空気階段・鈴木もぐら思い出のとんかつ屋<東京軒>。「貧乏だった少年時代、いつかヒレを食べてみたいと思っていた。ある日、隣で食べていたおじさんが…」
お笑いコンビ・空気階段として活躍する鈴木もぐらさんの思い出のそばには、いつも「うまい飯」があったそうです。そこで今回は、鈴木さんが食に対する探究心と愛を凝縮したエッセイ『没頭飯』から一部を抜粋し、食を通じて鈴木さんの人生に迫ります。
【写真】鈴木もぐらさん「母親からの『今日は東京軒行くか?』のひと言で、『そうか。今日はそんなにもめでたい日だったか』と実感した」
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とんかつ屋「東京軒」
私の地元、千葉県旭市から車で30分ほど走ると、「東京軒」というとんかつ屋がある。千葉県の端っこも端っこの銚子市にあり、最寄り駅が銚子電鉄のとんかつ屋が「東京軒」を名乗るとは何事だと憤るなかれ。味は一流、余計なことは一切せず、ど真ん中どストレートで勝負する東京軒のとんかつは、一口食べれば「味覚の首都」であること間違いなしと納得していただけるはずだ。
少年時代、私は、卒業式や誕生日などお祝いの日によく連れてきてもらっていた。母親からの「今日は東京軒行くか?」のひと言で、「そうか。今日はそんなにもめでたい日だったか」と実感したものである。
「あのバカ! 養育費一切払わねえんだからよ!」
が母の口癖だったが、そのような母子家庭だったので生活は厳しく、東京軒へ行く前には必ず銀行に寄ってお金をおろしてから向かった。
「銀行で金おろしてから行くからな。人間はうまい飯を食うために生きてるんだから、飯は贅沢しねえといけねえんだ」
そう言ってATMに向かう母の背中を思い出す。何度も見たあの背中。「金をおろす」ということが、キャッシングのことであることを、少年は当然わかっていた。
忘れもしない夏の日
1998年。忘れもしない夏の日。
小学5年生、11歳の私は東京軒にいた。

『没頭飯』(著:鈴木もぐら/ポプラ社)
妹の2歳の誕生日祝いでとんかつを食いにきたのだ。
母も私もロースカツ定食を注文した。当時の値段はうろ覚えだが、ロースカツ定食が1100円、ヒレカツ定食が1300円ほどだったと思う。平屋のぼっとん便所、市営団地住まいである我が家からしたら相当な贅沢である。
15分ほどでとんかつが到着。
堂々とした大判のロースカツ。
肉はぷりぷりで、脂身が水晶のように輝いている。
揚げたてのとんかつにソースをかけ、口へ運ぶ。
うまい。美味い。旨い。うますぎる。
カツ1切れで倍量の飯を頬張る。脳はうまいに支配され、他のなにも考えることを許されない。立ち入れない。これが幸せである。自分はなにもしていないのに、妹が2歳になったことでこんなにも幸せになれた。ありがとう。兄妹は偉大である。
2切れのヒレカツ
とんかつを黙々と味わい続け、終盤カツが残り3切れほどになってしまったころ、隣で食っていた50過ぎほどのおじさんが私に話しかけてきた。
「あんちゃん、いい食いっぷりだねぇ。もしよかったらこのヒレカツ食うかい? おじさん年だから腹いっぱいでねぇ。すごくおいしいよ」
おじさんの皿の上には、手を付けていないヒレカツが丸々ひとつ、計2切れが残っていた。
じつは私はロースとヒレの2種類しかないメニューの中で、ロースしか食べたことがなかった。
ロースはこってり、ヒレはあっさり。食べ盛りの私はそんな常識は知っていたので、ほんとうにたまにしか来ることのできない東京軒であっさりとしているヒレを頼む勇気がなかったのだ。ただ、ロースを食べれば食べるほど、心のどこかでヒレへの渇望が増していく。
いつか、東京軒のヒレカツを食べてみたい。
その想いは、心の片隅にじっと潜んでいた。そして、それを実現させてくれるおじさんが急に目の前に現れた。私の胸は弾んだ。パンパンになって膨れ上がったハートに、針を突き刺されて、希望がはじけた。そんな気持ちだった。
「いらないです」
私は、即座に断った。
「いいのかい?」
「はい。いりません。ありがとうございます」
ヒレカツがのった皿は、大将のもとへ下げられた。
「タダより高いものはない。いいか、貧乏だからって人様からなにかものをもらうなんてことは絶対にするな」
隣でロースを食っている母の教えだった。私は、その教えのせいか極度に遠慮がちな子どもだった。この教えは、「貧乏を盾にして甘えるな。自分の力でなにかできるように努力をしろ」という意味が大きい。
しかし、なにかものをもらうということは、なにかをお返ししなければならない。そんなことをする余裕はこの貧しい家にはない。そんな状況も、口酸っぱく母にそう言わせていた一因だと私はわかっていた。
「ごちそうさまでした」
ヒレカツは食えなかったが、じゅうぶんに腹も心もロースで満たされた。
真の教育
幸福酔いでふらふらしながら車に戻り、助手席に座る。瞬間、とんでもない衝撃が私を襲った。即座に激しい痛みが襲ってくる。頭を抱え、右を向くと、拳を握りしめた母が鬼の形相で私を見ていた。私は車に乗った瞬間に、母から全力の一撃を頭部に喰らっていたのだ。
「お前は!!!!!!! なんでヒレカツをもらわなかったんだ!!!! あんなにうまそうなカツを!!!! この大馬鹿野郎!!!! あのヒレカツがどんな味がするのか知りたかっただろ!!!!!!!」
ヘリほどの声量で私は怒鳴られた。
あの日に喰らった、あのゲンコツこそが、真の教育であったと今は思う。社会を、人生を、あの一発が教えてくれていたのだと。
あれから28年。私は38歳になった。
東京軒のヒレカツの味を、私はまだ知らない。
※本稿は、『没頭飯』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。

