戦国時代、小谷山に築かれた小谷城(写真:show999/イメージマート)


 2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第12回「小谷城(おだにじょう)の再会」では、浅井長政や妹の市に会うために、織田信長が小谷城まで足を運び……。今回放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

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「苦行」をエンタメに変えた信長の演出術、二条城建設で見せたパフォーマンス

「これからは、きちんとした将軍御所がなくてはいかん」

 三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)が将軍の足利義昭のいる本圀寺を襲撃するという事件(本圀寺の変)が起きると、織田信長はそんなふうに考えたようだ。

 永禄12(1569)年に、将軍御所として旧二条城の普請をスタートさせる。旧二条城は、世界遺産となっている徳川家康が造営した「二条城」とは別物で、当時は「武家御城(ぶけごじょう)」や「公方様ノ御城(くぼうさまのおしろ)」と呼ばれた。

 工事担当の奉行には村井貞勝や島田秀満らが任命されている。京都内外から鍛冶職や大工、製材業者を集めると、隣国や隣村から材木を取り寄せて、急ピッチで工事が進められた。

 今回の放送では、巨大な石を皆で運ぶ様子が描写された。今回が初登場となる宣教師のルイス・フロイス(演:フェルナンデス直行)が「織田様は何を運んでいるのですか?」と問うと、軍師の竹中半兵衛(演:菅田将暉)がこう答えた。

「あれは藤戸石(ふじといし)です。今は昔、源平のころから伝わる勝利をもたらす石。何人かの将軍があれを手にし、天下人の石ともいわれています。それを公方様の御所までお運びするのです」

 実際に藤戸石を旧二条城に運び込んだらしい。『信長公記』に〈細川殿御屋敷に藤戸石とて往古よりの大石は是を 御庭に可被立置〉とあるように、次のように言って、信長自身が現場に出向いたという。

「細川殿の邸に昔からある藤戸石という大石を庭に置こう」

 作業の困難さを思えば、現場から不満の声が上がってもおかしくはないが、そこはアイデアマンの信長である。石を綿で包むと、花で飾り立ててから、大繩を何本も付けた。そして、信長はこんな演出を行ったのだという。

〈大綱余多付させられ笛大鼓つゝみを以て囃し立 信長被成御下知即時に庭上へ御引付候〉
(大綱を何本もつけて石を引き、笛・太鼓・鼓ではやしたてながら、信長の指揮のもと、たちまち御所の庭に入れさせた)

 城づくりにおける巨大な石運びなど苦行でしかないはずだが、信長はそれをパレードのように演出。将軍の威光を示すとともに、自らの権勢も対外的にアピール。それでいて、現場も楽しく作業ができる……という方法をとったのだから、さすが信長である。

 後年、天下統一に向けて秀吉は、大事な戦の最中でもイベントを行い、雰囲気を盛り上げたという。小田原征伐においても、宴会を主催して、わざわざ千利休を呼んで茶会を開かせたうえに、能の興行も行うなど接待することで、諸大名の士気が下がらないようにと気を配った。

 苦しい現場こそエンタメを──。そんな秀吉のスタンスは、信長からの影響があったのかもしれない。

「何者にもなれぬまま10年」光秀が明かした浪人時代の葛藤と足利義昭への恩義

 そんなふうに信長は義昭のために旧二条城を作ったが、ドラマでは義昭が「信長め。世に知らしめたのはわしの威光ではなく、己の威光であろう」と、警戒心を高めている。

 明智光秀から「ざっと調べましたところ、我らには知らされていない隠し部屋や抜け道などが見つかりました」と聞かされると、義昭は自分の疑念に確信を持ったようだ。

 光秀から「いかがいたしましょうか」と信長への対応を聞かれると、義昭は「三好と同じように織田のやり方に従えぬ者たちが次々と現れよう。その時こそ、私は将軍として道を示さねばならぬ」と応じて、時期を待つべしというスタンスをとった。

 義昭と信長は、いつどんなふうに本格的に反目し合うのか。また、そのときの明智光秀のスタンスも気になるところだ。

 今回の放送では、明智光秀が公家を相手にする連歌の会や蹴鞠でも、その才をいかんなく発揮。それとは対照的に、秀吉は失敗ばかりで皆の笑いものになってしまった。

「すごいのう。明智殿は何でもうまくやってのける。わしも見習いたいものじゃ」

 そう感心する秀吉に対して、光秀は「足軽から織田家の重臣にまでなられたと聞きました。大したお方じゃ」と尊敬の意を示した。

 光秀は自身の生い立ちについて「公方様に救われたのじゃ」と秀吉に語ったが、実際の光秀も、歴史の表舞台に現れたのは、後に第15代将軍となる足利義昭に仕えるようになってからのこと。

