「裏山に裸の女性死体」有名寺でいったい何が⋯【若い女性7人を強姦・殺害】妊婦まで襲った“凶悪犯の正体”(昭和21年の事件)
1946年(昭和21年)8月17日、東京・芝の増上寺境内の裏山で、全裸の女性の死体が発見された。これをきっかけに、食糧の提供や就職の斡旋をエサに若い女性を誘い出し、7人を強姦・殺害した凶悪犯・小平義雄の存在が明らかになる。
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なぜ事件は起きたのか? 戦後の苦しい状況を利用した男の卑劣な手口とは――。鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

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7人を殺害した凶悪犯
太平洋戦争末期から敗戦直後の東京を中心に、言葉巧みに若い女性に食糧の提供や就職の斡旋を持ちかけ、山林に誘い出したうえで強姦、少なくとも7人を殺害した男がいる。
小平義雄。
己の性欲を満たすためだけに尊い命を虫けらのように奪った小平はまさに性獣、その犯行は鬼畜と言うほかない。
小平は1905年(明治38年)、栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)で6人兄弟の三男として生まれた。父親は一時、村一番の商人宿を経営する金持ちだったが、酒や博打、女にうつつを抜かして破産。暮らしは貧しかった。
吃音症の友人の真似をしているうちに自らも吃音を患ったのが4、5歳のころ。ほどなく入学した尋常小学校での成績は芳しくなく、卒業時の成績は23人中21番だった。
15歳で上京し鋼材会社の見習工や食料品店店員、地元の足尾銅山の古河精銅所工員など職場を転々とした後、1923年(大正12年)6月、18歳で自ら志願し海軍に入隊。ここから人生が狂い始める。
妊娠した女性の腹を⋯
まずは横須賀海兵団で訓練を受け、機関兵として戦艦や潜水艦に乗り組み、海外への遠洋航海へ。大きな影響をもたらしたのが日本軍が中国に進出した山東出兵さなかの1928年(昭和3年)5月、蒋介石(1887−1975)率いる国民革命軍と日本軍が山東省済南市で武力衝突した済南事件である。
当時、小平は海軍陸戦隊員として日清紡工場の防備に当たっていたのだが、事件勃発により激しい市街戦を体験。中国兵6人を銃剣で刺殺する“成果”をあげる傍ら、同僚とともに中国人の家庭に押し入り、父親を縛り上げ娘を強姦した。後の小平の証言によれば「強盗強姦は日本軍隊につきもので、時には妊娠している女の腹を引き裂き胎児を取り出したこともあった」そうで、中国でのこの犯罪経験が後の残忍な強姦殺人に関連していることは想像に難くない。
1929年、戦功を認められて勲八等旭日章を受け、三等機関兵曹として除隊。約6年間の海軍生活では兵隊相手の女性との性交渉が何よりの楽しみで、特にヨーロッパに寄港した際はそのたびに白人娼婦を買い漁り一晩で5回射精することもあったという。
小平の性欲は人並み外れていた。
元妻の父親を殺害したことも⋯
兵役を終えて古河精鋼所に復職。1932年1月、28歳で勤務先の上司の姪のてると結婚する。が、その裏で小平は親戚の娘2人(当時18歳と21歳)と性的関係を持ち、1人に妊娠・出産させていた。同年6月、この事実が明るみとなり、激怒した妻が離婚を申し立て半年足らずで実家に舞い戻る。復縁を懇願するも、てるは聞く耳を持たない。
これに小平は逆上。同年7月2日午前2時ごろ、上都賀郡東大芦村(現・鹿沼市)のてるの実家に押し入り、約75センチのバールで家族を滅多打ちにし、彼女の父親(当時64歳)を殺害。その妻、てる、孫、長男、次男、四女、同家に泊まっていた男性の計7人に2週間〜5週間の大怪我を負わせる。
騒ぎを聞きつけ駆けつけた近所の住民に取り押さえられ緊急逮捕。この殺傷事件により懲役15年の実刑判決を下されるも、国家の慶事による2度の恩赦で刑期は短縮され1940年9月、事件から8年あまりで仮出所する。
その後は、機関兵の経験を活かしボイラーマンとしていくつかの工場を転々とし、太平洋戦争勃発時には飛行場建設要員としてサイパンへ渡航。1943年8月、東京都品川区の海軍第1衣糧廠のボイラー係となった。そして1944年2月に前科を隠して再婚。
翌1945年2月に長男が生まれたが、空襲が激しくなってきたため妻子を妻の郷里の富山に疎開させ、自分も後から衣糧廠を退職して同地へ疎開。敗戦後、再び上京して渋谷の近くに住み、妻子を迎えて、1946年3月に新聞広告に応募して芝高浜町(現在の東京都港区)の海軍経理学校跡にあったアメリカ軍のランドリー兵舎(洗濯工場)で働き始める。
最初の犠牲者は21歳女性だった
過去に殺人・傷害の前歴があるにせよ、表の経歴だけをたどれば順調に社会復帰を遂げたとも思えるが、その間、小平は世にもおぞましい強姦殺人を働き続けていた。
最初は、日本の敗戦が決定的となっていた1945年5月25日、当時、小平が勤務していた海軍第1衣糧廠で女子挺身隊員として働いていた宮崎光子さん(同21歳)が餌食となった。
小平が彼女に性的関心を覚えたのは犯行の2、3日前。宮崎さんが「盲腸の手術で入院していたため風呂に入ることができなかったので、体を拭きたいからお湯をください」とボイラー室に入ってきたときのことだ。
お湯をバケツに入れボイラー室を出た小平は、閉めた扉の隙間から彼女の動作を覗き見る。最初は手拭いを上着の下に入れて拭いていた宮崎さんだが、やがてズボンを下げ腿のあたりを拭き始めた。このとき欲望のスイッチが入った。
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「おじさん! 冗談は言わないでよ」
21歳女性に性交渉を拒否された男は⋯
〈女性の首を絞め、死体にワイセツしても反省なし…「わしの腰から下は獣」7人を強姦殺害した“殺人鬼の末路”(昭和21年の事件)〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))
