駅から徒歩25分。住宅街のど真ん中。それでも30年続く「個人コンビニ」がある。大手チェーンの誘いはすべて断り、24時間営業もしない。なぜこの立地で生き残れるのか。吉祥寺の「PAL」オーナー・井口和彦さんに、フリージャーナリストの前屋毅さんが聞いた――。(前編/全2回)

吉祥寺でポツンと営業する“個人コンビニ”

東京都内に“個人経営”のコンビニエンスストア(コンビニ)があると聞いた。それが、東京都武蔵野市吉祥寺にある「PAL(パル)」だった。

いまや日本中いたるところにあるのがコンビニだが、ほとんどが大手コンビニチェーンの店である。個人でやっていた酒屋とか商店も、どんどんフランチャイズ店となって大手コンビニの看板を掲げている。そうしたなかにあって個人経営、しかも都内のコンビニとなると“異質”でしかない。なぜ個人経営なのか、経営は成り立つのか、疑問がムクムクと湧いてくる。

奇跡ともいえる個人経営のコンビニが生き残っているのは吉祥寺という街だからなのかもしれない、とも思ってしまう。「住みたい街(駅)ランキング」で長年にわたってトップクラスの評価を受けてきて、とくに若者に大人気なのが吉祥寺である。

そういう街だから多くの人が集まってくるので、大手チェーンの支援を受けないでも、個人経営として続けられるのかもしれない、と思えなくもない。

撮影=プレジデントオンライン編集部
東京・武蔵野市にある個人コンビニ「PAL」。1階が店舗になっており、2階以上はマンションになっている。オーナー・店主の井口さんが所有しており、賃貸物件として貸し出している - 撮影=プレジデントオンライン編集部

しかし、PALに足を運んでみると、そんな予測など木っ端みじんにされてしまう。地名はたしかに吉祥寺なのだが、吉祥寺の駅前と同じ光景を想像してはいけない。なにしろ吉祥寺駅から歩けば25分ほどもかかるし、最寄りのJR三鷹駅からでも徒歩15分ほどはかかる。

そんな距離でも商店街が続いていて人通りが多いのならいいのだろうが、まったくの住宅街で人通りも少ない。住宅街の住人も、買い物なら吉祥寺駅や三鷹駅近くの大型商業施設を利用するに違いない。なにしろ、歩けば遠いが、自転車ならすぐだからだ。こんな立地でコンビニが、それも個人経営で成り立っていけるのか、ますます首を傾げないではいられない。

■物件名の「意外過ぎる由来」

PALのオーナーで店主の井口和彦さんは、とても気さくな人物だった。

どんな質問に対しても、すぐに返事をくれる。そうしたやりとりのなかで井口さんが、「PALの上は賃貸マンションになっていて、ビルの名前が『OSC吉祥寺』っていうんだけど、OSCって何の略だかわかる?」といたずらっぽい表情で訊いてきた。

撮影=プレジデントオンライン編集部
PALが入っているマンションの看板。「OSC」は「おにぎり・サンドイッチ・駐車場」の頭文字を取っている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

人気アイドルグループ「AKB48」は秋葉原の「アキバ」からきていると聞いた気がするし、古くはSKDと呼ばれていた「松竹歌劇団」もある。そういう発想でいけば吉祥寺とかPALの関係なのかと思うのだが、頭のなかでうまく結びついてこない。そうしたら、井口さんが笑いながら言った。

「おにぎり・サンドイッチ・駐車場の頭文字をとってOSCなのよ。面白いでしょう。これね、うちでの売れ行き順なの、ほんとうに」

撮影=プレジデントオンライン編集部
PALにあるイートインコーナーで取材を受けるオーナーで店主の井口和彦さん。気さくな雰囲気で、「あと2時間でも3時間でも話せるよ?」と言いながら語ってくれた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

PALを運営しているのは井口さんが社長を務める「有限会社セントラル・ボックス」で、PALの上のマンションもPAL周辺の駐車場も管理している。その売り上げの順番で、トップがPALで扱うおにぎりで、次がサンドイッチ、そして駐車場収入というわけで、それをそのままマンション名にしてしまったというのだ。

それならPALという店名にも面白い由来があるのだろうと訊いてみたら、「姉が『パルでいいんじゃない』って言ったから、『呼びやすいから、いいか』で決めたの。英語で『友だち』って意味があるらしいけど、意味とか理由とか姉に詳しく聞いたこともなかったな」という返事だった。井口さんのおおらかな人柄が伝わってくる。

■かつては“駄菓子屋”だった

1階にPALが店舗を構えるOSC吉祥寺が竣工したのは1996年4月のことだった。井口さんの父親が亡くなって、相続の問題等もあって、「ビルにしたら」と勧める人がいたので建てることになった。

井口さんの家はもともと三浦半島のほうから移ってきた武家だったらしく、明治維新もあったりして農業を営むようになる。水が豊かではない土地柄のため、田んぼでの稲作ではなく、畑作で蕎麦を育てていたという。所有している土地は広くて、家の裏は雑木林や竹林だったという。

