私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第20回
最終節に首位から陥落した悲劇の裏側〜森島寛晃(3)

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 2005年、Jリーグの最終節、セレッソ大阪はFC東京と対戦した。勝てば優勝というなか、1度は追いつかれたものの西澤明訓のゴールで突き放し、89分まで1点をリードしていた。だが、アディショナルタイムに入る寸前に今野泰幸にゴールを決められ、同点で試合を終えた。2位のガンバ大阪は川崎フロンターレに勝利し、逆転の優勝を決め、2−2のドローに終わったセレッソは、5位に転落してシーズンを終えた。

 森島寛晃は、最終的に優勝を逃した要因について、こう考えていた。

「最終戦のFC東京との試合に入る前の2試合の引き分けが大きかったなと思いました。とくに、最終戦の前、トップに立った時の横浜F・マリノス戦ですね。この試合は、FC東京戦と同じく最後の最後に追いつかれたんです。ここで勝ちきっておけば最終戦を迎える時の気持ちがだいぶラクやったと思うんですよ。勝ち点1差と3差ではだいぶ違いますから。

 このマリノス戦、その前の大分トリニータ戦、もちろん最後のFC東京戦もですけど、3試合で勝ち点3ですからね。最後の試合に勝てば優勝だったので、いい形で最終戦を迎えられたと思うんですけど、この3試合でひとつも勝ちきれなかった。それが最後に優勝という結果に結びつかなかった大きな要因だと思います」

 最終節に向けての優勝争いのなか、セレッソはそれまでの攻撃的な姿勢からやや慎重になっていた。優勝争いの渦中にいれば、当然プレッシャーがかかるが、森島は最後の3試合は、選手がナーバスな状態にあったことを把握していた。

「優勝がかかってくると、何のプレッシャーもないということはないですからね。実際、ラスト3試合の試合展開を見ると、全部リードして追いつかれているんですよ。なぜ、そういう展開になったのかを考えると、勝っているんで大事に行きすぎて、そこで相手にチャンスが生まれて、決められた。勝ちたいという気持ちが強すぎて、その結果、気持ちが守備的になってセレッソらしい攻撃的な部分を最後まで貫くことができなかったからだと思います」

 森島は、17年前の出来事をまるで昨日あったことのように悔しさをにじませた。森島にとって、セレッソにとって、2005年はどういうシーズンだったのだろうか。

「1994年からセレッソで戦ってきて、一番バランスがいいチームだった。若い選手がいて、助っ人もいい選手がいたし、本当にサッカーが楽しかった。タイトルは獲れなかったけど、2000年の時より経験を積んでチームとしても個人として成長して、最後にタイトルを賭けて戦えた。勝ちきれなかったけど、個人的にはすごく充実したいいシーズンでした」

 森島は、2005年に優勝をあと一歩のところで逃し、その悔しさを味わった。だが、本当の悔しさは、リーグ戦を制したチームがその優勝経験を糧に強いチームへと変貌していく姿をまざまざと見せつけられたことにある。

「自分らは5位まで落ちて、優勝をもっていったのがガンバ(苦笑)。ガンバがこのリーグ優勝をきっかけにチーム力を上げてACLとか数々のタイトルを積み重ねていくじゃないですか。逆にうちはガンバに勝てなくなって、実績とかもかなり離されていくんです。そこで改めてリーグ優勝することがいかに大事なことなのか。優勝することで、どのくらいチームが成長するのか。リーグ戦に勝つことの大きさ、重みみたいなものをすごく感じました」

 セレッソは、2005年に続き翌年もリーグ戦ではガンバに全敗した。2007年から09年まではJ2に陥落していたため、大阪ダービーは実現しなかった。その間、ガンバはナビスコ杯、ACL、天皇杯などのタイトルを獲り、実績を積み重ねて強豪クラブとして成り上がっていった。2010年、セレッソはJ1に復帰したが、ガンバ戦の勝利は2012年3月の長居まで待つことになる。

 森島は、2008年、現役引退を決めた。

 2007年に首を痛めて5試合しかプレーできず、2008年は1試合の出場に終わり、ほとんどプレーができなかった。それまで、長くチームを離れたことがなく、36歳と年齢を重ねてきたこともあり、生涯セレッソでユニフォームを脱いだ。

