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動画『【独自】男はなぜ新幹線で火を放ち、死ぬことを選んだのか…。東海道新幹線放火殺人事件ー忘れられた事件を取材して見えて来た10年目の真実』では、林崎春夫が、2015年に社会を震撼させた東海道新幹線放火事件について、事件から10年経った今あらためて語る様子が伝えられた。

2015年6月。東海道新幹線「のぞみ225号」の先頭車両が突如、炎に包まれた。
男がガソリンをかぶり、自ら火を放った。
亡くなったのは、放火した男・林崎春生、当時71歳と、巻き添えとなった女性乗客。
さらに乗客と乗務員合わせて28人が重軽傷を負った。
日本中を震撼させた前代未聞の”放火殺人事件”だった。
事件から10年。取材班は林崎が暮らしていた東京都杉並区の古びたアパートを訪ねた。
家賃は月4万円。今は別の人が住み、外壁は青く塗り替えられている。
近隣に住む男性は、あの日を思い出しながら口を開いた。
「まぁ、助かったんだよね。ガソリンを部屋で入れ替えて行ったらしいから。タバコの火でも引火してたら、この辺は全部燃えてたよ。だから、かろうじて助かったってことなんだ」
林崎は35年間、年金を納め続けていた。
だが、受け取っていたのは月12万円ほど。
家賃を払えば残りは8万円。光熱費や税金を差し引けば、手元に残るのはごくわずかだった。
林崎が通っていた飲食店の従業員はこう明かす。
「あんなことをやるような人じゃなかった。すごくおとなしくて、ビール2本飲んで帰るだけ。誰も悪く言う人なんていなかった。本当に意外だった
でも“これじゃ生活できない”って、何度も言ってました。私も今同じような状況でね。20万円もらえる人なんてほとんどいない。みんな働けるうちは働かないと食べていけないんですよ」
岩手県出身の林崎はもともと“流し”の歌手だった。
ギターを抱え、飲食店でリクエストに応じて歌を歌う。そんな時代を生きてきた。
だがカラオケの普及で仕事は激減し、以後は清掃業や解体工などを転々とした。
それでも店ではいつも穏やかで、笑顔を絶やさなかったという。

事件の1年前、林崎は杉並区の役所を訪ね、生活保護の相談をしていた可能性がある。
だが申請は通らなかった。当時の生活保護の支給額は月14万4千円ほど。
つまり林崎は、国が定める「最低限度の生活費」にすら届かない暮らしを強いられていた。

事件直前には、杉並区議に「生活が苦しい」と電話で相談していたともいう。
その区議に取材を申し込むと、こう返ってきた。
「あんまりもう、思い出したくないんです。取材はご遠慮させてください」
止められなかったことへの自責の念が、いまも消えないようだった。

林崎の放火で犠牲になったのは、伊勢神宮へ向かう途中だった52歳の女性。
突然の炎が、妻であり母であった彼女の人生を奪った。
遺族の男性と息子はいまも神奈川県内で暮らしているというが、取材の申し込みに返事はなかった。
近隣の住人は静かに語る。
「ご主人は最近体調を崩されていてね。事件の話なんて、もうできる状態じゃないと思う」

政府は今年、年金を1.9%引き上げた。
だが65歳以上の単身世帯の平均収入は約13万4千円、支出は約16万2千円。
月に2万5千円以上が赤字という現実は、いまも変わらない。
物価は上がり、米の価格も高騰した。
孤独と困窮に追い詰められた人々は、あの頃よりむしろ増えている。
林崎春生という男は、何者だったのか。

「無敵の人」と一言で片づけられる存在ではない。
彼の放った火は、社会の矛盾に照らされた警告だったのかもしれない。
10年経ったいまも、この事件は「終わった」とは言えない。
あの男が見つめていた絶望の風景は、いまもこの国のどこかに残っている。

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