を買い取ったり、人と人をつなげてお金を回収したり、株や土地の売り買いをしたりして、もういらないというほどしこたま儲けたと思う。
それでも彼は、「ほどほど」ではなく、「まだまだ」という魔物の声に取り憑かれていた。お金を追うことをやめられなくなっていたのかもしれない。最終的にその人は、とてつもなく大きく危なげな儲け話の中心を担い、ついには捕まってしまった。
お金を稼ぐということがマネーゲームのようになり、いつしかその規模が、自分でも気づかないうちに、国がからむほどの大きさになっていったのだと思う。世の中には、儲けにはならなくとも、世のためになることがたくさんある。ましてや、お金があるなら、それを使ってもっと人を助けることもできたはずだ。
彼は本来、悪い人間ではなかった。とても豪快で面白みのある男だったのに、いいことと悪いことの判別さえつかなくなってしまったことは残念でならない。そして、お金との付き合い方がおかしな人の周囲からは、いい人たちが次々と去っていく。
お金は使わずにいると、入ってこない
また一方で、世の中にとても多いのは、「ケチ」と呼ばれる種類のお金持ちだ。こんな先行き不透明な時代だから、ディフェンスに徹し、貯め込む人も多いのはわかる。でも僕は、こんな時代だからこそ、お金は回していかないといけないと思っている。タンスの中に隠し持っているのではなく、必要なときには気前よく差し出すのが潔さというものではないだろうか。
お金というのは、回り回って、最後は必ず自分に返ってくるものだ。動かさないと、お金は勢いを失う。不思議なことに、自分が使わずにいると、お金は入ってこなくなるのだ。
お金の正しい使い道といえば、自分で使って楽しむか、人のために使って喜ばれるかに尽きる。お金を貯め込んでいる人は、自分のためにそうしているつもりでいるかもしれないが、使いもせずにただ貯め込んでいたら、お金は世の中に回らなくなり、死に金になってしまう。それでは、最終的に自分のためにもならないのだ。
たとえば、お世話になっている人には利益を還元するのが当たり前だろう。それは持てる者の役目であり、そこには人としての器のサイズ感が表れる。
「ギャラの額」で仕事は選ばない
自慢じゃないが、僕は仕事を決めるとき、ギャラを聞いてからその金額で選ぶということは、今までにしたことがない。その仕事を引き受けることに意義を見出せるなら、絶対に断らない。もっとも、もしかしたら僕の知らないところで、ギャラの額は一定以上に保たれているのかもしれない。事務所は金額の折衝をするのが仕事だからだ。けれど、僕自身の気持ちが金額の大小で揺らぐことがないのはたしかだ。常識の範囲内の金額でさえあれば、決め手となるのはあくまで、やりがいがあるかどうかなのだ。
そういう感覚だから、ギャンブル性のある宝くじや株、いわゆる儲け話には、今まで手を出さずに生きてきた。そんな空疎な日銭を手に入れられたとしても、それは人生のご褒美にはならないと思うからだ。
どのみちお墓にお金は持っていけない。大事なのは、お金をどれだけたくさん手に入れられるかではなく、手に入れたお金の価値に自分自身が見合っているかどうかなのではないだろうか。そういう意味で自分の価値を高めるために切磋琢磨し、その結果、手に入れるお金も少しずつ増えていくのだ。意味があるのは、そういう稼ぎ方なのではないかと思う。
自分に見合わないお金を持っていることは、人としてのバランスが悪く、美しくない。品もないし、意味すらないと思う。お金は人を試すアイテムだ。「お金がいちばん」という価値観にも同調できないが、さりとて「お金なんかいらない」というのも噓だ。稼ぎ方にせよ、使い方にせよ、お金との付き合い方にはその人の人となりや品性が表れる。お金にひるまず、ひれ伏すこともない。そんな距離感でいられたら理想的だ。
お金ときれいに付き合ういちばんのコツはなにかと言えば、「なくちゃ困るけれど、ほどほどがいい」ということと、「自分の足るを知る」、つまり、身のほどをわきまえて自分に見合う金額で満足する、ということではないだろうか。
昔からよく言われることだが、お金を持った男が突っ走る3つの欲がある。船とクラシックカーと愛人だが、どれも手に入れたあとが厄介だ。お気をつけあそばせ。
(堺 正章/Webオリジナル(外部転載))