「やめた時、悔いはありました。ノーチャンスではなかっただけにひとつもタイトルを獲れなかったのは、ほんまに悔しかった。とくに05年は自分がタイトルを獲れる最後のチャンスだったのに獲りきれなかった。そのせいか、引退してもタイトルを獲りたいという思いは強いままでした。自分は、セレッソじゃなきゃダメなんです。サポーターと同じ気持ちなんですよ。選手時代、勝てそうで勝てない時期が続いたんで、引退しても、その思いはずっと変わらなかった」

 森島の思いは2005年から12年後、2017年に成就する。セレッソ大阪は、ルヴァン杯決勝で川崎フロンターレを破り、初タイトルを獲得したのだ。森島は、統括部に在籍しており、決勝戦はスタンドから見ていた。

「1−0で勝っていたんですけど、選手時代から最後の笛が鳴るまで優勝したとか、そういう気持ちになったらあかん、油断したらあかんと思って、スタンドで見ていたんです。チーム関係者とかは終了前に下に降りていくけど、自分はまだ1−0やし、笛が鳴るまで動かんようにしようと思っていた。でも、ソウザが2点目を入れた瞬間(90+2分)、ダッシュで下に降りていきました。みんなのところに行ったら歓喜の瞬間が終わっていたので、喜び方がわからず(苦笑)。一緒にわーってなるのを味わいたかったんですけどね」

 埼玉スタジアムは、スタッフが見る席が5階にあり、階段を使って下りていくと時間がかかるので、笛が鳴り、チームが喜びを爆発させた瞬間に間に合わなかったのだ。

「初タイトルは、ほんまに嬉しかった。この時も優勝する瞬間までサポーターが必死に応援している姿を見ていて、こっちがウルウルしてきました。なんか最近、涙もろくなってきて、結婚式のお父さんのスピーチとか見ても涙が出てくるんですよ(笑)」

 森島は選手たちに促されて優勝ボードの前に進み、ルヴァンカップを手にした瞬間、スタジアムに「モリシ」コールが響き渡った。現役時代には見られなかったセレッソのエースが優勝杯を上げる姿をサポーターもずっと待ち続けていたのだ。


2018年元日、天皇杯優勝を果たしたC大阪。左端が森島寛晃

 2018年12月、森島はセレッソ大阪の社長になった。タイトルは、17年度に天皇杯とカップ戦を獲り、残すのはリーグ優勝だけだ。

「リーグ戦は、1年かけて総合力の勝負。自分も選手もその優勝の重みを感じているので、リーグ戦を獲りたいですね。そこからチームがさらに大きく成長していくと思うんです。ただ、昨年、ルヴァン杯決勝に進んで社長になって初めてタイトル獲得のチャンスがきたんですけど、負けたんで個人的にはまだ2000年と2005年の勝ちきれない悪夢が続いている。それを早く払拭して、みんなと一緒に歓喜の涙を流したい。今の選手がきっと達成してくれると思いますし、サポーターと一緒に喜べる瞬間を楽しみにしています」

 2017年のルヴァン杯優勝の時は、胴上げされたが1回で落とされ、笑いを誘った。選手時代、「大きいね」と言われたことはなかったが、最近は、「大きくなったね」と言われるようになった。選手時代の悪夢を払拭し、リーグ優勝した時、モリシが宙に舞う姿をサポーターは楽しみにしている。 

 その時、本当に舞えるのか。

 大きなフォルムになった森島は、ちょっと心配している。

 
森島寛晃(もりしま・ひろあき)
1972年4月30日生まれ。広島県出身。静岡県の名門、東海大学第一高校(現:東海大学付属静岡翔洋高校)から、1991年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。同チームが母体となったセレッソ大阪が1995年からJリーグに参入。1年目から二桁得点を決めるなど、チームにとって不可欠な存在となり、「ミスターセレッソ」「モリシ」の愛称でサポーターから親しまれた。日本代表として1998年、2002年ワールドカップ出場。チュニジア戦で得点を決めた。08年に現役を引退。その後、チームのアンバサダーや強化部を経て、2018年12月より株式会社セレッソ大阪代表取締役社長に就任した。