JFA宮本恒靖会長が今西和男さん追悼 自身も世代別代表で「ご指導いただいた」 功績に感謝
元サンフレッチェ広島GMで、日本代表監督の森保一氏を広島の前身・マツダにスカウトしたことでも知られている今西和男(いまにし・かずお)さんが16日未明、肺炎のために広島市内の病院で亡くなった。85歳だった。13日に体調を崩して入院していた。日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長(49)は16日、コメントを発表し今西さんの訃報を悼んだ。
宮本会長は「サンフレッチェ広島の礎を築かれ、日本サッカー界、そして日本スポーツ界におけるゼネラルマネージャーの役割を確立されました。その歩みを日本サッカーの発展へとつなげてこられた功績に、深く敬意を表します」と今西さんの歩みに思いを寄せた。
また、「日本サッカー協会においても強化副委員長として、トレセン制度の構築や世代別代表の強化に尽力され、競技力向上の基盤を築かれました。私自身も、世代別代表の活動を通じてご指導をいただいた記憶があります」と自身の若き日を回顧し、「その積み重ねが日本代表の躍進、そしてワールドカップの舞台へとつながっていったのだと感じています」と功績に感謝した。
JFA名誉会長の田嶋幸三氏(68)もコメントを発表。「今西さんは東京教育大学(現、筑波大)の先輩で、私はそのときから今西さんの薫陶を受けてきました」と感謝の意を表した。また「1997年、加茂監督の続投を巡って議論が紛糾し、強化委員会の提案がJFA理事会で却下されたとき、委員会を解散して全員で辞めようという流れになりました。しかし、育成の改革が道半ばだったことから今西さんと小野剛氏が残ることになり、今西さんは多くの批判を受け止めながら育成改革を進めててくださいました」と当時を回顧。「今、こうして多くの選手がヨーロッパのトップリーグで活躍するまでになったのは、あのときの改革があったからこそでしょう」と思いを寄せた。
JFA相談役を務める川淵三郎氏(89)は「僕より早く逝ってしまうなんて“それはないよ”と言いたい気持ちです」と悲しみを吐露。自身との歩みを振り返り「代表監督にオフト氏を採用する際には、マツダSCでの彼のコーチとしての能力を詳らかに話してくれ、僕は自信を持ってオフト監督を日本代表初となる外国人監督に推しました。それが1992年、広島での日本最初のAFCアジアカップ優勝につながりました。JFAでは強化委員会の副委員長を務め、岡田武史監督就任を進言してくれたのも彼でした。それによって日本は1998年、FIFAワールドカップ初出場を果たしました」と感謝した。
