子グマを撃ったら「目も鼻も判別できない」無残な姿に…愛する子を失った親グマの「恐ろしい復讐」の内容

■クマは「自分を傷つけた人間」を覚えている
11月に入ってもクマの出没報告が相次いでいる。
朝日新聞によれば、出没件数は上半期だけですでに2024年度の1年分(2万513件)を超え、また人的被害も過去最悪を更新して、「5日時点のクマによる死者は、ヒグマによるものが2人、ツキノワグマによる死亡は11人となっている」(2025年11月6日時点)。
中でもツキノワグマの凶暴化が著しく、岩手県北上市では、7月4日に住宅内でクマに襲われた81歳の女性の遺体が発見され、10月8日には同市内山林でクマに襲われた男性の死体が発見された。さらに同月17日に、市内の温泉施設で清掃員の男性が、やはりクマに襲われて亡くなっている。いずれも数キロ程度しか離れておらず、熊の行動範囲からすれば極めて至近と言える。
この地域で、一部の個体が、何らかの理由で凶暴化したとしか思えない。
クマは一度覚えた味をしつこく求める習性があることはよく知られる。
日本史上最悪の獣害事件として知られる大正4年の「苫前三毛別事件」では、女子供ばかり7人が喰い殺されたし、明治11年に札幌郊外で発生した「丘珠事件」では、男ばかりが4人喰い殺されたことは既報の通りである(参照〈遺体の両目は飛び出し、顔面はグジャグジャ…札幌に現れ、幼児含む4人を食い荒らした「最悪の殺人グマ」の正体〉)。

またクマは自分を傷つけた人間をよく覚えていて、復讐することも知られている。
筆者が聞いた話では、次のようなものがある。
とあるハンターが子グマを撃ち止めた。するとそばにいた親グマが身を乗り出してこちらを見た。その時は親グマは取り逃がしたが、翌日、再び仲間のハンターと親グマを追跡していると、ヤブの中から件の親グマが飛び出してきて、一列になって歩いていたハンターのうち、子グマを射殺したハンターだけが襲われたという。
■「クマの恩」を仇で返した男の末路
似たようなケースは他にも記録されている。
大正2年(1913年)、雪解けの近い4月頃に、浜益から増毛のニシン漁場に向かった佐藤という者が、空腹と疲労のため行き倒れてしまった。何時間か過ぎた頃に目を覚ますと、暗がりの中で怪しい手が自分の唇を撫でている。ハッと見ればそれは一頭の大グマであった。クマは行き倒れた佐藤をクマ穴に連れて帰り介抱していたのであった。
佐藤は心からクマに感謝して夜明けを待って穴を出た。この時、クマも一緒に穴を出てノソリノソリと山道を案内してくれたという。

昼頃になって、ようやく駅逓(宿屋)へ半里ほどのところまで来ると、知り合いの猟師と行き会った。佐藤は昨夜の出来事を話し、クマの収入を山分けにするという約束で、猟師をクマ穴に案内した。
■作家・三浦綾子が書いた「復讐譚」の元ネタ
親グマが子グマの復讐を果たしたという話では、三浦綾子の小説『天北原野』(新潮文庫)に、次のような一節がある。
この事件はヒグマの復讐譚として知られるが、原典は前出の『北海道熊物語』所収「第六話 旭川師団建設現場 復讐された鉄太郎」と思われる。
明治32年の晩秋、旭川第七師団の兵舎建設のため、毎日、数千人の大工、左官、鳶などが入り込んで働いていた。
そのうちの今井鉄太郎という者が、熊撃ちに出かけ、首尾よく仔熊を獲殺した。その晩は熊肉をつついて宴会となり、みなが寝静まった明け方頃のことだった。
キャッと云う異様な声とガタガタと云う音とが聞えて五郎は目をさました。そして大きな声で皆をたたき起すと「オイッ、あかりをつけろ」とどなった。誰かがあわててランプに火を入れると五郎はつづいてこう叫んだ。
「鉄がいるか、鉄」
だが返事は急になかった。だれかが鉄太郎の床を見つめながら叫んだ。
「鉄が見えません、アッ熊の足跡が、あれここにも、そこにも」
人々は一瞬限りない恐怖におそわれて顔と顔を見合せた
■親グマは「子を殺した男」だけを襲った
間もなく急が四方に伝えられ、大勢の人々が手分けをして鉄太郎を捜索した。すると高台に近づくにしたがって滴々として赤い血がこぼれていた。
当時の土工部屋は、中央に土間の通路が一本通してあり、左右に幅一間(1.8メートル)の板間が一段高くしつらえてあって、数十人の人夫が川の字に並んで寝るのが一般的であった。
親グマはその中から、鉄太郎だけを襲い、山に引きずり出して殺したのであった。
■クマが汽車に飛び込んできた理由
他にも筆者の手元には以下の2編がある。
真実に行われた 巨熊の遺恨晴らし 最近山中部落の椿事
最近山中部落付近に巨熊が仔熊二頭を引きつれて出没するので、同部落の太田某がその仔熊二頭を射留めた。ところが仔熊二頭を取られたこの熊は、去る十四日午後三時頃、同付近を徘徊し、伊藤銀次郎所有の牛三十頭の放牧場に猛然として至り、親牛二頭を殴り殺し、さらに仔牛一頭を目茶苦茶に叩き付けてこれを即死させ、かつその仔牛を肩にして五六丁離れた林地に連れて行き、片足を除く全部を喰ってしまった(「樺太日日新聞」大正12年6月23日)
鉄道のある機関士から聞いた話だが、ある山の中の線路で、子連れの熊が遊んでおった。邪魔になるので、汽笛を鳴らしたら親熊は線路外に避けたが、子熊はその汽車に轢かれた。刻々遠ざかって行く汽車の後ろ姿を恨めし気に睨んで見送ったが、爾来この熊は汽車を子の仇として復讐心に燃えたらしく、四、五日後、そこを通過したとき、目を怒らし牙を鳴らし、ついに進行中の汽車に飛びついて来た。跳ね飛ばされ即死したが、その執念深いのに驚いたと言っておった。(『熊の足跡』満岡伸一 昭和19年)

クマの復讐心には恐るべきものがある。
今年のクマ騒動も、クマが冬ごもりに入る今月いっぱいで漸次終了すると思われるが、それまでは十分な注意が必要だ。
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中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家、人喰い熊評論家
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。
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(ノンフィクション作家、人喰い熊評論家 中山 茂大)
