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目の前で家が激しく燃えている。中に人が取り残されているかもしれない。

そんな状況で、現場の責任者が「本当に人がいるのか」「まずはホースの使い方を見直そう」などと言い始めたら、どう感じるだろうか。

しかも、その責任者が「火をつけた側」だったとしたら…。

これが比喩でなければ、誰もが「冗談だ」と思うだろう。だが、日本の司法では、それに近いことが起きている。

●1948年以来、手つかずの「再審法」

冤罪(えんざい)被害者を救う「再審制度」には、これまで十分なルール整備がされてこなかった。

その結果、捜査機関が無罪につながる証拠を隠し、再審開始決定に対して検察が不服申し立てを繰り返す──。そんな問題が、長年放置されてきた。

冤罪被害者や支援者たちは、繰り返し法改正の必要性をうったえてきた。それでも再審法は、制定された1948年以来70年以上、一度も見直されてこなかった。

携帯電話も、監視カメラも、DNA型鑑定も普及していなかった時代の法律が、今も冤罪救済の唯一の根拠になっている。

●袴田さんが無罪になるまで58年

2024年に袴田巌さん、2025年には前川彰司さんの再審無罪が相次いだ。そこでは、捜査機関による証拠の捏造疑惑や、意図的な証拠隠しの問題が明らかになった。

大川原化工機事件では、結論ありきと批判された捜査が進められ、長期勾留のなかで無実を知らされずに命を落とした人もいる。

こうした捜査機関の暴走は以前から繰り返されてきた。近年その実態が相次いで表面化したのは、偶然の重なりにすぎない。さらに大きいのは、いまも生存している当事者がいることだ。

袴田さんが無罪になるまで、逮捕から58年かかった。その間、死刑執行の恐怖にさらされ続けた影響で、今も自ら十分に意思を表明することが難しい状態にある。だが、姉のひで子さんが93歳になった今なお社会にうったえ続けてきた。

再審には途方もない時間がかかる。その過程で、本人や家族が亡くなり、無念のまま声が途絶えるケースも少なくない。水面下で諦めていった人たちの数は、誰にもわからない。

●冤罪を作った側が「救済のルール作り」を主導

“ホコリをかぶった法律”がようやく変わろうとしている中、「いまを逃せば、このチャンスは二度とない」と危機感を口にする専門家もいる。

2024年、超党派の国会議員連盟が再審制度の抜本見直しに着手すると、法務省・検察庁側も法改正が避けられないと悟ったのだろう。今度は法案作成の過程で「自分たちに都合のいいルール」を組み込もうと動き始めた。

これでは公正な議論になるはずがない。

再審法の見直しを担当する法務省刑事局には、検察庁からの出向組が多くいる。冤罪を生み出してきた側が、冤罪救済のルール作りを主導する──。それは、交通事故を起こした運転手が、道路交通法の改正案を考えるようなものだ。

無実なのに死刑が執行された人もいたのではないか。そんな見方も以前からささやかれている。法務省・検察庁の抵抗を目の当たりにすると、「不都合な事実を隠そうとしているのではないか」という疑念は確信に近づいていく。

●「抗告禁止」は入り口にすぎない

いま、自民党内で焦点となっているのが、再審開始決定に対する「検察官の抗告禁止」だ。 重要な論点ではある。だが、それだけでは冤罪被害者は救えない。

再審を求める側は、検察が持つ証拠の存在すら知ることができない。どんな武器があるかを知らされないまま、戦えと言われているのと同じだ。証拠の全面開示などが実現しなければ、抗告を禁じても戦いの土俵は変わらない。

法務省側が「抗告禁止」で譲歩したとしても、それはゴールではなく出発点だ。

●救われた人は「氷山の一角」

取材をしながら実感するのは、無実をうったえながらも、支援者も弁護人も見つからず、孤独のなかで諦めていく人たちが確かに存在することだ。

執行猶予付きの有罪とされた人や、すでに服役を終えた人の中にも、無実を訴える声は多い。だが、家族の反対や社会的な目を恐れ、再審請求に踏み出せずに泣き寝入りしているケースも少なくない。

袴田さんの再審無罪も、長年支え続けた家族や支援者の存在なくしては語れない。光が当たり、濡れ衣を晴らせた人たちは、氷山の一角にすぎない。

たとえ超党派議連の改正案が成立したとしても、冤罪を主張する側が圧倒的に不利な立場から出発せざるを得ない現実は、簡単には変わらない。

●見失ってはいけない「本当のゴール」

だからこそ、再審法改正は「法務省の敷いたレール」の上だけで進めてはいけない。

今のまま法務省案を通せば、冤罪被害者の救済にはつながらない。それどころか、「改正した」という既成事実だけが残り、問題の本質は温存される。権力による「アリバイ作り」に加担することになる。

本来の目的は、ただ一つ。無実の人を、一刻も早く、一人でも多く救うこと。

議論の入り口で起きている駆け引きや部分的な譲歩に目を奪われ、本当のゴールを見失ってはいけない。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)