「上手くいったら抱かしてやる」

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 男を操り、邪魔者は消す――欲望のままに3人を殺害した女がいた。元夫を青酸カリで毒殺し、さらに温泉旅館の経営者夫婦にも手をかける。色と金を武器に成り上がろうとした稀代の毒婦・小林カウの凶行とは? 鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


写真はイメージ ©getty

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 愛嬌の良さと豊満な肉体で男をたぶらかし、欲望のおもむくまま元夫と旅館経営者夫婦を殺害した冷酷極まりない人物がいる。

 名は小林カウ(読み方はコウ)。彼女は裁判死刑判決を受け、戦後初めて執行された女性でもある。

不満だらけの結婚生活

 カウは1908年(明治41年)、埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)の貧しい農家で、7人姉弟の5番目として生まれた。地元の尋常小学校に4年まで通った後、弟たちの面倒をみるため5年間家事手伝いをしてから、都会に憧れ16歳で東京・本郷の旅館に女中奉公に出る。器量はともかく着飾ることが大好き、愛嬌も良く、職場でも一際目立つ存在だった。

 1930年(昭和5年)、22歳のときに垢抜けた姿で地元に戻り、姉の口利きにより新潟県柏崎市出身の小林秀之助さん(当時27歳)と見合い結婚。翌年には長男(出産後ほどなく死亡)、その翌年には長女を授かる。

 カウにとってこの結婚は不満だらけだった。秀之助さんは身長160センチで男ぶりが悪く虚弱体質。性欲にあふれたカウを満足させられなかった。

 そのうち一家は地元を離れ、東京近郊を転々とし、太平洋戦争が本格化すると秀之助さんも出征。戦地で体を壊し戻ってきた後は肉体的にも精神的にも疲弊しきっていた。夫婦は熊谷に家を建て、秀之助さんが自転車のタイヤのブローカーとして働く傍ら、カウも熊谷名物の和菓子・五家宝や、からし漬けを行商して歩き、金を貯める喜びを覚える。家計は彼女の働きで支えられていた。

イケメン警察官とねんごろに⋯

 子供のころからケチで有名だったが、当時のカウは度を越していた。一度、懐に入った金は決して手放さず、炭代から電気代まで自分の肉体で支払った。それは一方で自分の性欲を満たすためでもあり、秀之助さんは妻が他にも多くの愛人がいることを知りながら見て見ぬふりをしていたそうだ。

 1951年(昭和26年)、43歳になっていたカウの前に1人の男が現れる。戸口調査のため小林家を訪れた25歳の巡査、中村又一郎。当時、闇物資を扱っていたカウにとっては厄介な存在である。実際、1年ほど前に警察の取り締まりに遭ったこともあった。

 そこで、カウは中村に手厚いもてなしを施す。中村は気を良くして、以降事あるごとにカウの家を訪ねてきた。当初、カウは中村を自分の娘の婿にと考えていた。

 が、頻繁に顔を合わせるうち、長身、男前の独身の中村に女として好意を抱き始める。人生初の恋。中村もまんざらではない様子で、2人はほどなく男女の関係となり、貪るようにセックスの快感を堪能する。もっとも、カウは行為の後、中村に闇物資の取り締まり情報を内緒で教えてくれるよう頼むことも忘れなかった。

 こうなると、邪魔になるのが秀之助さん。

青酸カリで夫を殺害

 中村と関係を持ってまもなく、カウは「財産は一切いらないから、暇をもらいたい」と離婚を申し出る。対して、夫は頑なに拒否。中村に相談したところ、「いっそ、あんたが実家に逃げ込めば、秀之助もあきらめるだろう」と言われ、そのとおり兄が継いでいた実家に舞い戻ったこともあったが、離婚話がまとまることはなかった。

 思うようにならない夫をカウが殺害するのは1952年10月2日のこと。中村からもらった青酸カリを風邪薬と偽りオブラートに包み飲ませたのだ。秀之助さんは悶絶しながら絶命したが、カウは行商で鍛えた口の巧さでかかりつけの医者に「脳溢血」の死亡診断書を書かせ闇に葬った。

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「殺っておくれ。手間賃は2万、上手くいったら抱かしてやる」

 女の凶行は止まらない⋯事件の詳細は以下のリンクからお読みいただけます。

愛人と破局、次は旅館オーナーと関係を持ち⋯人を殺してまで「女将になりたかった」毒婦の末路(昭和35年の事件)〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))