輪中堤の工事が進む熊本県八代市坂本町の集落。手前は球磨川=八代河川国道事務所提供

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 戦国時代などから活用されてきた川の流域全体で防災に取り組む治水技術が再評価されている。

 氾濫した水の流れを制御するなどして甚大な被害を回避する「先人の知恵」を、被災地の復旧・復興に取り入れる地域も出ている。(中村直人)

被災地に新設

 1級河川・球磨川の中流に位置する熊本県八代市坂本町。「災害に強く、住みやすい地域になってほしい」。下今泉地区の自治会長鉄田智明さん(73)は、地区を囲うように建設が進む堤防を前に力を込めた。川の氾濫から守る「輪中堤(わじゅうてい)」と呼ばれる江戸期に多く用いられた治水技術だ。

 2020年の九州豪雨では、球磨川沿いの集落が濁流にのまれ、坂本町では4人が死亡、1人が行方不明となった。約30世帯がある下今泉地区でも複数の家屋が浸水。幹線道路も浸水し、一時孤立状態に陥った。

 同地区では、再び水位が上昇した時に集落に水が流れ込むのを防ぐため、輪中堤を新設している。国土交通省八代河川国道事務所によると、一時的な転居が必要になる「かさ上げ」と比べ、生活環境を変えずに済む利点がある。鉄田さんは「地区を後世に残したい。住民の期待は大きい」と話す。国は球磨川で流水型ダムの設置を柱とする対策を進めている。河道の掘削や輪中堤などの整備費として29年度までの10年間で1540億円を見込む。

信玄が考案

 近年、相次ぐ大規模な水害を受け、国交省は20年度から、河川改修などを主体とする対策だけではなく、川から水があふれることも想定した取り組みを進めている。輪中堤や、堤防のそばに植えた木で氾濫する水の勢いを弱める「水害防備林」など、歴史ある施設も有効な手段とされる。

 戦国武将・武田信玄(1521〜73年)が考案したとされ、川の堤防にあえて開口部をつくる「霞堤(かすみてい)」もその一つ。増水時に開口部から流れと逆向きに水をあふれさせ、一時的に水田などで水をため、川の水位が下がれば自然と排水される仕組みだ。下流側の流量を減らして被害の拡大を防ぐほか、堤防の決壊リスクを下げる効果もあるという。

 同省九州地方整備局によると、管理する九州の河川のうち、筑後川水系佐田川(福岡県)や大分川(大分県)など約10か所に霞堤は現存する。

 新設の動きもある。国は19年の台風19号で甚大な被害を受けた那珂川(栃木県など)と久慈川(茨城県など)の計4か所で霞堤の整備に乗り出した。

反対の声も

 一方、一部地域にあえて浸水させることで堤防や下流側を守る仕組みのため、改善を求める声や見直しの動きもある。

 宮崎県延岡市の北川では過去にも複数回、霞堤から水が流れ出し、流木や土砂などが農地に残る被害に悩まされてきた。管理する県河川課は開口部に浮きをつけた網を取り付けるなどの対策を検討中だ。久保田修司主幹は「『水が引いた後が大変』という地元の声に応えたい」と対応を急ぐ。

 長野県千曲(ちくま)市では、19年の台風19号に伴い、千曲川の霞堤から大量の水が流入し、市役所周辺も浸水した。住民らの要望もあり、国などは霞堤の一部を閉め、一定の水位を超えた際にだけ水をためる「遊水地」に作り替える工事を進めている。

 杉尾哲・宮崎大名誉教授(河川生態工学)は、浸水といったリスクを踏まえ、「土地の利用のあり方も含め、自治体や専門家が地域と膝詰めで意思疎通を図ることが必要だ」と話している。

戦国時代、築城で土木発達

 伝統的な治水技術の多くは、戦国時代に生まれた。長野県立歴史館の笹本正治参与(日本中・近世史)によると、戦国大名が広い範囲を支配するようになり、築城などを通して土木技術が培われていったという。

 武田信玄が治めた甲斐国(現在の山梨県)では水害が頻発し、「川除(かわよけ)」と呼ばれる土木にたけた職人がいた。霞堤のルーツとされる「信玄堤」が築かれたのは、こうした技術者の積極登用が奏功したとみている。

 笹本参与は「水との共生を目指す点に特徴がある。地域の地理や気候に合った、今も通用する貴重な文化を見直すべきだ」と話す。