検討開始はリーマンショック後の不動産市場が厳しい状況下。豊島区は東京建物を含むデベロッパー各社にヒアリングをかけて意向を探った。「我々が、ギリギリ採算が合うと考えたところで入札があり、今回の計画に至った。スキームを豊島区が考え、それに対し我々民間が意見を出し、官民で一緒につくっていった形」(若林氏)。

 新たな区庁舎、そして旧区庁舎跡地再開発、どちらにも東京建物が携わっているが、その理由について「結果として連鎖した形。ただ、新区庁舎開発を手掛けたことで豊島区の考えや求めていることを正しく認識し、共感することができた。それを計画に反映できたのではないか」と古林氏。

 今回の開発は行政、特に区長の高野氏の「熱量」に引っ張られた面もあったと古林氏も若林氏も声を揃える。

 時には高野氏が「さらにいいものにしたい」として、設計変更を行った箇所もあるという。例えば、区民センターは東京建物などの事業対象外で、外観デザインは別だったが、高野氏か「官民一体でやっているのだから揃えた方がいい」という指摘があり、やり直したという。

 現場は対応に奔走したが「区長の指摘は確かにその通りだというもので、出来上がったものはよくなっている。どうやったら実現できるかという前向きな大変さだった」(古林氏)

 不動産のハードとソフトを有機的につなぐことができるのは、やはり『人』。このプロジェクトでは強烈なリーダーシップを持つ「人」の役割を演じたのが高野氏であった。官であれ、民であれ、街の姿を変えるにはリーダーシップが必要だということを示している。