「パレスチナのトップに会いに行ってくれ」松本明子(60)が27歳で迎えた“最大の危機”の真相「カチャッていう銃の安全装置を解除する音が…」〉から続く

「進め!電波少年」などのヒットにより、お茶の間の人気者となった松本明子さん。バラエティタレントとしての地位を確立した1998年、32歳で俳優の本宮泰風さんと結婚し、2000年には第一子をもうけた。そのプライベートについてもお話をうかがった。

【60歳に】変わらないかわいさも、表情のコミカルさも還暦とはとても思えない松本明子さん


松本明子さん。夫は俳優で6歳下の本宮泰風さん ©文藝春秋 撮影・橋本篤

――本宮泰風さんと出会ったのは「電波少年」をやっている時期ですか?

松本 そうです、30歳の頃です。もともとはお兄さんの原田龍二さん(俳優)と連続ドラマを2本ぐらい続けてやらせていただいたんですよね。夜の外ロケをしているときに本宮が陣中見舞いにやってきて、原田さんから「弟です」と紹介されたんです。そこで「じゃあみんなでご飯でも食べて帰りましょうか」となったんですけど、原田さんは次の仕事があり、スタッフの方も帰って私と本宮の2人だけが残されちゃいまして。「はじめましてだし、いきなりお店で外食するのもアレだしな」と思い、「じゃあうちに来ますか?」と、私が両親と暮らしている都内の家に来てもらいました。

将来の夫に「私はこれからの人生は“巻き”でいきたいんだ」

――その日が初対面なのに、いきなり実家ですか?

松本 そうなんです。うちの両親と一緒に夕飯を食べて、そのあとで今度は本宮が「じゃあ次、うちに来ますか?」ということでそのまま埼玉の実家に行って、向こうの親御さんと一緒にカラオケをやったりお酒を飲んだりワイワイしたんですよ。それが会った初日でした。

――展開が早いですね!

松本 どちらの親も「親に紹介するくらいだから、付き合っているんだろうな」と思ってたみたいですね。初対面なのに(笑)。

――印象は良かったんですか?

松本 私は最初から好きなタイプだなと思ってましたね。ただ当時は周りで秀ちゃん(中山秀征)とか飯島直子ちゃんが相次いで結婚した時期で、私も30を過ぎてたのでちょっと取り残された感があったんです。それで「次、出会った人と結婚するんだ!」みたいに思い込んでました。だから本宮には「私はこれからの人生は“巻き”でいきたいんだ」と伝えました。

――“巻き”?

松本 「この先、結婚を視野に入れてくれるならそのゴールに向かってお付き合いしていきたいんですけれど、まだ結婚は考えられないということなら早めに言ってください。“巻き”でいきたいんです」と。

――本宮さんはどのような反応でした?

松本 「ちょっと考えさせてください」と言われたんですけど、1カ月くらいして「よろしくお願いします」と言ってくれました。

――「考えさせてください」って、何を考えていたんでしょう?

松本 彼は6つ年下で、私に「“巻き”でいきたい」と迫られたのが24歳の時ですからね。聞いたことはないんですけど「俳優としてまだまだ一人前になってない」とか、「これで人生を決めていいものか」と迷ったんだと思います。もしかしたらお付き合いしてる女性だっていたかもしれませんし。でもいろいろ心の整理をして準備して、結婚しようと覚悟を決める時間だったんじゃないですかね。

――そこからはスムーズに結婚まで?

松本 それからしばらくはデートもお互いの実家に行き来する感じで、いつもどちらかの両親が一緒。2人きりでどこかへ出かけた記憶はほとんどないですね。私もこういう性格だから、本宮がいなくてもあちらのご両親に会いに行ってましたし。そういうのが1年くらい続いて、「じゃあ籍を入れましょうか」となったのが32歳の時。だから、結婚するより先に家族になっちゃってた感じでした。

――共演された原田龍二さんが正式に義理のお兄さんに。

松本 それが、原田さんに報告するのをすっかり忘れてたんですよ(笑)。「兄弟で伝わっているんだろうな」くらいに思っていたので、改めて私から「弟さんとお付き合いさせていただいてます」なんて言っていなくて。

夫に言われた「じゃあ今度はそっちのお母さんと同居しようか」

――どうやって発覚したんですか?

