東京駅丸の内駅舎内にある東京ステーションホテル朝食ブッフェは、高い評価を得ている。いったいどんな料理が並んでいるのか。上阪徹さんの著書『東京ステーションホテル 100年先のおもてなしへ』(河出書房新社)より、一部を紹介する――。(第2回)
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■「ホテルでこんなおいしい海苔が食べられるとは」

今や高い評価を得ているオールブッフェだが、総料理長の石原雅弘(まさひろ)が最初に考えたのは、日本の伝統的な高級旅館との対比だった。

「おいしい朝食がお部屋に運ばれてくるわけですね。ホテルも旅館もお値段がさほど変わらないとしたら、朝食が貧相であれば、どちらを選ぶだろうか、と。やっぱり旅館が選ばれてしまうなと思ったわけです」

では、何を用意すればいいのか。ゲストの中には、シンプルにパンとヨーグルトとコーヒー、という人もいないわけではない。一方で、充実した朝食を楽しみにしている人も多い中で、何に最も気をつけ、心がけないといけないのか。

「当たり前に、きちんと良いものを出す、ということです。例えば、朝食の海苔(のり)一つとっても、おいしい海苔とそうではない海苔があるんです。当然、とびきりおいしい海苔を食べれば、おいしいと感動してもらえる」

梅干しも、安い梅干しもあれば、高い梅干しもある。だが、値段が高ければ、おいしいわけではないと石原は言う。

「だから、一つ10種類ずつくらい、いろいろなところから取り寄せて、値段というよりは、自分で食べておいしいものを厳選していったんです。100円の海苔よりも、50円の海苔のほうがおいしければ、自分の舌を信じて、これにする。もちろんチームスタッフにも食べてもらいますけどね」

つまりは、すべて味で選んでいったのだ。

「再開業したとき(2012年)、たくさんのお客様から、海苔がおいしかった、梅干しがおいしかった、と言っていただきました。ホテルでこんなおいしい海苔が食べられるとは、思ってもみなかった、と」

■硝石を使わないハム

東京ステーションホテルは、国の重要文化財の中に入っているホテルだ。だから、目の前の流行(はや)り廃(すた)りに惑わされることなく、長く喜ばれる料理を提供するべきだと思っていた。そのためには、当たり前のことがしっかりしているかどうか、が重要だと石原は考えたのだ。

お米も、特別栽培米をお願いしています。東日本エリアを応援しているのが、JR東日本グループですから、1年半おきくらいに各地の農家さんと契約を結んでいます」

このくらい使うが特別栽培米は作れないか、という交渉を1年半前から行い、次は山形で、次は岩手で、と順に展開している。産地を変えたいとはいえ、急に変えるのではなく、作り手としっかり話をしながら、依頼をかけている。

「卵にもこだわっていますし、ソーセージ、ハム、ベーコン類には硝石(しょうせき)を使わないものを選んでいます。硝石は石になって溜まりやすいんですね。少しでも体に良いものをお出ししたいと考えています」

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日本全国から取り寄せたものもあれば、もちろんレシピから作っていった料理もある。例えば、スモークサーモンは当初、手作りで作っていた。

「だから、採用するときには、手作りでまず始めるから、それでもついてこられますか、と聞いていました。大忙しでした。でも、それをやっていると大変な労働時間になってしまうんです」

そこで、さまざまなメニューのアレンジを進め、レシピを作って、外注でも作れるものも増やしていった。こうして厨房の“働き方改革”も進めていった。

■総料理長自ら農家に赴く

新たな食材の調達では、自ら産地に赴くことも少なくない。

「目で見て間違いがないかどうか、生産者の想いなどもすべて見て、判断していますね。きちんと自分の舌と目と耳で理解して、これを使いたいというものを選んでいます」

頻繁に行きたいとは言うが、日々、当然ながら忙しい。それでも年に5、6回は全国に飛んでいるという。

「こういうところを充実させたいな、というものがあれば、資材調達担当と話をして、じゃあ、野菜を探しに行くか、みたいな話になったりするわけです」

今、使っている野菜は長野の農家をまわり、農薬を使わない野菜を作ってくれるところを自ら訪ねていったという。

「菅平(すがだいら)高原の若いレタス農家さんです。高原だから虫はわかないよね、と聞くと、わかないです、と言うので、農薬を使わないものは作れますか、と聞いて」

実は、卸から農薬を使うことが求められている農家も多いのだという。

「作れると言うので、農薬を使わない野菜はいくらで作れるのか、と聞くと、農薬がいらないから安くできると言うんです。農薬代は高いので、農薬をまかないほうが安かったりするのだと。驚きました」

■他のホテルの料理長にも農家を教える

双方、利害が一致して、年間での取引が始まった。しかも、もともと雪の時期には作れないと言われていたのだが、雪でできないのは申し訳ないからと、雪の少ないところに畑を新たに買ってくれたのだという。

