高津臣吾の「ちょっと考えられない」野球熱 食事をするたび感心させられていた【大人気連載プレイバック】
【大人気連載プレイバック】
【飯田氏連載】「フライを打ち上げたから今日は使わない」と言われた恐怖
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は元ヤクルト監督の高津臣吾氏について綴られた、飯田哲也氏による「すべては野村ヤクルトが教えてくれた」(第9回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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■飯田哲也氏による「すべては野村ヤクルトが教えてくれた」(第9回=2020年)を再公開
今季からヤクルトの監督に就任したのが、高津臣吾(51)です。彼は大卒なので入団は同期ではありませんが、同じ昭和43年生まれ。家も近かったので、独身時代はしょっちゅう2人で食事に行く仲でした。
歴代2位の通算286セーブ。ヤクルトで長く抑えとして活躍できた理由のひとつが、切り替えのうまさだと思います。当時のヤクルトは野村監督が、「遊びに行くのも大事だぞ」と、むしろ息抜きを推奨していた時代。そうは言っても、気持ちが弱い選手はどうしても敗戦などを引きずってしまいますが、高津は前日の試合で打たれようが負けようが、翌日にはケロッとしている。そうしたメンタルの強さはプロで培ったのではなく、入団当初から持っていたように感じます。
僕が中堅手としてバックを守った投手の中で、最も安定感があるのが高津でした。なにせ、ベルトより下にしかボールが行かず、捕手が構えたミットにほとんど寸分の狂いもなく投げ込む。
制球のいい投手は、味方の守備陣にも好影響をもたらします。打たれるにしても、捕手が構えたコースにきちんと投げ込んでくれれば打球方向が予測しやすい。ボールがバットに当たる前に、その方向に重心をかけているから一歩目が踏み出しやすいのです。これが制球の悪い投手の場合、どうしてもスタートで半歩は遅れてしまう。高津が投げているときは僕以外の野手も安心して守備に専念できたはずです。
彼は2003年オフ、ホワイトソックスにFA移籍したのを皮切りに、韓国、台湾、さらに独立リーグ(新潟)でもプレーしている。メジャーで活躍した選手が独立リーグなんて、ちょっと考えられない。高津は現役を諦めたくない、もっと野球を楽しみたいという一心だったのでしょう。
海外でプレーしていたときも、オフによく食事をしていました。そのときも口では、
「いやあ、向こうは大変だよ」
なんて言いながら、ニコニコと、実に楽しそうに話をする。本当に野球が好きなんだなあ……と、僕は感心することしきりでした。
高津は野球の華やかさや面白さはもちろん、そのつらさや過酷さも身をもって経験している。
今季は新型コロナウイルスの影響で開幕が延期になっていますが、僕も同期として高津の采配を楽しみにしています。
▽いいだ・てつや 1968年5月、東京都調布市生まれ。千葉県の拓大紅陵高を経て、86年ドラフト4位で捕手としてヤクルト入団。日本一と称された中堅守備と俊足を生かした打撃でヤクルト黄金期を支えた。2006年に楽天で引退。07〜13年はヤクルトで、15年から昨季までソフトバンクでコーチを務めた。現役通算1505試合で1248安打、363打点、48本塁打、234盗塁、打率.273。ゴールデングラブ賞7回(91〜97年)、92年盗塁王。日本シリーズ優秀選手賞2回(92、93年)。
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