日本人はなぜ空気に支配されるのか。脳科学者・中野信子が伝える「支配力の源」3つの要素

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職場や学校で、「空気」という暗黙のルールの中で生きなければならない私たち。さらに今、激変し続ける社会情勢を受け人々の不安はいや増し、空気の圧力は強まるばかりです。

そこで、中野信子さんが日本人の心性と強みを、脳科学・遺伝学・行動科学をとおして初めてひもとき、多くの共感を呼んだ大ベストセラーに、対処法を加筆したのが『新版 空気を読む脳』です。

日本人に特有の「空気を読む」能力を知ることが、賢く生き延びるための武器となります。たとえば、神風やバブル、不祥事の隠蔽など、なぜ、責任の所在があいまいとなるのか、なぜ、証明が正しくても反対意見が通らないのかなどなど、空気の支配の影響力が第3回(前編)で明らかになります。

空気を否定したら生きていけない

日本人が「空気」というきわめて局所的かつ強力な統治原理を手放さない限り、半永久的に日本は単立文明であり続けるのではないでしょうか。欧米のような「神」や「契約」といった外的な絶対規範を持たない日本において、集団の意思決定を左右するもっとも強力な要因である「空気」。これは、単なる雰囲気といったようなものではなく、私たちの行動を支配する非常に強い力を持っています。

この支配力の源は、先にも述べましたが責任の所在の不可視化、論理(ロジック)の無効化、また臨在感的把握の3要素から構成されています。

責任の所在の不可視化は、「空気が決めたこと」になれば、結果として失敗しても、「あのときはそういう空気だったから仕方ない」という言い訳が成立し、誰も責任をとらず健全なフィードバックが行われ得ない構造が生まれます。むしろ健全なフィードバックを行った人間から排除されるでしょう。「空気」を否定した者は、もはやその「空気」を吸って生きていくことはかないません。

論理の無効化も、同様の構造によって起こる現象です。どんなにデータや数字で「それは不可能だ」「間違っている」と証明されたとしても、その場の「空気」が賛成に傾いていれば、反対意見を口にした者は排除されます。それは神のごとき支配者たる「空気」に「水を差す」、つまり「論理」という異教の神を崇める背信行為、共同体への反逆行為にほかならないからです。

臨在感的把握というのは、特定の対象に「霊的な何か」が宿っているかのように感じ、それを絶対視してしまう心理のことです。21世紀の現代においても、さらには都市生活者であっても、八百万(やおよろず)の神としてものや場や思考、物語、言葉そのものなどに霊的な何かが宿ることを多くの日本人が自然に受け入れて日常を送っているさまは、それだけで他文明とは異質であり、この「感情的な一体感」が「空気」をつくり出していきます。

「水を差す」ことの重要性

日本の異質さを「空気」というキーワードで解剖した山本七平は、日本の意思決定が以下のサイクルをくり返していると指摘しました。

空気が支配し始める、醸成過程。誰も異論を唱えられない雰囲気がつくられていきます。

これが完成すると、暴走過程が始まります。合理性を度外視した、「空気」の絶対的支配です。神風、バブル、不祥事の隠蔽など、特定の方向に集団が突き進む強力な圧となるものです。ここで破滅的な失敗や、外部からの強力な強制力によって空気が霧散する事態が生じると、崩壊過程に入ります。しかしながらこの破滅的な失敗は、次に活かされることはほとんどなく、「あの状況では仕方なかった」などの慰めが支配的となる忘却過程が続きます。そして誰も責任をとることはなく、また次の「空気」が生まれることになります。

山本はあえて、空気を読んだうえで、それに支配されないために、「水を差す」ことの重要性を説いています。今自分が感じている「空気」を、絶対的な真理ではなく、あくまで「一時的な心理現象」として客観視する視点の導入です。

山本は「水」を「空気による狂信状態から覚醒させるための不可欠な手段」としてとらえなおしました。「空気」がある種の熱狂や「臨在感的把握(対象に感情移入しきった状態)」によって成立しているなら、その熱を冷ますのが「水」の役割だから、水を差すことができる人を育成せよ、というわけです。

とはいえ日本社会では、先述のとおり「水を差す」ことはせっかくの盛り上がりにケチをつけるなどネガティブな文脈でとらえられることがしばしばです。「空気」は単なる雰囲気ではないのです。一種の「宗教的拘束力」に近いもので、破れば苛烈な「罰」がくだされるものなのです。

◇後編「「寝ずに頑張った」がいまだに評価される驚きの理由。脳科学者・中野信子が語る「誠意の免罪符」」ではさらに掘り下げて詳しくお伝えする。

【続きはこちら】私たちは何を恐れて沈黙してしまうのか……脳科学者・中野信子が分析する「日本人特有の『恐怖』の構造」