ムーンライダーズ『It's the moooonriders』

写真拡大

 ムーンライダーズは、日本の音楽史において最も特異なバンドの一つである。「現存する日本最古のロックバンド」(中心メンバー鈴木慶一が2023年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した際の贈賞理由に記載)と言われるとおり、長大なキャリアを持っているのだが、その音楽性は作品ごとに異なり、一貫した味わいを保ちながらも得体の知れない広がりを示し続けている。こうした活動が後続に与えた影響も大きい。鈴木慶一ソロのプロデュースも務めた曽我部恵一(サニーデイ・サービス)や、近年のムーンライダーズに参加している佐藤優介(カメラ=万年筆)と澤部渡(スカート)を筆頭に、永井聖一(相対性理論)やアーバンギャルド、ゆるめるモ!や3776、空間現代といった面々も影響を受け、ムーンライダーズのトリビュート盤やリミックス集に参加している。どちらかと言えば玄人好みの、聴いたことはないけれども名前は知っている人も多いという立ち位置にはまっている印象もあるが、それも含めて無二の存在感を示し続けているバンドなのだ。

(関連:『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念トークイベントを本屋B&Bにて開催 宗像明将×澤部渡×佐藤優介出演

 昨年末に刊行された『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(宗像明将、blueprint)では、ムーンライダーズを「最も重要な仲間」「精神的な互助会」(同書p294)と言う鈴木慶一の立場から、その音楽的変遷と影響源が具体的に述べられている。このバンドの不思議な魅力を理解するにあたっての第一級の資料であり、読みものとしても面白い。上記の名前に一つでも興味があればぜひ手に取ってみてほしい、大変な労作だ。

 ムーンライダーズは、1975年の結成以来、常に時代の最前線にあり続けたバンドである。「鈴木慶一とムーンライダース」名義で発表された実質的なデビュー作『火の玉ボーイ』(1976年)の頃は、前身バンド「はちみつぱい」に連なるアメリカ的な路線、The BandやLittle Featに通ずる音楽性が軸になっていたのだが、アグネス・チャンのバックバンドとしてツアーを回っていた際に、ホテルのロビーでかかっていた10ccやQueenに衝撃を受けたことから、ヨーロッパ方面への興味を増していく。Genesisをはじめとしたプログレッシブロックから影響を受ける一方で、ブライアン・イーノ~オブスキュア・レコード周辺からニューウェイヴにどっぷり浸かり、「もうテクニカルなサウンドより初期衝動的なサウンドのほうが面白いし、新鮮だった」(前掲書p71)という志向に至る。

 80年代に入ると、DevoやXTC、ダブなどからの影響を独自に昇華し、『カメラ=万年筆』(1980年)や『マニア・マニエラ』『青空百景』(いずれも1982年)といった世界的にも最先端の傑作群を連発。作品クオリティとしては絶頂期となった『ANIMAL INDEX』(1985年)や『DON'T TRUST OVER THIRTY』(1986年)を発表した後は、メンバーの心身の不調やソロ志向もあってムーンライダーズとしての活動は断続的になるのだが、このバンドならではのオリジナリティは冴えるばかりで、他に類を見ぬ境地を切り拓き続けていく。

 こうした活動は、最新の音楽やテクノロジーに対する好奇心と、それらに機敏に取り組む柔軟さによるところが大きいだろう。叩き上げのバンドマンだったにもかかわらず『マニア・マニエラ』からはコンピューターを用いた制作体制にシフト、以降は生演奏と打ち込みの融合を様々なバランスで追求していく。1999年3月には鈴木慶一がインターネットを使い始め、MP3が主流になる前に10種類ほどの圧縮方法を聴き比べることにより、同年11月にはムーンライダーズ楽曲のweb無料配信が実現。2000年12月には、宅録のインターネット配信が最新の音楽発表形式になりうる、インディペンデントの一番やりやすい方式だという考え方に基づいて、「20世紀中の最後のアルバムを、宅録によって6人で6曲を出そうというのが非常に大きなテーマ」(前掲書p174)という『Six musicians on their way to the last exit』を発表する。この頃からPro Toolsを用いたDAW制作に取り組み、2008年の鈴木慶一ソロ『ヘイト船長とラヴ航海士』では、プロデュースを務めた曽我部恵一の影響から、ヒップホップ以降の編集感覚を体得する。

 こうしたフットワークの軽さは、音楽リスナーとしての耳の早さや吸収力についても言えることだろう。1951年生まれの鈴木慶一は、フランク・ザッパの『Freak Out!』(1966年)やThe Beatlesの『Sgt. Pepper‘s Lonely Hearts Club Band』(1967年)をリアルタイムで聴き、はちみつぱいの結成(1971年)以後は、細野晴臣や大瀧詠一、YMO人脈のそばで様々な音楽に触れ続けてきた。ムーンライダーズを始めてからも、先述のようなプログレ~ニューウェイヴ志向に留まらず、その時々で同時代の音楽を貪欲に吸収している。

 例えば、1995~1996年のファンハウス在籍期の影響源として挙げられているのは(前掲書p161)、Latin PlayboysやBeck、PortisheadやMassive Attack。ジャングルやドラムンベース、トリップホップ、アンビエントハウスといった最新のビートを取り入れる一方で、ヴァン・ダイク・パークスとブライアン・ウィルソンの『Orange Crate Art』なども参照している。また、「2010年以降、激しく聴いていたのは、ブルックリン系やパンダ・ベアだけど、2020年代になってからは新しいものを聴いていた。そういうことを現場で盛り込んでいくわけだよね」(前掲書p260)とのことで、2021年の『MOTHER MUSIC REVISITED』(名作ゲーム『MOTHER』のサントラを再構成した鈴木慶一ソロ)制作当時には、ケイト・ル・ボン(ウェールズ出身のアーティストでWilcoのプロデュースも担当)ばかり聴いていたという。鈴木慶一をはじめとしたムーンライダーズのメンバーは、何よりもまずリスナーとして優れていて、歳を重ねても先鋭的なディガーであり続けてきた。このバンドが常に新鮮な音像を生み出し、手癖にはまらず変化し続けることができたのは、以上のような姿勢や咀嚼力があったからなのだろう。

 ムーンライダーズの音楽には謎が多く、日本の音楽史における孤高の金脈であり続けている。メンバーは数々のCM音楽や映画音楽、ゲーム音楽などに携わり、「自分から望んでないけど流れてくる音楽の質を向上させる」(前掲書p111)目的を果たしつつ収入を確保することで、バンドでの奔放な音楽制作を可能にしてきた。ムーンライダーズの音楽は、メジャーとマイナーの際にある音楽として最高のものの一つであり、優美な退廃を裡に秘めたポップミュージックとして他に類を見ないものでもある。こうした音楽性や、柔らかく尖り続けた活動の全貌は、2024年の今だからこそ理解しやすくなってきた面も多い。未体験の方はこの機会にぜひ。音楽を聴くことがいっそう楽しくなるはずである。

(文=s.h.i)