 それまでは、出身の美濃から越前に移り、称念寺の門前で10年余りも牢人として暮らしていたといわれている。今回の放送では、そのときの忸怩たる思いが、光秀の口から秀吉にこう明かされた。

「何も成せず、何者にもなれぬまま、それからおよそ10年、私はずっと考えてきた。食うこともままならず妻や娘に惨めな思いをさせることしかできぬ、ぶざまな己に何の値打ちがあるのかと」

 そんなときに光秀は義昭と出会ったことで、進むべき道が見えてきたという。

 だが、義昭もまた不安定な時期にあった。兄で第13代将軍の足利義輝が三好三人衆らに殺害されたため、義昭は姉婿である若狭国守護・武田義統の元へ。そこから越前へと移り朝倉義景を頼りながら、京都になんとか復帰しようと画策する。

 光秀と出会ったのは、そんなときである。義昭は動きの鈍い朝倉から離れて、細川藤孝を介して信長に接近する。その際に、連絡役となったのが光秀だ。

 信長の力を借りて「上洛プロジェクト」を成し遂げる──。義昭と光秀にとって、そのことがいかに大きかったかが分かるだろう。

「木下殿にとって織田殿は、わしにとっての公方様なのじゃな」

 ドラマでそんなふうに語ったように、光秀によって義昭は、秀吉にとっての信長と同じで「自分を見いだしてくれた存在」といえよう。

 だが、ここから信長と義昭は対立。最終的に、光秀は義昭の元を離れて、信長につくことになる。ドラマでの光秀は、どれだけの葛藤を経て一大決心をするのだろうか。才覚のみを武器に、戦国大名へとのし上がっていく光秀。秀吉と同様に、その成り上がりストーリーにも着目したい。

「嫉妬などに陥ってはいけない」浮気に悩む寧々へ信長が筆を執った異例の気遣い

 今回の放送では、秀吉の女性関係の多さに、妻の寧々が心を乱す場面もあった。

 実際の秀吉も女性関係が多く、妻の寧々は悩んでいたようだ。信長が寧々にわざわざ書状を出して、こんなアドバイスを行っているくらいだ。

「どこを尋ね回っても、そなたほどの女房は、あの禿げ鼠には求めがたいので、これから後は、立ち振る舞いに用心し、いかにも上様らしく重々しくし、嫉妬などに陥ってはいけない」

 秀吉を「禿げ鼠」といじりながら、寧々を勇気づけているところに、信長の心配りを感じる。信長は秀吉の女性関係について「非難してもよいが、言うべき事をすべて言わないようにして、もてなすのがよかろう」と対処法までアドバイスをしている。

 この書状は「なおこの手紙文章をそのまま羽柴藤吉郎秀吉に見させるようお願いする」と締められており、秀吉の浮気に信長がくぎを刺すことになったが、その後も秀吉の性根が変わることはなかった。生涯を通じて複数の側室・女性関係が知られている。

 その中でも、寧々に次ぐ第二夫人として秀吉が寵愛した女性が、のちに「淀殿」として知られる「茶々」である。信長の妹・市の長女であり、今回の放送では、秀吉がまだ赤ちゃんの茶々を抱っこしてかわいがる様子が描かれた。

 秀吉もまさかこの茶々との間に世継ぎを生むことになるとは想像しなかっただろう。秀吉の死後、茶々との間に生まれた嫡男の秀頼が後を継ぐ。そして、淀殿となった茶々は「豊臣家を滅ぼした女性」と後世ではみなされてしまい、日本三大悪女の一人にも数えられることになる。

 そのため、秀吉が茶々を抱っこしたときには、こんなナレーションが流れて、視聴者に大きなインパクトを与えた。

「これが後の世に、豊臣家を創った者と、終わらせた者の出会いでございました」

「豊臣兄弟」が台頭していくプロセスで、戦国の世で躍進する戦国大名や、時代に翻弄されるキーパーソンの生き様や成長、人生の変化が味わえるのは、今回の大河ドラマの醍醐味となりそうだ。

 次回の第13回「疑惑の花嫁」では、信長の指示で、秀長は安藤守就の娘・慶をめとる。

【参考文献】
『史籍集覧19改定 信長公記』(近藤瓶城編、近藤出版部)
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『明智光秀』(高柳光寿著、吉川弘文館)
『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(小和田哲男著、ミネルヴァ書房)
『秀吉の手紙を読む』(染谷光廣著、吉川弘文館)
『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(小和田哲男著、中公新書)
『戦国武将からの手紙 乱世を生きた男たちの素顔』(吉本健二著、学研M文庫)
『多聞院日記索引』(杉山博編、角川書店)
『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(竹内理三編、臨川書店)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)

筆者:真山 知幸