松本 ちょうどその頃原田ファミリーが家を新しく建てることがあって、その地鎮祭に呼ばれて私も家族席に座っていたら、原田さんが「なんで松本さんがいるの!?」って。

――地鎮祭で知る、というのも珍しいですね。

松本 あちらのご両親がもう本当にフレンドリーに接してくれて、原田さんも喜んでくれました。結婚してからも2人暮らしではなくて、旦那の実家に住ませてもらってました。

――親世代との距離が近いですね。

松本 私の父ががんを患って亡くなった後は、それだとお母さんが都内で一人暮らしになって寂しいだろうからということで、本宮が「じゃあ今度はそっちのお母さんと同居しようか」と言ってくれて、息子の幼稚園入園をきっかけに今度は私の親との同居生活が始まりました。

――34歳の時に出産された一人息子とは「オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。年末SP2023」でご共演もされました。

松本 やっぱり一人息子だから可愛くて仕方がないんですよねぇ。もう本当に、舐めるようにして育ててきましたので。寝ているところを部屋に忍び込んで本当に舐めてましたから。

――ご自身は15歳で親元を離れて上京しましたが、息子さんがそれくらいの年齢のときに同じようなことを言い出したら……と考えたことはありますか?

松本 いやぁ、考えられないですね! 息子が京都の大学に受かったときには、私もついていって一緒に住もうかと思ったくらいで。「そうだ。京都、行こう」みたいな。「一人暮らしをさせてくれ」と、息子に丁重にお断りされましたけど。

「41歳の時に母が他界するまでお給料は母親に管理してもらってたんですよ」

――新婚の頃から、2人暮らしだった時期はないんですね。

松本 そうですね。渡辺プロダクションの国立寮を出てから5年間だけ一人暮らしだったんですけど、27歳で両親を香川から東京に呼び寄せて一緒に住むようになって、結婚したら今度は本宮の家だったので。本当に、親離れ、子離れができない家族なんですよ。実は私、41歳の時に母が他界するまでお給料は母親に管理してもらってたんですよ。

――結婚された後もですか?

松本 そうなんです。口座をまるまる渡しちゃって、母親が管理して帳簿をつけてくれてました。そこから生活費をもらうような感じで、だから自由な買い物は41歳までしたことがなかったんです。

――芸能人の方のお金を親が管理していると聞くと、「すべて使い込まれていた」みたいな結末をつい想像してしまうんですが……。

松本 それが、全部貯蓄してくれてました。私もほとんどお金を使わない方なんですけど、母親の倹約家がうつったんでしょうね。

――ご両親がもともと住まれていた香川のご実家を“実家じまい”した時に大きなお金がかかったというのが話題になりましたね。

松本 建設会社に勤めていた父が思い入れを込めて作った家だからと思って25年間維持管理していたんですけど、そうしたら固定資産税、光熱費、火災保険、地震保険、それから雑草駆除、庭木の剪定とかを合わせて維持管理費だけで1000万円もかかっちゃって! 息子には同じ苦労をさせたくないので、私の経験を参考にしてほしいですね。

――最後に「丙午の女」としてメッセージを。

松本 「丙午の女は気性が荒い」と言われるんですけど、私の同世代を見てみると、自分で人生を切り開いていくような、つねにポジティブな女性が多い気がしますね。まぁ私の場合はそれで自爆したんですけど(笑)。最近は積極的に自分から「丙午の女」と言いふらすようにしてるんです。「丙午はパワーがあるから頑張ろう!」と。

――たしかに、松本さんを見れば丙午が結婚で苦労するなんて迷信だとわかります。

松本 私だけじゃ不安かもしれませんけど(笑)、今度「不作の83年組」で集まって還暦記念ライブをやる森尾由美ちゃんも大沢逸美ちゃんも丙午ですから、今年出産される方も気にしないで、元気なお子さんを産んでください!

(加山 竜司)