睫攤敍瓩気鵑琵睫敞帆さん(写真:日刊スポーツ/アフロ)

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日本テレビの『追跡取材 news LOG』で26年の競技生活を終えたスピードスケートの郄木美帆さんと姉の菜那さんが対談。美帆さんの引退会見翌日、2人がカメラの前で話すのは初めてのこと。

菜那さんは、今年2月のミラノ・コルティナ五輪では現地で中継の解説を担当。妹の美帆さんの最後のオリンピックを現地で見守りました。美帆さんは500m、1000m、団体パシュートで3個の銅メダルを獲得。オリンピックのメダルは通算10個とオリンピック日本代表に歴史を刻みました。

菜那さんが7歳、美帆さんが5歳の時に姉妹で一緒に始めたスケート。先に脚光を浴びたのは美帆さん、15歳で2010年のバンクーバー五輪に出場。菜那さんは、活躍する妹に当時は複雑な心境。自伝本では「ユニフォームを燃やしたら、美帆はオリンピックに行けなくなるかな」「『転べ!』みんなが美帆を応援している中、私はとっさにそう願っていました」など、嫉妬を抱く時期もあったことを明かしています。この自伝本について2人は。

美帆「何かさ、ずっと美帆と比較して、何かうんたらかんたらって書いてあるけどさ、それをずっと言い続けられてる妹の気持ち考えたことあるか?」
菜那「ははは(笑)、どんな感情だった?」
美帆「知らんがな!って」
菜那「でも、美帆が悪いなんて言ってないよ」
美帆「そうよ!そうよ!そういう風にも読めるけど、私は一生懸命自分のスケートやっている。姉ちゃんを陥れようとか私が先に行くんだみたいなのもなく、敵意?」
菜那「殺意?」
美帆「私が存在しなかったら、そこまで傷つかなかったこともありそうだな、くらい傷ついてる時とかあったような気がする。でもどうしたらいいかわからないなって思っていた」

そしてミラノ・コルティナ五輪では、最後の1500mを終えた美帆さんに取材エリアでインタビューした菜那さん。涙を見せる妹の姿を抱きしめ「頑張ったよ〜!」の言葉。あれから2か月が経ち、妹に4年間の歩みを聞く姉。

菜那「私たちがずっと一緒に現役やってた時とこの4年間全然違った?」
美帆「お姉ちゃんにイライラすることは減った(笑)」
菜那「もうちょっといいこと言ってよ!ここにいるんだから」
美帆「私の中ではいるのが当たり前だったから、知らないうちにもらっていたもの。勝手にとっていたものってきっとあるんだろうなと。それが何かっていうのはまだ出きっていないから」
菜那「いっぱいあるぞ多分」
美帆「きっといっぱいあるの。それがなかったら、私きっとここまで来られてないわとか言えるんだろうけど…まだそんな段階(笑)」

菜那さんのことを「超困ったときのスーパーマン」と例えた美帆さん。「自分がちょっと困ったなと言わなくても、それを察知して『ピューン』と飛んでくるんです。それくらい優しい人」と姉の存在に感謝。次のステージへ進みます。