「畑を見させてもらって、こういう作物はできますか、と聞いてできるとなったら、じゃあ、それを植えますね、とやってくれる。すばらしいですよ」

この農家を紹介してくれたのは、築地で100年以上の歴史を持つ野菜の卸問屋だった。だが、驚いたのは、ようやく出会えた希少な農家の存在を、知り合いの他の料理長たちにも教えてしまうというのだ。

「東京ステーションホテルがこういうのやっているんだけど、どうか、と他の料理長たちも連れて回ったんです。それで他の料理長たちも使うようになった。そうすると、農家さんは、取引の量が増えるから、ありがたいわけです」

スケールメリットが出て、良いものが安く仕入れられるようになる。それでも料理人は、自分で見ないと信用しないという。

「自分たちのこだわりがありますから。私がこれがいいよ、と言っても、“石原さんがいいと思っているだけでしょ”と思われてしまう。だから、連れて行って自分でしっかり感じれば、使いたいということになりますから」

朝食会場になる「アトリウム」(画像提供=東京ステーションホテル

■保存料が一切入っていない佃煮

教えるなんてもったいない、と思いきや、教えないとダメだと石原は言う。

「農家さんが一生懸命作ってくれたものを、廃棄させるわけにはいかないですから。それこそ小さい農家さんだと、ニンジンにしても、大きいのも小さいのも全部送ってくださいと伝えています。届いてからこちらでメニューを考えるから大丈夫ですよ、というやり方をしています」

もとより良いものを作っている農家も、取引先はどこでもいいわけではない。良いものを作っているからこそ、その価値をしっかり理解してもらえるところに使ってもらいたいと考えている。信頼関係が作れなければ、実はいい食材も手に入らないのだ。

当初、ブッフェは80アイテムほどの料理でスタートした。豊富な経験を持つ総料理長の石原がこだわり抜いたものが集められただけに、高い支持を得たのも当然だったのかもしれない。

「例えば、佃煮(つくだに)。東京ステーションホテルに合う佃煮はどれかと探し、今は佃島の田中屋さんの佃煮を出しています。昔ながらの製法で作っているので、保存料は一切、入っていません」

佃煮は、常温で宅配便で届くという。

「だから、1週間以内で食べないといけない。佃煮はたくさんのメーカーが作っていますが、昔のままで作っている、まさに本物はこれだよ、というものを選んでいます。値段ではなく、味で選んでいる象徴でもあります」

■アイテム数が80→100に増えたワケ

同時に新たなものを探し続け、アイテムは少しずつ入れ替わっていった。

「一度には変えられないですから。次に何を入れるかは、ずっと私が決めてきました。何かしらお客様に喜んでいただきたいという思いの中から、選んでいます。少しずつ副総料理長に任せていっていますけどね」

上阪徹『東京ステーションホテル 100年先のおもてなしへ』(河出書房新社)

もちろんゲストの声にも耳を傾ける。だから、なかなかやめられないものもあるという。

「品数が少ないブッフェは、最後にカレーを食べたくなったりするんですね。でも、東京ステーションホテル朝食は、たくさん品数がある。だから、カレーまで行きつかなくてもいいかな、と思ったら、やっぱり楽しみにされる方がいらっしゃるわけです」

カレーにはすっかりファンがついているのだ。

カレーを食べなくても、十分にお腹いっぱいに満足いただけるんですが、自分の好きなものは、それぞれ皆さん、違います。それがないと、悲しまれる場合がある。違うものを出しているんだからいいんじゃないの、とも思えるんですが、そういうわけにはいかない」

カレーは洋風だけでなく和風もある

どうしても欲しいと言われたら、その場で作ってしまおう、とも考えたそうだが、それなら最初から出してしまったほうがいい、ということになった。これが、ブッフェの料理の種類が増えていった理由だ。今は100アイテム以上になる。

「あの料理を楽しみにしていたのに、とお客様に言われたりする。でも、これはもちろんうれしいことでもあるわけですね。喜んでもらえるのであれば、できるだけ、それに応えたい。ビジネスでもありますから、できるだけ、ということになりますが」

ちなみに、朝のカレースパイシーさにこだわった欧風カレーだが、実は洋風だけでなく、和風のときもある。

「和風は、おだしを入れたりしています。お肉も和牛を使う。ひき肉などを入れ、お蕎麦屋(そばや)さんのカレーみたいな感じですね。おいしいですよ」

100アイテム以上の料理全体のバランスを見て、洋風か和風か決めているという。どちらにも、多くのファンがいるそうだ。

「何より大事なのは、お客様に喜んでいただくこと」。

だからこそ、東京ステーションホテルのブッフェには、多くのゲストからグッドコメントが寄せられるのだろう。

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上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年、兵庫県生まれ。89年、早稲田大学商学部卒。アパレルメーカーのワールド、リクルート・グループを経て、94年よりフリーランス。広告、記事、広報物、書籍などを手がける。インタビュー集として、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)、『外資系トップの仕事力』シリーズ(ダイヤモンド社)などがある。2011年より宣伝会議「編集・ライター養成講座」講師。2013年、「上阪徹のブックライター塾」開講。日本文藝家協会会員。
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(ブックライター 上阪 徹)