『ジークアクス』『水星の魔女』はなぜ“女性主人公”? 令和ガンダムが提示した新視点

アムロを筆頭として、過去の『ガンダム』シリーズでは基本的に男性キャラクターが主人公を務めてきた。しかしここ数年制作された“令和ガンダム”ではそんな風潮が大きく変化しつつあり、立て続けに女性主人公の物語が描かれている。この変化の裏で、一体何が起きているのだろうか……。
参考:『ジークアクス』第2話以降はどんな展開に? “マチュ=ハマーン説”など設定を深掘り考察
4月より放送中の『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』の主人公は、「マチュ」というあだ名をもつ女子高生のアマテ・ユズリハ。作り物しか存在しないスペース・コロニーでの生活に疑問を抱いていた彼女は、難民の少女・ニャアンとの出会いをきっかけとして、戦いの日々に身を投じていく。
マチュは見た目的には幼い少女だが、ニュータイプとしてすぐれた潜在能力をもっているようで、謎のモビルスーツ「GQuuuuuuX」に乗り込むやいなや華麗な戦闘を行う。ろくに操縦訓練を積まずに“ぶっつけ本番”で大活躍するという展開は、アムロ以来の伝統なので、実は新しいようで王道のパイロット像とも言えるだろう。
■『ジークアクス』が強調するシスターフッド的な関係性 また、勝手にモビルスーツを奪取して暴走するという展開として見れば、『機動戦士Ζガンダム』のカミーユや『機動戦士ガンダムZZ』のジュドーなどにも近い。
では、なぜ主人公の性別を女性に設定したのだろうか。まだTVアニメの放送は序盤なので、その理由ははっきりとは分からない。ただ現時点で1つ印象的なのは、ニャアンとのシスターフッド的な関係性が強調されていることだ。
たとえばマチュが“戦うこと”を決意するシーン。第1話では、軍警ザクが赤いガンダムを探すため、難民たちの生活区域を暴力的に蹂躙し始める。そこでマチュは難民であるニャアンが複雑な表情を浮かべていることに気づき、インストーラデバイスを手に取ってモビルスーツへと乗り込むのだった。
そこにはおそらくマチュ自身の“自由”を追い求める姿勢も関係しているが、ニャアンへの感情移入がもたらした効果は大きかったはずだ。それを示唆するように、マチュはアンキーたちにニャアンとの関係を聞かれた際、「マブ」だと説明していた。作中では2人1組で戦闘を行う「MAV(マヴ)戦術」という用語が出てくるが、ここで用いられているのはむしろ友人や親友を表す言葉としての「マブ」だろう。
■マチュが体現する“精神的なつながり” さらにED映像では、パーティーに興じる親友同士のような2人の姿が描かれている。こうした描写から浮かび上がってくるのは、誰かを一方的に助けるような上下関係ではなく、楽しいことやつらいことを共有して共に手を取り合うという水平的な関係性だ。
言い換えるとマチュは、自分の目的のためではなく、共感をベースとした精神的なつながりによって戦うことに導かれたように見える。こうしたあり方を示すためにこそ、同作は『ガンダム』では珍しい女性主人公を選んだのかもしれない。
ところで『ガンダム』、とくに富野由悠季作品では戦争が“男たちのもの”として(アイロニカルに)描かれてきた節がある。たとえば『機動戦士Ζガンダム』には兵器として酷使される強化人間の少女たちが次々登場し、『機動戦士Vガンダム』でも前線であっけなく命を落としていく女性兵士たちの姿が悲劇的に描かれていた。
『機動戦士Ζガンダム』の第49話でレコア・ロンドが言い放った「男たちは戦いばかりで、女を道具に使うことしか思いつかない。もしくは、女を辱めることしか知らないのよ」は、そうした構造を的確に表した名ゼリフではないだろうか。
