マイアミでブルペン入りする侍ジャパン・宇田川優希【写真:Getty Images】

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準決勝、決勝では登板なしも…初回からブルペンで準備していた宇田川優希

 ポーカーフェースは変わらなかった。だが、1か月前の宮崎キャンプの頃とは明らかに表情が変わり、自信に満ちあふれていた。野球日本代表「侍ジャパン」の宇田川優希投手(オリックス)は世界一の瞬間を左翼後方のブルペンから見つめた。全速力でマウンドへ向かい、喜びを爆発させた。米国で登板する機会はなかったが、侍ジャパンに欠かせない1つのピースだった。

 第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で14年ぶりに王座を奪還した侍ジャパン。悲願まで残り2勝として臨んだ米国での決勝ラウンドでは、多くのヒーローが生まれた。メキシコとの準決勝では、吉田正尚外野手(レッドソックス)の起死回生の同点3ランに、この試合3三振だった村上宗隆内野手(ヤクルト)の逆転サヨナラ打。米国との決勝では、最後の最後で実現した大谷翔平投手(エンゼルス)vsマイク・トラウト外野手(エンゼルス)……。挙げるとキリがない。一方で宇田川は“黒子”に徹し、常にブルペンで待機。その時を待った。

 準決勝で佐々木朗希投手(ロッテ)、山本由伸投手(オリックス)という若きエース2人をつぎ込んだ侍ジャパンは、決勝で“リリーフデー”のような継投策をとった。先発・今永昇太投手(DeNA)は2回で降板。3回以降は6人の投手で強力米国打線をカイル・シュワーバー外野手(フィリーズ)のソロ1本に抑え込んだ。

 結果的に登板はなかったが、侍ジャパンがこの継投策を取ることができたのは、宇田川の存在が大きかった。この2試合、右腕は試合が始まると同時にブルペンに向かった。準決勝も決勝も2回から肩を作り始め、6回近くまで投げられる準備をしていた。終盤に差し掛かっても出番を待ち、最後までブルペンで待機した。

 宮崎キャンプで厚澤和幸コーチが「長いイニングのバックアップに回れる能力を持っている。マウンドに上がらない中での作業が得意な人と得意ではない選手がいて、宇田川はずば抜けて上手」と話していた。準決勝、決勝は常に1点を争う試合展開。誰かがピンチを招いて降板しても、宇田川がいる。そんな安心感があった。だから、決勝で迷わず調子のいい投手陣をつぎ込むことができた。

宮崎キャンプはどん底からのスタート…大成長に厚澤コーチも感謝

 思えば、1か月前。宮崎キャンプ第1クールで宇田川はどこか強張った表情をしていた。オリックスのキャンプで中嶋聡監督から“減量指令”を受け、WBC使用球にも当初は苦戦し、フォームを崩したところからのスタートだった。球場からブルペンに移動する際、ファンに笑顔で手を振る山本とは対照的。ファンに見向きもせず、何も話さずに歩を進めていた。それは決して冷たい対応ではなく、余裕がなかったのは明らかだった。

 ダルビッシュ、大谷を筆頭にNPB各球団のエースや守護神と、日本を代表する投手が集結した侍ジャパン。昨年7月まで育成選手だった右腕が、精神的に疲弊しないわけがない。取材に応じた際にも「全然、自分から(ほかの選手へ話に)行けないので」「チームになじめていなく、気疲れもあります」と困惑気味に話していた。

 ただ、ダルビッシュが世界一の理由に「チームワーク」を挙げた通り、宇田川が緊張せず100%の力を発揮する環境は整っていた。第2クール前の休みに開催された「宇田川会」。宇田川自身もダルビッシュからの「全然太ってないやん」というひと言で吹っ切れた。体重を気にしすぎず、過度な減量をやめた。そして、本戦初登板となった10日の1次ラウンド韓国戦では7回に登板。トミー・エドマン内野手(カージナルス)、キム・ハソン内野手(パドレス)を三邪飛、三振に仕留めた。現役バリバリのメジャーリーガーを抑えたことは自信になった。

 侍ジャパンに選出される前、宇田川の目標は「開幕1軍」だった。大会終了後、「侍ジャパンに選ばれて難しい部分もあった。喜びもあった」と心境を明かしていた。栗山英樹監督からは「色々言われてるかもしれないけど俺は信じてるから」と言葉をもらったといい「その言葉が1番記憶に残っています」と感謝する。

 オリックスで育成から見ていた厚澤コーチは、帰国後の会見で「今回ブルペンで一番バックアップしていただいたのが会長の宇田川自身」「一つ心残りは準決勝、決勝と宇田川ジャパンの宇田川をマウンドにあげることができなかった」と名前を挙げて感謝した。宮崎キャンプから“激動の35日間”を経て成長を遂げた“ブルペンの番人”。米国での登板がなくても、間違いなく金メダルにふさわしい活躍だった。(川村虎大 / Kodai Kawamura)