「筍の季節になると、いっぱい採れるのよ。掘って近所に配ったもんよ。私ね、筍掘りは上手いもんだよ」

太平洋戦争中に父親は、武蔵野市にあった日本軍の飛行機をつくる中島飛行機で働いていて、工場が戦火を逃れて浜松に移るといっしょに移動し、そこで終戦を迎えて戻ってきて、自宅の一画で駄菓子屋を始めた。屋号を「井口屋」といった。

「この先に市営のプールがあってね。いまでもあるけど、温水プールもできてるけど、子どもの利用料は10円よ。私らが子どものときも10円だった。変わってないね。夏になると、プールに行った子たちが帰りにうちに寄ってオヤツとか買ってたね。商売になってたのよ」

■「手作り食品」がチェーン店にない“強み”

その井口屋で、井口さんも働くようになる。学校を卒業して建築の設備関係の会社で営業として働いていたが、3年ほどで辞めてしまったからだ。

「ああいう仕事はたいへんなんだよ。精神的にも良くない。だから、私だけでなく辞める人間は多かったよ。その会社を辞めたら、別の会社からの誘いもあったけど、あの業界で働く気はなかったから断った」

井口屋で働くようになったが、駄菓子の稼ぎでは井口さんの給料まではでない。井口さんは自分の食い扶持を稼ぐことを考えなければならなかった。

「そこで始めたのがサンドイッチよ。当時は、パンメーカーが講習会を開いてサンドイッチ作りを教えてたの。そこで習って、店に小さい調理場をつくって、サンドイッチを売るようになった」

撮影=プレジデントオンライン編集部
PALのサンドイッチコーナー。120円から135円の商品が多く、主食用のパンもあればフルーツサンドなども充実している - 撮影=プレジデントオンライン編集部

パンメーカーにしてみれば、サンドイッチづくりを教えて取扱店が増えれば、食パンの卸先になる。パンメーカーの販路開拓手段でもあったわけだ。

「サンドイッチは売れたよ。近くに大手のコンビニもあったけど、うちのほうが売れる。安いし、手づくりでおいしいからね」

3年くらいは、どんどん右肩上がりでサンドイッチの売り上げは伸びていったが、やがて頭打ちになってくる。

撮影=プレジデントオンライン編集部
PALのおにぎりコーナー。赤飯が130円なのを除いて、あとは110円の商品ばかり。いなりは1個65円で販売している。閉店間際だったため、いくつかの商品が売り切れている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「それで、おにぎりを始めた。これが、調子よくて、サンドイッチより売れるようになった。おにぎりと並べていたら、サンドイッチも売れるしね」

売上高の順位が、おにぎり、サンドイッチになっていった。だから、ビルの名前もOが先で、Sは次なのだ。

■大手の傘下に入らなかったワケ

しかし、ここで疑問がふと浮かんだ。わざわざコンビニをオープンしなくても、マンションと駐車場だけにしてもよかったのではないか。そのほうが気楽ではなかっただろうか。それを訊ねると、井口さんは真剣な表情で言った。

「子どもには親の働く背中を見せなきゃいけないの。2人の息子と娘が1人いるけど、ちゃんと親が働いている姿を見せなきゃいけないと思ってたからね」

撮影=プレジデントオンライン編集部
「なぜ大手チェーンのフランチャイズ店にならないのか」という質問に答える井口さん。ほかにも「この仕事が好きだからね」と語っていた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

なるほど、である。しかし個人経営ではなく、大手チェーンのフランチャイズ店としてやる道もあったはずだ。仕入れや配送などは本部でやってくれるので、面倒がないはずだ。大手なら宣伝もやってくれるから、知名度も高くなる。

「誘いはあったよ。でもね、全部、断った。かなりなロイヤリティをもっていかれるし、だいいち休みも自由にとれない。縛られるのが嫌なのよ」

■お盆も年末年始も当たり前のように休業

PALは金曜日が定休日である。コンビニに定休日があるのも珍しい。夏休みも4日間くらいとるし、年末年始も5日間くらいは休む。営業時間も朝6時から夜8時までだ。

撮影=プレジデントオンライン編集部
PALのレジ回り。左手にはサンドイッチとおにぎりのコーナーがあり、レジ横には新聞売場と、ソフトクリーム売場が設置されている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

大手チェーンの傘下にはいれば、365日、24時間営業がスタンダードになってしまうので、こんなに休むことは許されない。アルバイトに任せるにも人件費の問題で簡単ではないので、オーナーが働くしかない。PALの井口さんは休みを大事にする働き方を選びたかった。なぜ、なのか。

「子どもたちと遊びに出かけるためよ。自分が親に遊びに連れていってもらったことがほとんどなくて、1回だけ海水浴に連れて行ってもらっただけかな。それが嫌だったから、自分の子どもたちは、いろんなところに連れて行ってやりたかったの。海水浴も行ったし、スキーにも行った、海外旅行も行ったよ」

現在も、井口さんの家族は仲がいい。長男と娘は近くに住んでいるし、埼玉に住んでいる次男も、毎週のように孫を連れて遊びに来るそうだ。いまでも家族と会話する時間は多い。働きづめの生活だったら、こうはいかなかったかもしれない。

----------
前屋 毅(まえや・つよし)
フリージャーナリスト
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。著書に『学校が合わない子どもたち』(青春新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(KKベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『日本の小さな大企業』(青春新書インテリジェンス)などがある
----------

(フリージャーナリスト 前屋 毅)