例外として、キシリア・ザビやハマーン・カーンといった女性も存在するが、彼女たちは女性らしさを抹消し、男性のように振る舞うことで権力と地位を確立していたので、やはりこの構造の一部だったと言えるだろう。
『ジークアクス』はシャアを中心とした一年戦争パートから、マチュを主人公とした宇宙世紀0085に移行する形で本編が描かれるが、それは“男たちの戦い”が終わった後の世界という含意を含むのかもしれない。
■“男たちの閉じた世界”を打ち破る女性主人公 その一方、2022年から2023年にかけて放送された『機動戦士ガンダム 水星の魔女』も、スレッタ・マーキュリーという少女を主人公とした作品だった。しかも実質的にはミオリネ・レンブランをもう1人の主人公とした“ダブル女性主人公”としてストーリーが構成されている。
同作の大きな特徴といえば、『ジークアクス』よりさらに強く精神的な結びつきが強調されていること。なにせスレッタとミオリネの関係は、「花婿と花婿」として始まるからだ。
物語の舞台となる「アスティカシア高等専門学園」は、学生同士による決闘のシステムがあるという設定。そこでミオリネは権力者である父・デリングの采配により、決闘の勝者と結婚することを定められている。そして成り行きからスレッタが決闘に参加したことによって、2人の関係が始まる……という流れだった。
こうしたミオリネ絡みのストーリーは、「男性的な支配欲が渦巻く世界で、自由を手に入れるためにもがく女性」という主題に裏打ちされているように見える。それと同時に、スレッタと母・プロスペラの物語を通して、「家族の絆に縛られる娘」というもう1つの主題が描かれていることも重要だ。
初代『機動戦士ガンダム』がアムロとテム・レイという父と息子の関係を重要な主題としていたのに対して、『水星の魔女』では父と娘、母と娘という関係性を物語の軸に据えている。それによって、まったく新しい形で“主人公の成長”を描き出すことに成功していた。この点にこそ、同作が女性主人公を選んだ理由があるのではないだろうか。
■『少女革命ウテナ』が『ガンダム』シリーズに与えた影響 なお余談かもしれないが、『水星の魔女』と『ジークアクス』の原点にある作品として、1997年に放送された幾原邦彦監督のTVアニメ『少女革命ウテナ』にも言及しておきたい。
同作の舞台となる鳳学園では、姫宮アンシーという少女が「薔薇の花嫁」と呼ばれており、その所有権を賭けた決闘が繰り広げられている。そして女性でありながら王子様になりたいと願う主人公・天上ウテナは、そんな学園内の決闘ゲームに巻き込まれていく……。
閉鎖的な学園やいわゆる“トロフィーワイフ”を皮肉るような決闘制度は、『水星の魔女』とかなり近い設定。また男性たちの支配欲や所有欲が渦巻く世界を打ち破るため、女性主人公が躍動するという点では、『ジークアクス』にもいくらか通じるだろう。
こうして作品を並べて考察するのはたんなるこじつけではなく、明確な理由がある。というのも『水星の魔女』のシリーズ構成・脚本を手掛けた大河内一楼は、脚本家になる前に『少女革命ウテナ』の小説版を執筆した過去をもつ。また『ジークアクス』のシリーズ構成・脚本を担当する榎戸洋司は、『少女革命ウテナ』のメインスタッフとして有名。つまり両者のいずれも、キャリアの原点に近いところで同作と関わっていたのだ。
先駆的なシスターフッド作品である『少女革命ウテナ』が、主に男性たちを主役とした争いを描いてきた『ガンダム』シリーズに影響を与えたと考えると、感慨深いものがある。
もちろん、ここにあるのはあくまでテーマの継承であって、『水星の魔女』は『少女革命ウテナ』とは独立した価値をもつ作品に仕上がっていた。ただ、こうした流れを踏まえておくと、『ジークアクス』の今後の展開をより深く楽しめるのではないだろうか。
マチュという新時代の女性主人公がどのような地点に到達するのか、しかと見届けてほしい。(文=キットゥン希美)